short | ナノ
今し方届け終えたばかりの書簡の束、あまりにも数が多く重みで持っていた腕がぴりぴりと痺れている。痺れを振り払うように両腕を回したり振ったりしながらなまえは小走りで廊下を進む、今日の仕事はこれで終わりなのだ。

「ま、またいらっしゃらない……!」

互いに忙しい身ではあるが、そんな忙しさの合間を縫いつつも、つかの間の逢瀬を大切にしてくれる愛しい人。部屋を訪れたのだが最近どうも入れ違っているようで、なかなか逢えずにいる。

ついひと月ほど前にただの将軍と文官といった関係を打ち壊して恋仲、としてくれたのはこの曹魏で知らぬ者はいないと言っても過言ではない、名だたる将のひとりである夏侯惇。

きっかけは曹操の一言。

ただの文官であるにも関わらず、時折曹操の話し相手として曹操直々に呼ばれるなまえ。

とある日、曹操の話し相手を務めていると妙に重々しい空気を纏いだした曹操が不意に深いため息をついた。何事かと伺ってみれば、夏侯惇もいい歳だというのに妾ひとり取らぬから幸先が不安であるとぽつり漏らす。

なんでわしがこんなに心配せにゃならんのだ!そう言って顔をしかめたが、すぐに何かを閃いたようでなまえは曹操から早急に夏侯惇へ、と伝言を頼まれた。すぐさま曹操の部屋を後にし、夏侯惇の元へと走る。執務室にいた夏侯惇へ曹操からの言伝はこうだった。

『わし、夏侯惇が妾なり嫁なり取るまで仕事せんからな、もし取るのであれば寝ずに仕事をしてやってもいい』

一国の主としてこの発言は如何なものかとなまえ自身も疑問に思ったが、常日頃から怠け癖のある曹操がこれ以上に仕事をしないとなると、恐らく死人が出る。もちろん死因は過労死で、第一被害者は言わずもがな司馬懿や郭嘉、荀攸などの軍師らであることに、まず間違いはない。

あの馬鹿殿が……と深いため息をついた夏侯惇、自分の性格はもちろん従兄弟である曹操の性格も嫌というほど理解しているつもりだ。愛だの恋だの両手に抱えるほどの妾を持つ曹操だが、夏侯惇といえば武一筋で今までを生きてきた言わば堅物。

ふと自分で漏らした一言、これ好機とばかりに曹操は仕事したくないついでに閃いたのだ。夏侯惇が妾なり嫁なり取るまで仕事をしない、女心など到底理解出来るはずもない夏侯惇のことだ、そう簡単に妾も嫁も取れるはずがない。

これでひと月は仕事しなくて済むわ!と内心ほくそ笑みながらなまえを送り出していた曹操、だがしかし事態は思ってもみない方向へと進むのである。夏侯惇の部屋にて言伝をしたなまえは、眉間を押さえて深いため息をついたまま何も言わなくなった夏侯惇に、どうしたものかとおろおろしていた。

「か、夏侯惇様……」
「また馬鹿なことを言いおって」
「あの、でも……殿は本当に夏侯惇様を心配していらっしゃいましたし」
「半々だな」
「え……?」
「仕事をしたくないのと俺の心配は半々の割合だ、ふん、全く余計な世話を」

お前もあんなわがままな奴の話し相手にさせられているとは気の毒だ、同情すら覚える。また深くため息をついた夏侯惇に同情をされたものの、なんと返したらよいものか答えあぐねていると気を使わなくていい、と付け加えられた。

それは曹操に対してなのか夏侯惇に対してなのか首を傾げれば、それに気付いたらしく両方だと言われる。

「いい加減俺も我慢の限界だ」
「武力行使はさすがにまずいのでは」
「安心しろ、俺もそこまで能無しではない」

力ずくで曹操に仕事をさせるのか。掛けていた椅子から立ち上がる夏侯惇を引き留めようとするなまえに、一声掛ける。

「好き勝手言われて黙ってなどいられんからな」
「どうなさるおつもりですか?」
「どうもこうも決まってるだろう、嫁を取る」

つかつかと歩み寄り夏侯惇の無骨な手がなまえの手を掬い上げ、驚愕に満ちた瞳をまっすぐ覗き込んでくる。それこそどう反応したらよいものか惑うなまえに、追い打ちを掛けるかの如く夏侯惇は続けた。

「孟徳の手中に落ちる前に、残りの一生を俺と共に」
「え、あ、えぇと?」
「言っておくが孟徳に仕事をさせたいがために、ではないぞ」

まさに青天の霹靂と言えようか、なまえは辟易するも夏侯惇の表情は真剣そのもの、だが一国を曹操と共に支える武将の妻など自分には些か荷が重過ぎる。夏侯惇の申し出は素直に嬉しいと思えたが、他にもっと相応しい人が居るのではないか。

「俺はお前がいい、なまえでなければ意味がない」

全ての不安を取り除くかのように、握られた手に力が篭る。

「でしたら、あの」
「なんだ」
「元譲様とお呼びしても構いませんか…?」
「それは、俺の申し出を受けたと取っていいんだな?」

頬を染めながらこっくりと頷いたなまえに心底安堵した夏侯惇は、今までに見たことのないほど緩んだ表情を見せた。つられてなまえも思わず頬が緩む。

それからしばらくして当分の間、半ば部屋に缶詰状態で執務に終われる曹操がいたという。思わぬ展開に悔しげなその表情は、くたばれ夏侯惇!と言わんばかりであったとかそうでないとか。

それがひと月前の出来事で、婚約を前提に恋仲となったわけなのだが、ひと月経った最近のこと。なまえの勘違いでなければ夏侯惇の様子がおかしいというか……おかしいのだ。

部屋はもぬけの殻という日が多くなったし、距離を置かれているような気がしないでもない。話し掛けても生返事に上の空だったりとまさに心ここに在らず。部屋にも鍛練場にも居ない、誰に居場所を尋ねても首を振られる始末。

最後の頼みの綱として曹操の元へと訪れたが空振り、ついでだとしばし曹操に話し相手を頼まれた。

「何?夏侯惇の奴、わしから横取りしておきながらなまえをほったらかしているのか!?」
「い、いえ!そうではありませんが、最近少しばかりご様子が」
「む、よもや妾を作ったのではあるまいな」
「え……えぇえ!?」
「だが安心してよいぞなまえ、その時はわしが責任を取って」
「取って……なんだ?孟徳」
「げ、元譲様!」

突如現れた夏侯惇はこめかみに青筋を湛え睨みつけるように曹操を見遣る、お前にこいつはやらん、と一言だけ残し夏侯惇はなまえの腕を掴むなり足早に部屋を後にする。

何がどうなっているのかさっぱりわからないなまえは、ただ腕を引かれるがまま夏侯惇に付いていくしかない。そうであってほしくはないが、曹操の妾を……の一節が妙にちらつくから、夏侯惇の様子が最近変だということに加えて更なる不安に苛まれる。

婚約を約束をされたものの、所詮は口約束でしかなかったから夏侯惇の気が変わってしまったのだろうか。恋仲になった日からより充実した毎日を送っていたし、言葉がなくとも傍にいるだけで幸せだった。

だからこそ態度が豹変した夏侯惇になまえは動揺し、腕を引かれどこに行き着くともわからず連れられる今も、窺い知れない夏侯惇の胸中に不安は膨らむばかり。

今までが幸せだった分最悪の展開になってしまうのが怖くて、ぎゅ、と唇を噛み締め力んだせいで押し止めていた涙が零れた。嗚咽だけは漏らすまいと更にきつく唇を噛み締めたが、何気なく振り返った夏侯惇がぎょっとした表情を見せ足を止めたことにより、徒労に終わる。

「な、お前、何泣いて!」
「っ元譲様、どうぞ……お、幸せ、に」
「はあ!?」
「離して、下さい……っ」

一度溢れ出した涙はもう止まらない、捨てられるくらいなら自ら身を引こうと夏侯惇の腕を振り払い掛けたなまえだが、夏侯惇はただならぬ様子に決してなまえを離そうとはしなかった。

どういうことだ孟徳に何を吹き込まれたのだとなまえに問いかけ、ふと妾がどうのと二人が話していたことを思い出す。

「なまえは俺に妾が出来たと思っているのか」
「ち、違うのですか、だって、そう、でしょう?」
「先に言っておくが勘違いだ」

涙に濡れた瞳で見つめられ夏侯惇はなまえの腕を掴んでいない方の手をぐ、と握り締めた。なまえが勘違いをするのも無理はない、いつかは拗れてしまうことをわかっていながらずっとそうしていたのだから。

もちろん妾なんぞ作ってはいないし作るつもりもない、なまえを今まで以上に愛しく想い続けてもいる。

だからこそだった。

「泣くな、全て俺が悪かった」
「……?」

なまえが振り切って逃げてしまわないことを確認してから夏侯惇は掴んでいた腕を離し、零れかけたなまえの涙を指先でそっと掬う。

「俺はお前を愛している、今も今までも、これからもずっとだ」
「元譲、様?」
「何も言うな、少し聞いていてくれ」

最後に零れかけた涙を掬いながら夏侯惇がぽつぽつと話し出し、素直に頷いたなまえへ自嘲気味に笑って見せた。

「率直に言う、なまえと居て正直俺は俺でいられる自信がない」
「……それは、つまり」
「あぁ、いつ理性を失ってお前を掻き抱くかもわからん」
「……っ!」
「自制のつもりで距離を置いたが結局はなまえを傷付けた」

愛しさ故と言ってしまえばそれまでだが、間違いを犯してなまえを傷付けてしまうのは俺の中で赦されざることだと思ったのだ。

すまん、と小さく呟いた夏侯惇になまえは不安が杞憂に過ぎたことと、自分をそこまで大切に想っていてくれたことに、きゅうと胸が切なくなるのを感じた。同時に避けられているよりは、間違いを犯され傷付く方が安心だったのにと伝えれば、調子のいいことをぬかすなと軽く小突かれる。

思わず互いに噴き出した。

「心配して損をしました」
「全くだ、だがこれで心置きなくなまえを抱けるとわかったからな」
「げ、元譲様!」
「なんだ、今間違いを犯せと言ったのはなまえだろう」
「例えばの話ですからそんなっ」
「またお前が不安がる前に、その例えばという仮定を肯定にしてやる」
「え、ちょっ、今からですか!?」
「仕事は終えているはずだろうから、文句あるまい」
「や、待っ」
「もう十二分待った」

ひょいと軽々担がれたなまえ、夏侯惇とその後どうなったのか、今まで以上に仲睦まじくなったと悔しげに曹操が夏侯淵に愚痴を零していたそうな。

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相互記念マッキィさんへ全力で捧げ奉りまくります。

20100615
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