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緩やかな日差しが心地いい昼下がり、書簡をまとめ上げ提出に行く途中でお昼休みをするのに良さそうな木陰を見つけた。これを片付けたらあそこで休もうか、そんなことを考えていると、ふと木陰に誰かが立っているのが見えた。あれは確か……。

じい、と木の上を見つめているのはある程度見知った人物だ。よく知っているわけではないけれど全く知らないわけでもない、顔見知りとでも言っておこうか。

「荀攸殿?」
「ああ、どうも」

振り返った相手と目が合った。眠たげに見える重い目蓋、髪や髭やらはこだわって手入れをしているようではなさそうだ。ぱっと見た印象が2、3脳裏をかすめる。

特に用事もないのに声を掛けたことを後悔した。何を言いたいわけでもない、声を掛けておきながら自分でもどうかしてると思う。このままはいさよならというのも愛想が悪い、相手がそれを気にするかどうかは別の話だが。

それに彼も大しておしゃべりでないことくらい重々承知、以前一度だけ城下の飲み屋で郭嘉殿と話し込んでいるのを見かけたことがある。加えて賈ク殿が「荀攸殿は酒が入ると口がよく回る、今度一杯やってみようかねえ」と言っていたことも思い出した。ああなんていらない情報だろうか。

もちろん今は酒の席ではないから何の関わりも持たない私としゃべることなどないに等しい。そもそも何故私は彼に声を掛けたのか、甚だ疑問である。自分でもよくわからない上に現状かなり焦っている。困った。

無表情、内にあるものを一切読ませまいとする姿勢は軍師たるもの当然のこと。しかし荀攸殿のそれは些か行き過ぎなのではと常日頃から幾度となく心の中で呟いていた。今回も例に漏れず。

一対一で話す時くらい、ただの他愛ない言葉を交わす時くらいもう少し愛想良くしてもよいのでは。歯を見せて全力の笑顔を作れなどとは言わないがあと少し、ほんの少し表情を緩めても。声の抑揚も抑え込み必要以上の感情を全て切り取ってしまったような様は、いくら声を掛けたのはこちらからとはいえ多少なりとも気分が悪くなるというものだ。

しかしそんなふうに不満を抱くのは荀攸殿に失礼だとすぐに考えを改めた。董卓の暗殺に加担していた身である彼は魏に落ち着くまでは牢にいた、味方だと思っていた者に裏切られ董卓の暗殺は未遂、獄中死していく仲間を横目に泰然自若としていたと聞き及ぶ。それでも内心穏やかではなかったはずだ、信用を置きすぎず警戒しすぎず適度な距離感を常に推し量っているのだろう。

心を許しているのはごく僅か。

とはいえそれがどうした!だからなんだ!今はそんなこといっこも関係がない。接点も何もない、接点を作ろうとも思っていないしそれはきっと相手も同じ。このまま気まずい気持ちを引きずって場を去ったら次に会った時にもっと気まずくなるかもしれない。何故私はこうもいらない心配ばかりしてしまうのだろうか、接点がないならないで良いじゃないかとしたいのに。

それもこれも次の言葉を待っているのか(いやこれ待ってるの!?)目線をほんの僅かたりとも逸らそうとせずじっとこちらを見続けている荀攸殿のせいである。もうこの際だ、人のせいにしておく。

「息抜き……ああそう!うん、息抜きですか?」

長過ぎるような気がした沈黙の後、私の方からようやく言葉を捻り出し焦って取り繕う様はさぞ滑稽だろう。何ひとりで焦ってんの?いっそ笑ってくれ。

「そんなところです」

そんなところってどんなところ!?他に言い方ないの?一生懸命話題を絞り出してる私の身にもなってくれませんかね!引きつりそうになる表情をひた隠し、やめておけばいいものを、当たり障りのない言葉をやはり取り繕ってしまう。

「いいお天気ですもんねー」
「久しぶりに陽の光をゆっくり浴びた気がします」

えーっと引きこもりかな?そういえば庭や城外で姿を見たことはあまりない気がする、そもそも彼自身を見かけることもあまりないのだが。

さてそろそろ、にじりにじりとその場を離れる用意をしつつ持っている書簡を届けなくちゃなあ!そう主張するように会話を強制的に切る方向へと持っていく。そういえば今気付いたのだけれど、会話をしている最中も荀攸殿は私から微塵も視線を外さなかった、何この人怖い!え、こわ。

「私もこれを片付けたらこの辺りで日向ぼっこでもしようかなあ、っと」

進行方向に片足を向けて荀攸殿からフイと視線を外す、捨て台詞の感じが否めないのだがこの際仕方がない。日向ぼっこなんかするわけがないのだが、さりげないふうを装うのに今はこれしか思いつかなかった。違和感は無視して欲しい。よしこのままオサラバだ。

「そうですね」
「はーい、それでは!」
「ここにいますので」

歩きだしたところでまさか荀攸殿から返事が戻ってくるとは思ってもみなかった、同意されて待ってますからねとでも言いたげな言葉が続いて疑問しか浮かばない。え、なんで?私が書簡片付けて戻るまで待ってるってこと?もうすでに荀攸殿には背を向けて歩いてしまっているからわざわざまた戻って確認しに行くのも気が引ける。

いやでもほんとなんで?なんでここにいるって言ったんだあの人、意味わかんない。

悶々と考えながら書簡を届けて、代わりにこれをと受け取ったものを所定の位置にしまいに向かった、ほこりっぽい書物庫に顔をしかめる。そのうちここの掃除をさせられそうだなあ。よしこれで手ぶらだ、さっき荀攸殿がいた場所へ恐る恐る足を運んでそろりと覗けば彼はいた。嘘だろ。

あまり動いていないように見える、同じ位置にずっといたのだろうか。やっぱりなんか怖いな。そうっと回れ右をして逃げてしまおうかと思いきや、荀攸殿は敏かった。目というか耳というか全部、全部が鋭いのかと思ったくらいだ。
特別音を立てたわけでもないのに何かを察知して振り向いた、喉が引き攣ったような変な声を出しそうになったけれどなんとか押し留めた私はすごく偉い。荀攸殿と視線が絡み合い、さすがに上手く笑うことができず、引き攣った笑いは隠せなかった。

「ああ、なまえ殿」
「え、へへ、どうも」

あ、やっぱり待ってたんだ。
どうしたらいいかわからないままとりあえず横に並んで立ってみたのはいいが、荀攸殿は私の名前を呼んだきり口を閉じてしまった。それなのにじっと見てくるのやめて欲しい、なんか言え。

「えへ、こ、こんなに天気がいいと部屋に篭るのはもったいないですね!」
「そうですね」

会話ァ!思わず引っ叩いてやりたかったが我慢した私は偉い、ぶつ切りの受け応えにブチ切れそう。

「そういえばさっき聞き損ねたんですが、荀攸殿は何故ここで息抜きを?」

捻り出した言葉に感謝して欲しい、適当な話題すら見つからないのだ。苦し紛れの問いかけに荀攸殿は思った以上に乗っかってきた。

「息抜きというよりかは、待っていました」
「待つ?」
「ええ、以前何度か拠点防衛の際に同じ敷地にいたのを覚えていますか?」

いや全然。全く知らなかった、そんなことあったっけ、私の記憶にはないのだがどうやら荀攸殿とは戦の中で何度か一緒になっていたらしい。私はひとところにとどまるのがあまり好きではない、だからいろんな人のところや場所を転々と渡り歩いている。

愛想はよくないけど周りのことをよく見ているみたい、眠たげだった瞳がほんの少し違う輝きを見せ、それがなんだったのかを理解するのに私はまだまだ未熟だった。

「会話らしい会話をしたわけではないので覚えてないのも無理はありません」
「え、ああ、なんか……すみません」
「くるくると動き回りながら表情の変化も忙しなくて、ずっと見ていました」

いつだろう待ってそんな百面相した覚えないんだけど。予想だにしないところから見られていたことを面と向かって言われるとなんだかむずむずする。いや違うな、ぞわぞわかも。

「え、えへ、落ち着きがなくてよく怒られちゃうんですけどね」
「俺は長所だと思います、周囲に活力を分け与えられる人材は貴重ですから」

どうやら褒められているらしい、とても嬉しいしありがたいなって思うけど荀攸殿は表情筋死んでるくさいからどうしても本心なのかどうか疑ってしまう。あと褒められる理由がない、なぜ褒めた。私をヨイショしてもいいことなんてないよ!

「え、っとなんか荀攸殿に褒められると照れ、ますね」
「そういうところも可愛らしくて好ましいです」

ぎょっとした。中身控えめな郭嘉殿かな?想像もつかない言葉を投げかけられ目を剥きそうになる、それ以上に羞恥が先行して私は思わず走ってその場から逃げ出してしまった。話の流れについていけない、褒め殺しにかかってそのあとは好感度高いですっていう主張。

なんで?疑問で頭がいっぱいになり全速力で逃げた。

どうしよう、もう相手に失礼だとかそういう問題ではなくなったぞ。怒られてもむりはないがそう言われても、と返さざるをえない。とてもじゃないが耐えられなかった、羞恥に弱い私はこの暑さが一体なんなのか、絶対に気づいてやるものかと固く誓った。

20200506
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テーマ「人外ファンタジー」
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