ヴァンパイア・アネクトード | ナノ

神の御許、ここならば全てが赦されると信じていた、己の系譜が例え赤く血塗られ、古い時代から人々に忌み嫌われていようとも、全ての罪を己が一身に受け、他の者を救うことができるのであれば。

私は喜んで罰を受けよう。

生まれながらにして人とは違った存在、神聖なるものとは対極に位置するもの、人の生き血を啜りそれを糧とする吸血鬼、その末裔として私はここに存在する。

俗世間には多くの誘惑や煩悩が存在し、人の血液を欲するという邪な欲望が、生まれながらに同居していた私には幾分住みにくいものであった。この罪そのものを世に野放しておくのは如何なものか、無垢な人々を避けねばならぬ、この欲望が暴走する前に己を律せねば、と聖職に就いた。

人々との関わりを極端に避けるべく、寂れた教会に身を置くべきと考えた、しかしそうそう簡単に物事は運ばぬ、これは私の罪の重さ故だろうか、神は私に幾度となく試練をお与えになる。


「やっぱりここはいい場所ですね、落ち着いて思想に耽ることができて」
「……ああ」


大学内にあるチャペル、私はどういうわけかそこにてチャプレンとして聖職に従事、それについては致し方ないとするが、問題がひとつ。

このチャペルによく足を運んでくる若い女性、名をなまえという。彼女を見てからというもの、押さえ込んでいたはずの欲望がぐらぐらと煮えたぎるのだ、幾分嗅覚の優れているこの身体は否応なしに反応する。

己が欲する血の匂いに。

なまえが学内の図書館司書だと知ったのは半月ほど前だ、それまではずっと学生だと思い込んでいた、学生なればいずれ卒業する、それまで耐えればよいのだ。

しかし時折やってくる血液への異常な渇望、堪え難い衝動に限界を感じている。

それをどうにかして抑えねば、と己の先祖についての文献を探していた。吸血鬼についての古い伝承、発祥の地とされているルーマニアやハンガリー土着の民俗学、果ては解剖学など、聖職者としては異端にも見える行動だったかもしれぬ。

そのほとんどは図書館の閉架に収められている書物、それらを閲覧するのには書類への記入が必要となり、司書との会話が必須、気が進まなくとも行かねばならない。そうしてカウンターへと記入をした書類を持てば、チャペルに幾度となく訪れるなまえの姿。そこで初めて彼女が学生でないと知り、絶望し、同時に胸の奥が爆ぜるようなものを得た。

閉架の書物のタイトルを確認したなまえに、随分と奇特なものを借りるのですね、興味がおありですか?そう尋ねられた、己が欲望の、罪の塊だとは言えるはずもない、興味というよりも聖職者として、忌避すべきものについて無知であるわけにはいくまい、歴史の勉学、その一貫であるとその時は答えた。


「于禁さんは何故聖職者に?」
「……」


チャペルの中で目を閉じ祈るようにしていたなまえがおもむろに口を開いた。(その横顔に魅せられる)ひどく難しい、酷な問い。咄嗟に出せる言葉がなく、黙りこくるとなまえが顔を上げ、こちらを見た。


「すみません、急に不躾な質問を」
「……いや」
「余計なお節介かもわかりませんが、あなたを見ているととても悲しい気持ちになるんです」
「……どういう、意味だ」
「どう、と言われましても……何となくそんなふうに感じてしまって、あの、気を悪くされてしまったらすみません」
「……構わん」
「ただ、上手く言えないのですが、体調が芳しくないような、そんな雰囲気と言いましょうか……」


ああ、やめてくれ。

眉尻を下げ、憂いを帯びたその表情が煮えたぎる内の欲望を刺激する、己が律して制御し続けているそれをかき乱す、薄く開いた襟口から僅かに覗く首筋に視線が泳ぎ、瑞々しい唇が震わされるたびに動悸と息切れが激しくなる。

このままでは……。


「……すまぬ、本当に体調が優れぬのやも」


早々になまえから離れなければまずい、取り返しのつかない事態になってしまっては申し訳が立たぬ。背を向け祭壇へ向って数歩行けば、かたり、となまえが立ち上がった音が耳に届く。

早くこの場から、私の眼前から。

どうか、どうか、お前を……私の穢れで染めたくはないのだ。


「于禁さん」
「っ!?」


どこか私の手の届かない場所へ、そう祈るように頭の中で譫言を並べた、一度は扉へと向かう気配を窺わせたなまえだったが、チャペルの扉の内鍵を閉め、足早に私の元へ戻って来る。

あろうことか、背にぴたりと張り付き名を呼ぶ、急激に上昇する心拍数がまるで警鐘のようだ、なまえの香りがすぐ近くに在る、僅かにでも動けば私の身体はおもむくままになまえを汚すだろう。きつく目を閉じ、爪が手のひらを抉るほど拳を固く握った。


「……わ、たしは熱が、あるやもしれん、風邪を、移しては困る」
「いいえ、熱があるなんて嘘です、だってこんなにも冷たい」


固く握った拳になまえの細くしなやかな指先が触れた、程よく温かなそれに、歯が疼く。


「于禁さん、私を見てください」
「……すまぬ、離れてくれ、後生だ」
「于禁さん」
「私、は……」


背に張り付いていたなまえが離れると、眼前に回ったらしい、目を閉じたままでも気配で窺い知れる。


「このままでは、あなたは」


ぞわりと快感にも似た感覚、全神経が震えた。その一言に浅い呼吸をひとつ、同時に目の覚めるような鼻腔を刺激した匂いに、思わず目を見開く。(長い間焦がれ続けながらも拒み続けたその香りが)白の襟元に映える赤、なまえの手に握られている鋭利なそれに滴る赤。突き上げてくる激情に意識が遠退いた、まるで映画の切れ端のようで視界に入る全てがコマ送りに映る。

なまえの柔肌に唇を寄せ、ひと思いに歯を立てた。





「……」
「于禁さん?」


くたり、と腕の中で力なく私を呼ぶなまえ、細い首筋には痛々しい歯形が残る、神の御前で私はなんということを……。啜った血液の味は何物にも変え難い昂揚感をもたらし、長年苦しみ続けた飢えと渇きを一瞬で癒した。

己を呼ぶ声に何も言葉が出ず、ただただ支えるようにしてなまえを腕に収めている。こんなふうされてしまったにも関わらず、彼女は叫ぼうともましてや私を拒むこともせずに、こちらをじっと見据えている。

2、3度ほど何か言いたげに視線を上下させ、口元を緩めたなまえ。


「あの、実は」


意を決したらしく、変わらず黙って零れる言葉に耳を傾ける、罵倒も軽蔑も覚悟は出来ていた、だがなまえは予想だにしない言葉を私に向ける。


「知っていました」
「……は」
「多分、そうなんじゃないだろうか、そういう憶測の域だったんです」
「私が、忌むべき存在であると……?」
「忌むべきかどうか、私にはわかりません、でもおかしいとか変だとは思いません」


彼女は笑っていた、柔らかい慈愛に満ちた笑顔だった。


「普通の人とちょっと違ってユニークなだけなんだと思います、生まれる場所やどんなふうに生まれるかなんて選べませんし、たまたま血液を栄養源とする生き物として生まれてきてしまっただけで、于禁さん自身に罪はないんです、吸血鬼が悪者だって決めたのは人間、人が神と対をなす者として悪魔や災厄を根絶すべきものだって……ああ、ごめんなさい」
「……」


こんな悪魔崇拝のようなこと、言っちゃダメですよね、神を冒涜するつもりはないんです、ただ、全部を悪だなんだって括ってしまうのはちょっと違う気がしてて。

いっそのこと罵られた方がよかったのだ、そのように私の存在を肯定されては……私は。


「栄養を摂らないと于禁さんは死んでしまいます、そうでしょう?血を飲むことが一般的にあり得ないことだとしても、神は赦してくださっているはずです、そうでなくちゃおかしいんです」
「しかし、なぜ……」
「何故?神が赦してくださっているから、だから于禁さんが生を受けた、そうは思われませんか?」


私には、もはや何が正しいのかわからない、ひとつだけ言えるとすればどうしようもなく……いや、しかし……。


「于禁さんが元気になられたのであれば、血液くらいいくらでもお分けします、大丈夫、神はあなたを」


神の加護よりなまえの愛が欲しいと思ってしまった私は、なんという愚か者であろうか。



20140117
20160218修正
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