暗から明へ | ナノ


回廊を駆け抜け、司馬懿さんのところへと急ぐ。途中すれ違った人々に批難するような視線を投げられ、全力疾走はやめて仕方なく早足になる。

気を付けないといけないんだ。

夏侯淵さんにも言われた、わたしを妬む人がたくさんいる。確かに理由を知る曹操さん達以外はわたしの素性を知らない、だからこんな得体の知れない小娘如きが、なんて思うのは当たり前だと思う。かと言って、こっちだって好きでこんなところへ来たわけじゃない、でも独り野垂れ死にするのも嫌だ。

せっかく居てもいいと言われたからにはそのお言葉に甘えさせて頂きたい、もちろんただとは言わないから、こうして女官となった。

今はただ一刻も早く元の世界に帰りたい、日本の戦国時代なんかよりも遥か前の時代、更に日本ではなく中国。三國志には全く詳しくないが、きっといつ死んでもおかしくないのは確か。怖い思いはしたくない、生きて帰りたいのだ。

居候を許してくれた曹操さん、優しく接してくれた夏侯淵さん。悪い人達ばかりではない、ただ約束を守って与えられた仕事を全うすればいい。

『決して口外してはならぬ』

あの謁見の場で交わした約束、不意に思い出した曹操さんの言葉に映像が加わり、当時の出来事が未だ鮮明に思い浮かぶ。



「碌に調べもせず張遼の女官にするなど冗談も大概にしろ!」
「殿、もしものことがあっては遅いのでは」

女官長さんがやってきて、連れられる少し前にわたしは曹操さん達と、約束をした。

「あまり怒鳴るな夏侯惇、それでなくとも怖い顔をしておるのだなまえが怖がっているだろう」
「ふざけている場合か孟徳!」
「それに張遼、そのもしもがあったとしてこのような小娘、切り捨てられぬお主ではあるまい」

よく見れば愛嬌がある、それに目は口ほどにものを言うと言うであろう。この者は武人の目をしてはおらぬ、人を騙くらかせるほど器用そうにも見えぬしな。

悪戯っぽく笑って見せ、曹操さんはわたしの頭に手を置いたまま夏侯惇さんと、張遼さんに振り返る。

殿のご命令とあらばありがたくお受け致します、張遼さんは若干仕方無しにだが納得したように頭を下げ、夏侯惇さんは無言でわたしを睨むように見据えた。

「……ちっ、わかったからそんな目で見るな」

しばらく見つめ合った後、夏侯惇さんは、がしがしと頭に手をやりながらバツが悪そうに視線を外す。(あぁ怖かった)ほらほら泣かずともよい、怖かったであろう。曹操さんのその言葉に、無意識のうちに情けない顔になっていたことに気付かされる。

「孟徳の人を見定める目だけは確かだ」
「だけとは何だ、失礼な!」
「そこまで言うなら仕方あるまい」

その一言で完全に認められたわけではないが、この魏に居候することが許された。

そこで、今この場にいる3人だけにはわたしが一体どこから来たのかをはっきりさせておくことになり、簡潔に未来ですと答えたら夏侯惇さんにまた睨まれた。遠い未来、そして違う国、原因はわからないがただ池に落ちただけだったと付け加える。俄には信じ難いだろう。

実際に未来の人間であるわたしはここにいてしまってる、張遼さんがその未来は一体どうなっているのかと尋ね、一応平和ではあると返した。歴史は残っている、しかしそれが真の歴史なのかはわからない。歴史は勝者が全てを遺し、例えそれが悪逆無道のもであったとしても、正当化されて書かれる。

それにわたしは全く三國志について詳しくないから到底わかるはずもないのだ。

「未来がどうなっているかなど聞いてやるな張遼」
「と、言いますと」
「先が気になる気持ちはわかる、だが知ってしまっては人生に面白みがなくなるだろう」

未来云々、我らは聞いてはならぬ。そしてなまえは未来から来たということを口外してはならぬ。例えこの先どうなってしまうのかを知っていても、知らずともなまえを利用しようとする輩が出て来るのは火を見るより明らか。

「だからなまえ、わしらはお主をいつか未来に帰れる日が来るまで危険な目に遭わせないと約束しよう」
「で、このなまえには未来云々の口止めだけか?それではお前に利はあまりないと思うが……」

夏侯惇さんの言う通り、確かにそれでは些か不平等。曹操さんは不平等……なあ、とそれこそにんまりと笑った。

「なまえは張遼の下で働くことを忘れておらぬか?」
「……あぁ、そうでしたな」

遥か遠い未来、そんな突拍子もないことに気をとられすっかり忘れていた。うなだれるようにようやく張遼さんが返す。高が口止めと言うが、されど口止め。呉や蜀に知れてなまえをいいように使うかもわからん、意外と口止めは大事であろう。

それに、と曹操さんはもう一言。

「わしが気に入った、大部分はそれで帳消しよ」



次の角を曲がった突き当たりに司馬懿さんの執務室がある。

約束をした時の会話を思い出し、曹操さんの言った最後の一言、その時の夏侯惇さんと、張遼さんの顔はきっとしばらく忘れられないだろう。

石化したように、ぴしりと固まり引き攣ったような表情を浮かべていた。やれやれ困ったお方だと諦め半分の張遼さんとは反対に、夏侯惇さんはわなわなと拳を震わせて、結局は貴様の気まぐれか孟徳!

もともと怖い顔が更に怖かった。お小言を始めた夏侯惇さんを押し退け、女官長さんにわたしを連れて行くよう指示を出し、謁見の場を離れたためにその後は知らない。

(何より時代を超えて、空から来た!なんてわたし自身が一番びっくりだよ)

様付けも別にいらない、好きに呼べばいいと言うし、たまにでいいから話し相手になってくれなんて本当にいいのだろうか。現に好きに呼ばせてもらっていながら言うのもなんだけれど。暗い廊下を突き進み、うっすらと執務室の扉が見えてくる。司馬懿さんに報告をしたら、そろそろ夕食の時間だから張遼さんに夕食を持って行かなければ。

きゅる、と鳴いた自分のお腹。そういえばお昼食べずに掃除していたっけ、あの性悪馬のせいで。

あぁ、嫌なことを思い出した。苦い出来事にふるふると俯き加減に頭を振り、前方不注意だった。脇の曲がり角から出て来た人におもいっきりぶつかって尻餅。

「いてて、ごめんな……さ」

慌てて立ち上がり頭を下げると見覚えのある足元、恐る恐る顔を上げれば張遼さん。やばい。

「あ!ご、ごめんなさいすぐに夕食を持って行きます!」
「気を付けられよ」

くるりと踵を返し、行ってしまう。謝る以外に何て言ったらいいのかわからなくて咄嗟に考えていたことが出て来たが、感情もなにも見えない瞳に絶句。

怖いと言うよりも、痛い。

張遼さんが行ってしまった後も、しばらく呆然と足に根でも生えたかのようにその場で立ち尽くす。意気消沈したまま、司馬懿さんに掃除を終えたことを報告し、例の如く遅いだの、凡愚だの言われ放題だったが、半分聞き流していたようで全く苦にはならずに済んだ。

あいつは一線を引いている、不意に夏侯淵さんの言葉が脳裏を過ぎり無性に寂しくなった。

すっかり意気消沈してしまい、俯き加減に歩き出す、さっきまでの勢いはもうないに等しい、とぼとぼ歩いて相変わらず前方不注意、迫りくる影に全く気付いていなかった。


20100125
20131207修正

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