「確かに入れたのか」
「間違いありません!」
うっすらと雲のかかる灰色の空の下、冬の到来を告げるように北風が吹きすさぶ中、地下牢へ向かう。牢内は暗く、明かりがなければ足元はおろか手元すらも確認できないほどの闇に包まれている。
何故そのような場所へ向かうのかと言うと、先刻一人の衛兵が執務室へと駆け込んできた。
「張遼将軍!不審な輩が場内へ侵入、捕らえましたので報告をと」
聞けば全く以って面妖な者だと言う、見慣れぬ装束に身を包み、空から降ってきて溜池に落ちた。とりあえずは地下牢へと入れたようだ。
そんなことを報告されても、とは思ったものの発見したのは自軍の兵士であり、それを上官に報告するのは、当たり前と言えば当たり前である。
しかし地下牢へ向かったものの牢内はもぬけの殻、手枷と格子が外れており聞かずとも脱走したのだとすぐにわかる。
「非力そうな女でしたので、滅多に使用しない牢に入れたのですが……間違いでした」
「如何にも」
常日頃、如何なる相手にも味方でない限りは気を緩めるな、と諭しているのにも関わらず何たる失態か。確かに滅多に使用しない牢のために老朽化が進み、所々傷んでいたことも災いしたのだろう。
すぐに捜すよう手筈を整えさせ自らも捜索に加わる。鉤鎌刀を携え愛馬に跨がりその腹を蹴った。
(……そう遠くへは行っていまい)
その者に悪意がなくとも侵入者とみなされてしまったからには放っては置けない、見つけ出した後、自分の思うようにどうこうする権限は自分よりも殿にある。また、その者が打ち首になるのか、はたまたそのままつまみ出されるのかは殿の気まぐれで決まることであり、どうなろうと特に興味など微塵もなかった。
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幸か不幸か、牢屋から出られたことは幸だと思う。幾度となく体当たりを繰り返し運よく外れた格子。手に付けられた拘束具は木製でなんとか割ることもできた。
外に出て早く学校へ帰らなければと思う反面、自分でも信じ難いが空から落ちてきたのだ。どうやって空へと帰ればいいのか皆目見当もつかない。リアル翼をください。
さっきまでは真夏だったというのにここは冬が近いのか、突き刺すような風が吹きすさぶ。水に落ちて濡れているせいもあり牢屋にいた時よりも格段に寒い。
行く宛てなどはとにかく、走っていれば暖まるだろうと、速度を緩めずにずっと走り続けてはいたのだが体力を消耗するばかりで、震えは止まらなかった。
(むしろ幸い中の不幸……)
巨大な建物、まるで城のようなところから辛くも抜け出せたものの広がるのは広野ばかりで助けを求めようにも求められない。
一体ここはどこなんだ!
立ち止まり、頭を振ってつい零れそうになる涙を堪える。泣いたら負けだ、来れたってことは絶対に帰れる……はず。
(早くどうにかしないと、このままじゃ凍死する)
もうしばらくの辛抱と思い込み、再び走り出そうと脚に力を入れる。そこへ人の足音じゃない何かが駆けて来るような音、普段聞き慣れないそれは確実に近付いている。
ばっ、と振り返ればすぐそこまで迫る馬とそれに乗る人、近付いていたのは馬の蹄の音だった。よかった、人だ!と思ったのもつかの間。
馬に乗る人物が携えているものを見て全くよくない状況を悟る、鈍く光る薙刀よりも大きな刃が付いた長柄の武器。遠くから見ても、手に取るようにわかる眼光の鋭さが助けてくれそうもないことを示唆。
(お、鬼か!?)
完全に死亡フラグが立った。
さっき捕まった時、周囲にいた人達よりも明らかに纏っている雰囲気が違う。馬に敵うはずがないとわかっていてもこんな怖い人を目の前に立ち止まってなどいられない。すぐさま踵を返してなりふり構わず駆け出した。
「待たれよ!」
掛かる声も無視、足がもつれそうになるのを何とか持ちこたえ、迫る蹄の音から必死に逃れようとする。
すぐ横を大きな影が過ぎたかと思えば、目の前に立ちはだかられ銀色の刃先がこちらに向いた。もう逃げようがない、踵を返したところで背中を切り付けられるだけ。
「大人しくしていれば手荒な真似はせん」
馬上の人は、静かな口調でこそあるもののその瞳は一切の油断も隙もない、かと言って警戒心を剥き出しにしているわけでもなく、目の前に存在しているわたしに対してまるで興味を持っていないようだ。
あえて言うなれば拒絶に近い。(今までにそんな感情の篭った視線を向けられたことなどなかったせいか、少し傷付く)その人はそれ以上語ることなく、刃を向けたままこちらを見下ろしている。
従うか、従わないか。従わない場合には命を捨てたと見なされることを向けられた刃が物語る。
「……大人しく、します」
両手を上げて降伏を示し、放った一言で突き付けられた刃が離れた。
結局は元の場所に戻される羽目になったことを今、ここで死ぬことよりも嫌だと感じたのは、多分この人のせいだと勝手に決め付けていた。
(それは偶然それとも……運命?)
20091211
20131201修正
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