憐れむような視線が痛いです張遼さん。
突如として現れてくださった張遼さんに思わず呆然としていたわたし、子馬は我関せずってひどい話じゃないか。仮にも何もお前、わたし達阿呆とか言われたんですよ、ちょっとはショックを受けなさい。
って馬に言っても仕方ないよね馬だもの、お腹にぐりぐりと頭を押し付けられまた遊んでアピールの始まりだ、厩の後片付けはおしまい、あとは子馬を小屋に戻すだけ。そうやって油断してたら再び鳩尾に一発凄まじい頭突きをもらい尻餅をつく、よもやじゃれつくっていうレベルじゃないと思う、でも子馬もわざとやってるわけじゃないからあんまり怒れないというかなんというか。
尻餅をついた反動で頭の傷に振動が伝わりかすり傷だけど地味に痛い、無意識のうちに眉間にしわが寄る。
「……痛むのか」
「はい?」
そこに張遼さんが脇にしゃがみわたしの顔(というか頭)を食い入るように見つめる、何と無く気まずそうな声色のような気がするから心配してくれてるんだろう。もう一度痛むのか、と尋ねられてしどろもどろになりながらちょっとだけ、と答えた。
尻餅をついたままのわたしと脇にしゃがむ張遼さん、初めてこんな近くで顔を見たかもしれない、色素の薄い瞳はまっすぐで強い輝きを持っている。整えられて天に向かうようにくるりとカールした髭と真一文字に結ばれた薄い唇、穴が空くほど不躾に見つめていても張遼さんは何も言わなかった。
(なんか、変な感じ……)
視線がぶつかりそうになる前に俯いて、つま先に視線を移す、張遼さんと距離が近くなるたびにびくびくするはずの自分が、今はどうやら迷子らしい。
普段のそれとは少し違う。畏怖?ううん、そうじゃない。
不意にの延びてきた張遼さんの手に気付いて飛んでいた意識を手繰り寄せる、延びてきた手がどこに行き着くのかぼんやり目で追った。指先が近い、触れるか触れないか、近付く指先が急に小さく跳ねてあっという間に引っ込められた。張遼さんの視線がわたしを通り越した向こうに注がれる。
ぶるる、と子馬がひと鳴き。
「……お邪魔、でしたかねえ」
白昼夢のような意識下から現実から引き戻されて、思わず自分の肩も驚きに跳ねる。つられて振り返ればちょっとにやにやしている料理長さん、邪魔かと言うわりには全然悪びれた様子はなくてむしろ楽しんでいるような物言いだ。
頭の中で料理長さんの言葉がリフレイン、視線を戻せば張遼さんと目が合った、少なくとも張遼さんにそんな気(いわゆる少女漫画的感情、というやつだ)はなかったとは思うけれど意識せずにはいられない。身体中の血液が顔に集まってる気がする、心臓の音がやけにリアル、ばくばくばくばく、あああうるさい。
二、三歩分尻餅をついたまま後退り、耐え切れず子馬も張遼さんも料理長さんも放ってわたしはその場から逃げ出した。
「おい、なまえ!」
料理長さんの声か背中に刺さる、それでも気にせず自分でどこへ向かうかもわからないまま駆け出した、とにかくその場から離れられればよかった。
心臓が痛むのも息苦しいのも全速力で走ったせいだ、他意なんかない、そうだなんでもないんだ。最も陸上部のわたしがこの程度の距離で心拍数も息も上がるわけがないことや、走る前から感じた状態だったことは丸無視して、ひたすら走った。
(ドキドキなんか、してない!)
ふたつの塑性、不変なものなどありはしない、まだ希望はある。
20110513
20131212修正
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