暗から明へ | ナノ


「それこそ、むぐ、ポジティブに、もぐもぐ、考えなくちゃやってらんないって……これうま!」

早速肉まんを頬張りながら、独り言を繰り返す。本場は違うね、具材も生地もコンビニで売ってるやつとは比べものにならないくらい。

料理長さんに会ったらお礼言っておこう。握りこぶしより一回り小さなそれをぺろり、と平らげ束の間の幸せを噛み締めながら、ほんの少しだけ軽くなった足取りで厨房を出た。

中華鍋ぶたれた頬は未だにすごく痛むけれど、料理長さんからの愛の鞭だと思えばなんてこともない。あれ、なんかわたしマゾヒスト?

今日の仕事はこれでおしまい、あとはお風呂と寝るだけだ。本当は張遼さんが寝るまで寝られないのだけれど、行ってもどうせ追い返されるのがオチ。書簡の整理もなかったようだし、さあ帰りますかとしていたところ。

「おい、お前」

後ろから聞こえてきた声に振り向くと、そこにはいつぞやの厳しい顔付きで眼帯をした、曹操さんのイトコの怖い人。

夏侯惇さんだ。

わたしは何を思ったのか、呼び止められたにも関わらず回れ右で猛ダッシュ。悪いことをしたわけじゃないし、やましいことなど何ひとつないはずなのに、その場から遁走。

わたし何も見てないよ!

おいこら待て!遅れて走り出したらしい夏侯惇さんが怒鳴る、走りながら少しだけ振り返れば、あの迫力満点の顔が迫ってきていて。

「ぎゃああ!」
「待て!貴様待たんというのなら……」
「待ちます待ちます、ごめんなさい!」

張遼さんとはまた違った迫力の怖さを見せ付ける夏侯惇さん、待たなければどうなるかなんて想像したくないので、おとなしく足を止める。何故逃げたのかと聞かれたので、謝ってから正直に怖いものを見るとつい条件反射で、と答えたら、夏侯惇さんの頬が若干引き攣り慌ててお口チャック。

お、おぉ……こわ。

変な汗が背中を伝い、些か逃げ腰になりつつ恐る恐る夏侯惇さんを見上げてみたら、じろり、と睨みを利かせてくるので即座に目線を下げる。

「お前その顔はどうした」
「え、あ、いやあ……まあその、料理長さんの愛の鞭と言いますか、うん」
「……ふん」

まず、顔の痣について聞かれてあやふやに答える、緊張してうまく喋れない。

武将だけに、無精髭みたいな顎髭辺りに視線をうろうろさせ、不意に夏侯惇さんの右腕が延びてきたのが見えた。なんだろうと思う隙もなく、それがわたしの左肩を鷲掴みにしたのでびっくりして思わず本音が漏れる。

「あああ違うんです違うんです!あの肉まんはくすねたとか、そんなんじゃなくて貰ったんです、ええ決してパクってきたとかじゃなくてですね!ひいぃ、すみませんごめんなさい刺さないでえええ!」
「なっ!?おい、馬鹿何を……!」

やましいことなどないと言えば嘘になる、きっとわたしにくれたのだと憶測で食べた肉まんについては、少し後ろめたい気持ちはあった。

もしやあの肉まんは、夏侯惇さんが大事にとっておいた夜食用の肉まんだったのか、そう考えたらつい口が。

「肉まん?なんの話だ……えぇい、いいから少し黙ってろ!」

床に平伏しそうな勢いで、「刺さないで下さい」と「すみませんごめんなさい」をひたすら繰り返すわたしの口を、半ば強引に塞ぐ。夏侯惇さんの手が背中に回り、次の瞬間、目の前にこれまた達筆過ぎた文字の並ぶ紙が突き付けられた。

一見、何が書いてあるのかわからなかったが"司馬懿"の三文字だけ解読することに成功、これがどうかしたのかと夏侯惇さんに向かって首を傾げれば、馬鹿呼ばわりされていた。

え、なんで。まさか夏侯惇さん、司馬懿さんに感化されちゃったんですか。

「よくこんなもの背中に貼り付けて歩けたもんだな」
「背中?」
「付いてたから呼び止めたのに、お前が逃げるから」
「す、すみません……」
「まあ、いい」
「あの、ちなみになんて書いてあるんですかこれ」
「字が読めんのか」
「司馬懿って書いてあるのは辛うじてわかるんですけど、如何せん達筆過ぎて……」

で、一体何と書いてあるのですかと尋ねれば夏侯惇さんは一度考え込むような素振りを見せる。

少し間があって、聞きたいかと問われたので、聞いちゃいけないようなことでもあるのかと思ったが、如何せん気になるので素直に聞きたいと頷いた。

「司馬懿はなまえに熱を上げている、そして足が遅い……と、ある」

小学校低学年レベルのいじめですね、わかります。間違いなく張遼さんの仕業ですね、わかります。部屋を追い出される際に、背中を押されたから多分その時だ。

それと張遼さんの部屋を出てジロジロ見られてたのって、きっとこのせい。こういういやがらせも、端から見れば馬鹿馬鹿しいと思うかもしれないが、ナメちゃいけないこの低学年レベルのクオリティ。

地味に傷付くから、わたし今ものすごい羞恥心と闘ってるから、それにしてもこのいやがらせを見付けてくれた夏侯惇さんには、命を救われた思いだ。もしも司馬懿さん本人に見付かっていようものならば、呼び止められることさえなく、そのままあの殺人光線により確実ご臨終してた。うん、絶対に。

と、なると張遼さんがどれだけわたしを亡き者にしたがっているかが、よーく伺える気がしてならない。あ、どうしようすごく目頭が熱くなってきて、視界が霞んできましたよ。

「がごうどんざん……!」
「うお!?」
「助けて下さったことは感謝じまず、でもわたし、張遼ざんに超嫌われちゃいまじだぁぁあ!」
「こ、この程度で泣くやつがあるか!」

ぐずぐずと夏侯惇さんに縋り付けば、慌てたように引き剥がそうとされる。させるものか、わたしは必死にしがみついた。

しばらく剥りつく剥がされるかの(わたしにとって)生死を賭けた攻防を繰り広げ、夏侯惇さんが深いため息をつき、勝手にしろ、と剥がすのを諦めたことにより勝敗は決した。

この奮闘、粘り強さが勝敗の鍵となる。って、そんなどうでもいいことはさておき、張遼に嫌われたとは一体どういうことだ、この馬鹿げた紙切れと関係があるのか。そう問われたので、待っていました!とばかりに食いついた。

「この紙は間違いなく張遼さんの仕業です」
「根拠は?」
「部屋を出るときに背中を押されたから」
「俺にはお前がそこまで嫌われる理由がわからん」
「そんなのわたしだってわかりませんよ!」

こっちが知りたいですよむしろ説明を切望しますよ、なんでこんなに毛嫌いされてるんですか。

司馬懿さんに嫌われるのはまだわかる、仕事が遅いとか鈍臭いとかよく言われるし、自分だって足遅いくせに……って小さくぼやいたのが聞こえちゃったことがあったから、多分根に持ってる。気にしてるんだろうな、足遅いこと。

それにあの人は常に厭味を言い続けてないと死んじゃう人種だから、仕方ない。例えるなら寂しいと死んじゃうウサギみたいなもんでしょう。

「可能性として思い当たることはある」
「まじですか」
「なまえが女官としてついたこと自体が気に入らないのが、まずひとつ」
「え、そこから!?なんかわたし自身否定された気分です」

確かに、張遼さんは女官とか身の回りの世話をする人は今のわたし以外に誰もいない、誰かが傍にいること自体を嫌がってたみたいだし……曹操さんの命令で渋々わたしをつけたくらいだから、相当嫌だったのだろう。

張遼さん自身がわたしを解雇することはできないから、わざと冷たくしたりして、辞めたいと言わせるべく、いやがらせもしていたとか……?

「そう考えるのが妥当だろう」
「な、なんという凄まじい拒絶……!」
「あいつも馬鹿じゃない、お前を本気で辞めさせると考えているなら、今までのはまだまだ序の口だろう」
「うそでしょー!?」

夏侯惇さんは張遼は諦めて、淵の女官に志願したらどうだとでも言いたげな視線をくれたが、華麗に無視をして差し上げた。

大体そこで俺が面倒見てやる、俺の女官に志願しろなんて気の利いた言葉を掛けるとかですね、してもいいと思うんですけどね、どうしてそこで淵さん推して参るかなあ。淵さんいい人だから彼を悪く言うつもりはさらさらないけど。

「俺はお前のような問題児を率先して面倒見たくなどない」
「ちょっと人の心情を勝手に読まないで下さいよ」
「口に出してたぞ」
「あれ、出してました?」

それにしても問題児ってひどい言いようじゃないですか、わたしこんなに頑張ってるのに憤慨です。せっかく新たなラブロマンス生まれるか!?なんて思いかけたのに。

あーやだやだ、これだからだめなのよ頭の堅い厳つい人は。

「夏侯惇さん、よくよく観察すればイケメンなのにそんなんだと彼女出来ませんよ」
「いけめん……?なんだそれは」
「女の子がキャー!ってなるかっこいい人のことです!」
「ふん、くだらん何より興味ないわ」
「な、まさか……自分のようなガチムチマッチョの男色家……!」
「ばっ……!んなわけあるか!」

ひー!夏侯惇さんにそんな趣味があったなんて、どうりで女っ気ないなあイケメンなのにもったいない顔怖いけど、なんて思ってたら。そっちの人ね、納得。

「見損ないました、グッナイ夏侯惇さん!」
「待て貴様!勘違いするな、断じて違……っ」

くる、と踵を返して走り去る。夏侯惇さんが後ろから何か言っているがわたし何も聞こえない!

かなり瞼が重くなってきたし、明日の支度をしてもう寝ましょう。睡眠不足はお肌の大敵、というわけで神速の如くお部屋へと退散させて頂きました。今日の収穫はおいしい肉まんと、意外にからかい甲斐のあるおもしろい夏侯惇さん、よし、明日も頑張ってやるぞ!


20100428
20121211修正

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