暗から明へ | ナノ


ただでやってもらえるはずはないと一応覚悟はしておいたが、その覚悟が半端だったのか、自分のしたことに少しだけ後悔が生まれた。ぐわんぐわん、と頭の中がまるでホールにでもなったかのように鈍い音が反響している。

「すみませ、ん」
「新入りだからとか、そんなんは通じひんことを覚えとき」

独特の訛り口調に厳しく咎められる。

厨房はすでに片付けられていて、最後に残っていた料理長さんに、もう一度夕食を作って欲しいと頼んだ。勢い余って食べてしまった、なんて言ってしまえば絶対に作ってはもらえないと思って。

だから自分の不注意で転んだと理由を付けた、嘘を付いた罪悪感も多少なりともあった。頭を下げお願いしますと言いかけたところで、中華鍋が横から飛んできてこめかみから頬にかけてのところに直撃。

目の前がちかちかして、直撃の勢いで横に吹っ飛んだ。冷たい床に倒れ込み、当たった部分がじんわりと熱を帯びている。

鍋で殴られるとは予想だにしなかった。

どやされるのも無理はない。着ているものも汚れようと一向に構わない、そのまま土下座で更に頭を下げたまま、すみませんでしたと、お願いしますを繰り返す。

「顔上げや、俺が何に対してこうしたかわかるか?」

料理長さんはわたしの目線にしゃがんで問い掛ける、ぽかんとしたまま一体何を聞かれたのかわかっていないわたしに、言い聞かせる。

どじを踏んだくらいでがみがみ言うんはどっかの軍師様くらいだ、自分はただの料理人で、人の行動にとやかく言う筋合いはあらへん。ただ料理に関して、食べ物を粗末にすることだけは何がなんでも赦せん。

料理長さんがそういうことだ、と説明したところでようやく言葉の意味を理解する。

「ごめんなさい……」
「故意でないならええ、今回だけは大目に見るが次はないぞ?」
「肝に銘じておきます!」

にかっ、と豪快に笑う料理長さんに感謝といくらかの申し訳ない気持ちを込めて、ありがとうございます、と頭を垂れた。

「見かけん顔やんなあ、名前は?」
「なまえです」
「そういやお前、誰付きの女官なん?」
「張遼さんです」
「へえ、あのお方が……ようやっとねえ、最近お姿見んと思たらそういうことか」

立ち上がり、服に着いた埃を少し離れたところで払い落とす。掛けられた問いに答え料理長さんを見れば、もう調理を始めていた。重たい中華鍋を巧みに操り炒飯が踊る。

いい匂い。

やはり張遼さんの女官です、と言うと誰もが目を丸くしてもの珍しげに言う。そこまでみんな口を揃えるということは、ずっと誰も寄せ付けずにいたのだろうか。

作られたものが、また元にあったように次々と綺麗に盛り付けられていく。冷めたものもおいしかったけれど、出来立てはもっとおいしいんだろうな、と思った。

「やっと……ですか?」
「張遼様はこの国に来た時からずっと自分で食事取りに来とった、まだ一年は経っとらんがなあ……ほれ、出来たぞ」
「自分で?あ、ありがとうございます」

元は呂布、という恐ろしいまでに強い人のところに居てその前にも何人かに仕えていたようだが、自分の目指すものを見付けるにまではなかなか至らず、ようやく曹操さんの元で落ち着いたとか。

まるで鬼神の如き戦ぶりには、畏怖を抱く者も少なくない、と。

目付きも鋭いし、髭がある時点でわたしの中では、髭イコール怖い人ってイメージというか偏見があるから、雰囲気だけでも怖い。曹操さんや夏侯惇さん達は、まだ大丈夫、だって喋るし。張遼さんは必要最低限しか喋らなくて、何て言うか……ストイック?

「一匹狼みたい」
「戦ではきちんと連携を取らはるが、私生活はほとんど誰とも関わらんようやと聞いた」
「それって、寂しくないですか」
「考え方にもよるわ、寂しいと感じるか気楽と感じるか」

恐らく張遼さんの場合は後者、わたしだったら無理、耐えらんない。知らない人でも話し掛けまくるよ、寂し過ぎて。

「勝手な人物像を築き上げないで頂きたい」

明らかにトーンの低い不機嫌そうな声、第三者の声に思わず肩が震える。張遼さんが厨房の入口にもたれ掛かり据わった目をこちらに向けていた。

不愉快だ、とでも言いたげな視線はおもいっきりわたし宛て、射殺される勢いってきっとこのこと。この世界に来てからというもの、やけにしたくないような人生初体験ばかりが続く。

どうしようどうしよう、と何に対してそんな風に思うのかわからないのだが(多分張遼さんを前にすると発作的に慌てるようになってしまったのだろう)ひとり身震いしながら、料理長さんと張遼さんを交互に見た。

「お久しぶりですやん、張遼様」
「あぁ」
「どないなされましたん?」
「どうも何も食事を取りに」
「それなら今、こいつに持ってかせるとこでしたわぁ」

くい、と親指で指し示され料理長さんに向いていた視線が再びわたしに向く。

訝しげと言うより嫌そうだというのは重々承知ではいるが、あからさまに向けられるとそれなりに、傷付く。それから料理長さんは、どじ踏んだりしてるようですけどこいつもそれなりに気張ってますんで堪忍してやって下さいと余計なことを口走る。

料理長さんやめてやめて、嘘がばれちゃうから。

「どじ……?」
「はーいはいはいはい!すみませんでした張遼さん、すぐに食事をお持ちし」
「煩い黙れ」

慌てて話題を変えようと声を張り上げてみるが張遼さんに一蹴され、どういうことだと料理長さんに尋ねられる始末。

うわ、どうしようやばいかも。



「お前なあ、正直に話しゃあええもんを……」

苦笑いを浮かべた料理長さんと、こめかみを押さえ深いため息をつく張遼さんに挟まれ、わたしはこれまでにないほど縮こまる。

張遼さんが経過を全て話してしまい、ばれた嘘に料理長さんがからからと笑う。こないな阿呆な顔した奴が、将軍様の食事に毒なん盛る度胸ありませんて。更に毒など盛っていないことを証明するために、目の前で完食された時には呆れも通り越し、呆然としたと張遼さんが付け加える。

ついには腹を抱えて笑い出した料理長さんに、己の行動が恥ずかしくいたたまれなくなってきた。信じてもらうためにはそれしかないと思ったし、他に思いつかなかったのだ。

「正直に話しゃあ、鍋で殴られんで済んだっちゅうに」
「いやでも、まあ人様の食事食べちゃったのはわたしが悪いわけですし」
「その痣は鍋でやられたわけか」
「食べ物を粗末にしなさんなと戒めのつもりが、こんな経過があったとは知りませんでしたわ」

もう痣が浮かび上がってきているのか、張遼さんが一瞥して呟く。俺も加減せんかったし悪かった、と言われ嘘をついたわたしにも否がある。(むしろそんなのばかりかもしれない)

さあさあ、冷めんうちに。料理長さんに急かされ厨房を追い出され、お膳を手に立ち尽くす。お互い無意識に顔を見合わせるが、張遼さんはすぐに逸らしてしまい、部屋へと向かって歩き出す。

何も言われず、ついて行ってもよいものかその場で足踏み、どんどん遠ざかる張遼さんの背中が急に立ち止まり、首だけをこちらに捻る。

「何してる」
「えぇと……」
「食事が冷める」
「は、はい!」

そんな一言だけの言葉がどんなに嬉しかったかなんて、きっと以前のわたしには到底わかるはずもない。


20100313
20131211修正

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