暗から明へ | ナノ


正面衝突、額から何かに突っ込み反動で後ろに反り返る。

うわ、またやってしまった。

また尻餅を付く!冷たい床に打ち付けられるのをもはや諦め半分に覚悟し、重力に身を任せそのまま放置。もし誰かに罵られるのならいっそのことわたしを斬り付けてください、うまくいけば元の世界へ戻れるやも。(下手をしたらそのままご愁傷様かもね)

しかし衝撃は一向にやってくる気配を微塵も見せず、むしろ時間が止まったような、何かに支えられているような。

「これは失礼!お怪我は?」

鈴やかな声が上から降りかかり、先月友達の読んでいた某少女マンガ雑誌の1ページを思い出す。まさかこの展開は。

例えば、咲き乱れる薔薇の幻覚でも見えそうなほど、麗しく心優しいイケメン殿方が転びかけたわたしを抱き留めてくれて……!しゃびらんしゃびらん、となんとも形容のしがたい麗しオーラを思い描きながら、期待に胸を膨らませ、出来るだけ可愛く見えるように上を向く。

出会いってのは第一印象が大事なのだ。よしこい!わたしの王子様。

「はい、なんともありま」
「おや、どなたかと思ったら張遼殿のところの女官では?」
「え、なんで知って」
「司馬懿殿からの凄まじい逃亡劇を拝見した折りに」

グッバイ マイ スウィート ラブ。

ああ、さようなら新しい恋の予感、あんな必死こいて逃げ惑うわたしを見て誰が「可愛い!きゅん!」なんてするものか。わたしが男だったら絶対思わないね、うわあの女超必死、マジうけるんですけどー。ぐらいにしか思わない、自分で言って泣ける。

「あぁ!どこか痛むのですか?」
「……心がですね、折れかけてますね、ええ」

とんだ失態を見られて第一印象もくそもない、自暴自棄に陥りながらもふと相手の顔を見た。

整った顔立ちであることに変わりはないが、好みじゃないことに内心舌打ち。ご迷惑おかけしました、小さく頭を下げる。

「本当に失礼しました」

もう一度ぺこり、と頭を下げ(両手を組んで頭を下げる揖礼とかいう挨拶を教わったが、この時はすっかり忘れていた上に使うタイミングがわからない)その場から退散しようとしたのだが、人生とはそう上手くいかないらしい。

「心が痛むとはなんと嘆かわしいことでしょう……痛む原因、言わずもがなそれは恋!恋の病からくる甘い痛み!」
「……はあ?」

ぐるんぐるん回転しながらわけのわからないことを喋り出す目の前の人、ちょっと頭おかしいんじゃなかろうか、と思うほど好き勝手に妄想をのたまい始めだす。

恋の病?誰が?

あ、わたしか、今ここにはわたししか該当者がいないわけだし。回転しながらもまるで宝塚ダンサーズみたいに劇的なる動きを繰り返すものだから、振り回された長い手足が度々こちらに襲いくる。

少し距離を取りながら、相手が異常に背が高いことに気が付いた。曹操さんがわたしよりも少しだけ上、次に司馬懿さんがおっきいかな。夏侯淵さんよりも夏侯惇さんがおっきくて、張遼さんとどっこいどっこい。そして目の前の宝塚モドキ(仮)は更にその上を行く。

宝塚宝塚、言ってはいるが男の人だ。

……多分。

「美の使者、この張儁乂があなたを美しくして差し上げましょう!」
「美?ちょう、しゅん、がい?」
「そして勝ち取るのです、恋慕う相手からの愛を!」
「べ、別に恋なんかしてな」
「さあお紡ぎなさい、みずみずしい桃のように潤やかな唇から恋慕う相手の名を!」

なんだこいつ、めんどくさいぞ。

厄介な相手に捕まってしまったようだ、失敗ばかりの自分が情けなくて、自嘲として言ったつもりの『心が……』というのは、この人には『あぁ、愛しいあの人に何故わたくしの気持ちは一向に伝わらないの……胸が張り裂けそうに痛むわ、どなたかお助け下さい』

とでも聞こえたのだろうか。もしそうだとしたらこの人とんでもない妄想癖の持ち主だよ、一回病院で診てもらった方がいいと思うなあ。しかもことごとく人の返答を無視するってちょっと傷付くなあ。

「恥じらう必要はありませんよ、私は決して口外致しません」
「恋慕う相手が最初からいないのに、恥じらう必要がどこにあるんですか」
「おや、それは一体……」
「心が痛いと言ったのは、前方不注意で人にぶつかるという過ちを繰り返した自分に対して言っただけです……多分」

甘い心の予感を勝手に感じて、すぐに玉砕したなんて口が裂けても言えません。しかもタイプじゃないとか失礼極まりないだろうし。

咄嗟に思い付いた言い分で、さも当たり前のように誤解を解く。妄想するのは勝手だが、巻き込まれるのだけは御免だ。

「えーと、張……何さんでしたっけ?」
「張コウです、字を儁乂と申します」
「なまえです、前方不注意ですみませんでした、じゃあわたし張遼さんのところへ行かなきゃいけないので失礼しますね」
「そうでしたか、引き留めてしまいましたね」

こちらこそ失礼、では私もこれにて。

とぉうっ!と凄まじいジャンプ力で一瞬のうちにその場から消え去る張コウさん。幅跳び、高跳びのオリンピック選手も真っ青な脚力に感心せざるを得なかった。



張コウさんと別れてため息をひとつ、ついでと言ったらなんだけど厨房の場所聞いておけばよかったなあ、半分迷子っぽいんだよなあ、わたし。

何となく見覚えがあるような、ないようなぼんやり薄明りの廊下をうろうろ彷徨う、早く行かないといけないのに、すぐに食事持って行きますって張遼さんに言っちゃったし。あっちじゃない、こっちでもない、ここはどこ?わたしはなまえですけど何か。

「……なんて遊んでる場合じゃない!」
「何か、お困りですか?」
「わ!?」

頭を抱えてしゃがみこんだ途端に降ってくる澄み切った声、驚いて顔を上げれば綺麗な女の人、軽く上向きにになっている口角、唇の形、綺麗だなあ……って今はそんな見惚れてる場合じゃない!

声をかけてくれた人に、これ好機!と厨房の場所を尋ねたら快く教えてくれて、食事に必要な食器類から持って行くものまで事細かに教えてもらった。天使だ、天使がいる!

「もしや、張遼殿の女官になったのってあなたですか?」
「あ、はい!なまえです!いろいろ教えて頂いてありがとうございます」
「お気になさらず、大変でしょうけどめげずに頑張ってくださいね」
「はい!」

やっぱりいい人もいるんだ、しかも超綺麗な人だったし、では私も先を急ぎますので、とお礼もそこそこにしか言ってないのに行ってしまわれた。これだけいろんな人に張遼さんの女官ってあなた?と聞かれると、相当有名なんだと思う、さっきの人も張遼さんのこと他に何か知ってるかな。

そういえば他の女官の人達とは違う感じの服だったから、あの人は女官ってわけじゃないみたい、役職はなんだろう、秘書みたいなのかな、それとも戦場に出て戦うのかな。

「いや今はそれよりも早く張遼さんのとこに行かないと」

無事に辿り着けた厨房はもう閑散としていて僅かに小さな明かりが灯っているだけ、教えてもらった通りの食器類を揃えて、あらかじめ用意してあった料理を盛っていく。

小籠包美味しそうだな……あっ、麻婆豆腐もある、いいなあ。わたし達は残り物のまかないだから、これは食べられない、つまみ食いしたくなるのを我慢しつつ、全てを揃え小走りに張遼さんの部屋へ向かう。

途中で服の裾に突っかかって転びそうになったのを耐え、すんでのところで踏み止まった自分を称賛、両手は食事が乗っている盆で塞がっているのだ。つまり張遼さんの部屋に到着したけれど、ノックが出来ない!床に置くなんてことは論外、近くに一旦置けるような台もない。

だから仕方ないと思うんだ、誰も居ないよね?見られてないよね?うん、よし!つま先で扉をノック。

「なまえです、お食事持ってきました」
「……入られよ」

微妙な間があって張遼さんの返事が聞こえた、肩で扉を押し開けると嫌そうな表情とご対面、竹簡(っていう竹の巻物?)に書き物をしていたらしい、持っていた筆を置くと机の脇にあるサイドテーブルみたいな少し低くなっている机を指差した。

そこに置けってことだろう。

「これで用件は済んだであろう」
「あ、はい」

再び筆を持ち直して張遼さんはすぐに下を向く、嫌悪に拒絶、それから無関心。いくらこの環境に意地でも順応しようと意気込んでもこんな調子が続けばめげたくもなる、夏侯淵さんや親切だった綺麗な人にも言われたように、本当大変なのだとしみじみ思う。

気を強く持って気にしなければいいんだ、どこまでも鈍感を演じてみれば何かしら変わるだろう。好きで来たわけじゃないこの世界、住めば都っていうのは慣れと妥協で成り立ってる。(と思う、多分)でも諦めることはしたくない。

少しでも会話を成立させてコミュニケーションを図る、上司との円滑な関係を結ぶのには嫌なやつでも進んで話し掛けねば!そういうわけで、今更だけど拾ってもらってここに置いてもらってるお礼を込めて、張遼さんに向って深々と頭を下げる。

「なんだ、急に」
「いろんな意味を込めた感謝を表現してます」
「だから、何の」
「拾ってくださって」
「私ではない、兵らだ」
「でも取りまとめてるのは張遼さんですよね、後はここに置いてもらって」
「それは殿の計らいで仕方なく、だ」

渋々命令でも置いてくれてるじゃないですか、と言えば心底嫌そうな顔をされた、お礼言ってんのに反応それかよ!どついて突っ込みたいところだけど、そんなことしたら不敬罪?かなにかでバッサリやられるのは想像に容易い。

とにかく仲良くなるには話し掛けまくる、それしかコマンドがない状態だ、相手がどうであれフレンドリーな姿勢を保たねば!

「とにかくですね、ありがとうございます」
「……いらぬ言葉だ」
「またまた張遼さんてば、照れなくてもいいじゃな」
「……」
「お、おぉう……何でもないです失礼致しました!」

ちょっと馴れ馴れし過ぎたかな、途端に青筋を浮かべて頬が引き攣った、持っている筆がみちみちと嫌な音を立ててお怒りのご様子、やだ怖い!

慌てて部屋を飛び出しバタバタ廊下を走ったけれど、今回は運良く誰も居なくて変な視線は飛んでこなかった。


20100215
20131210修正

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