それから滝川が帰ってきたのは、三十分後のことだった。
帰宅した滝川は、一人で客間にやってきた。

「おかえりなさい、法生。逢樹と清燕は?」
「ただいま。逢兄は静兄に連れてかれて、燕兄は外の手伝いしてる」

ちょこんと何気にリンの隣に座った滝川は臙脂色の着流しを着ていて、髪も下ろしていた。
リンの隣に座ったのは無意識らしい、麻衣達の不安そうな視線にきょとんとしている。
その様子に少し微笑した昌代は新しくお茶を淹れて息子に差し出し、滝川は礼を言い受け取った。
冷ますためにすぐには口を付けず、ことんと座卓に置く。
同時に客間の障子がすっと開かれた。

「ちょっと失礼しますよー。お、帰ってたんか、姫」

滝川を見ながら「姫」と言い放った人物は、僧衣を着ているところを見ると煌瀧寺の僧侶らしい。
滝川は拗ねたように彼を見上げ、言葉を返す。

「さっき帰ったの。ていうか俺、姫じゃないし」
「小さい頃はあんなに可愛らしかったのになあ。すごい人見知りだったし。姫っつー呼び方が一番似合ってた。可愛いのは今もだがな」

昔を思い出しながら語る僧侶に昌代はそうねえ、と頷いた。
話題にされている滝川自身は拗ねた顔をいっそう不機嫌そうなものにして、僧侶を睨め付ける。
視線の意味を理解した僧侶は肩を竦めて大人しく口を噤んだ。

「それで、どうかしたの?」
「ああ、今日の晩飯どうするか聞きたかったんですよ。姫が帰ってきてんなら好きなもの作りたいし」
「だそうよ、法生」

話を振られ、温くなったお茶を飲んでいた滝川が首を傾げる。
いきなり言われてもすぐには思い付かない。
考えながらお茶を啜り、待つこと数十秒。
思い付いたらしい滝川は湯呑みを置いて、僧侶に答えた。

「風呂吹き大根食べたい」
「了解。楽しみにしとけ。ああ、劉樹様があとでこっちにいらっしゃるらしい」
「あら、それなら私は外した方が良いわね。清燕達の方を手伝うことにするわ」

そう立ち上がり、一礼して部屋を出た昌代に続き、僧侶もひらひらと手を振って去っていく。
それから時折昌代がお茶を持って来たりしているうちに一時間ほど経った。
静かな足音が聞こえて同じように障子も開かれると、昌代と同年代の男性が入ってきた。
剃髪ずみの頭に一目で住職だと分かる姿。
顔立ちはどことなく滝川に似ていて、どちらかと言うと滝川は母親似らしい。
男性は滝川の正面に正座をした。

「初めまして、法生の父の劉樹と申します。いつも法生がお世話になってるね」
「いえ、こちらも彼の力には助けてもらっていますので」
「そうですか。それなら良かった」

滝川で一番力が強いのは法生だから、と続けた劉樹に滝川が目を逸らす。
力の強さのため本来跡を継ぐのは滝川だったのだが、音楽がやりたくて家を出たのだ。
では長男がということになったらなったで、逢樹もさっさと上京してしまっていた。
最終的に跡継ぎは清燕になって、こうして自分達は自由にできている。

「法生はどういう事件に関わったんか話さないから、足を引っ張っていないか心配でな。そういうところはお義父さんに似ている」
「え、じいちゃん何も話さなかったの?」

驚いて聞き返した息子に頷き、逆に知らなかったのかと劉樹も少し瞠目する。

「お義父さんはお前とどこに行ったと話してはいたが、何をしたかとは話さなかったぞ。恐らく知ってたのはお義母さんだけじゃないか?」
「そうなんだ……俺、じいちゃんが言ってるかと思ったから何も言わなかったのに」
「確かに何も聞かなかったな。けれど、その方が良いと思う。普通の体験なら話しても問題はないだろう。だが、お前のはそういう次元じゃない。だからお義父さんは何も言わなかったのだろうな」

ああ、そういうことかと滝川は納得する。
幼い頃の体験は、確かに無暗に話さない方がいいかもしれない。
言霊というのだろうか、常人には手に負えない次元のものだ。

「そろそろ戻らないとな。町の人達の手伝いにも行かないとならない」
「俺も行こうか?」
「いや、お前はまた明日から調査があるんだろう。今日は休んでおけ。それか坊主共の顔見に行ってやれ。狂喜乱舞するぞ」

冗談めかして言う父親に滝川は笑みを零す。
幼い頃から可愛がってくれている僧侶達は帰るたびに喜んでくれる。
父親にうん、と滝川は頷いて、劉樹は不意に息子の隣に座るリンが視界に入る。
リンは滝川の方を向いていて、それに気付いた滝川が彼を見上げ首を傾げる。
角度的にリンには堪らないことになっているはずだが、付き合っているとばれるわけにいかないので、リンはどうにか色んなものを抑えた。
結果、少し微笑んだリンに対し、滝川はふにゃりと気が抜けたように笑った。
その笑顔がまた直視すると大変危険なものでリンは必至で耐えた。
知っているメンバーだけだったら確実に抱き締めている。
劉樹はといえば、二人の様子に違和感を感じた。
何だろう、この雰囲気は。
仕事仲間、いや友人と言っても少し親密ではないだろうか。
しかし末の息子はわりと距離が近いところがある。
たとえば小学校や中学からの友人だったり。
まさかと思い至った結論は振り切って、ただ息子の性質なのだろうと強制的に自分を納得させた。
夕方になる前、裏山に行くからと客間を出ようとした滝川を、男性が数人引き留めた。
中には静蕾がいて、他の二人は一同は見たことがなかった。
客間に戻され、戸惑う滝川に、褐色の髪と目をした男性が口を開く。

「法生、とりあえず裏に行くのはあとにしろ」
「何で」
「今回の依頼の件と、魂流しについて話がある」
「……それ、どういう繋がりがあんの」

眉を寄せた滝川に男性は溜め息を吐く。
お前が一番わかっているだろうに、と言いたげな目に思わず言葉に詰まる。
確かに自分が一番分かっているだろう。
あの事件と、魂流し。
約束だ、今も続いている。
けれど先に約束を破ったのは自分の方。
今回の件は自分一人では手に負えない。
だからSPRの面々を呼んだのだ。

「あの時、何があった」
「言えない」
「なぜ?」
「約束だから」
「誰とのだ」
「……言えない」

俯いて間を空け、返した言葉に男性がそれは深く溜め息を吐いた。
何度訊いても返ってくるのはこれだ。
智羽にもその場にいた面子にも訊いてみたが総じて何も言わない。
何度訊いても同じで、怖いほどあの事件については沈黙を貫いている。
額を押さえて諦めた男性に代わり、今度は隣の僧侶が苦笑しながら引き継ぐ。

「法生、俺達はお前のことが心配なんだよ。その辺りはわかってくれ」
「……うん、わかってる。でも、言えないんだ」
「一つ聞くが、あの事件に、旧校舎の鏡は関係あるのかな?」

はっと滝川が顔を上げる。
何かを言おうとして口を閉じ、きゅと眉を寄せる。
察してくれと目で訴える滝川に、僧侶は微笑んだ。

「わかった、言わなくていい。ちゃんと伝わったよ」

あっさり引いた僧侶に滝川が安堵の表情を浮かべる。
滝川の隣に膝を付き、手を伸ばして頭を撫でる。
滝川よりも濃い焦げ茶の目を和ませて、僧侶は微笑んだ。

「お前は本当に昔から変わらないね」
「いいからお前はそこを退け」

言いながら、男性が僧侶の肩を掴んで自分の後ろへと追いやる。
呆れた表情をして溜め息を吐いた彼を気にせず、滝川と真正面から向き合った。
滝川よりも濃い、褐色の目は鋭さをなくして、柔らかく細められる。

「なあ、法生。この事件が終わったら、全部話せるか?」
「……わかんない。話していいのかもわかんない」
「そうか」

一言返した男性はこつんと額同士をくっつけた。
ナルや静蕾、僧侶以外が驚いたのと同時に、リンがわずかに不快そうに眉を寄せた。

「にいにい達はお前が心配なんだよ。それだけは、わかってるな?」
「……うん」
「よし。いい子だ」

満足気に頷いた男性にぐしゃぐしゃと髪をかき回され、滝川がくすぐったそうに笑う。
その様子に男性は愛しげな眼差しを向け、次いでナル達の方を見やる。

「明日から調査開始するんだろう。明日は一応、俺と清燕も行く」
「……構いませんが、僕達はあなた方がどなたか知らない」
「ああ、言ってなかったか」

面倒そうに息を吐いた男性は僧侶を示し、「弟の清燕だ」と説明する。

「俺は逢樹という。清燕は滝川の次代住職に当たる。法生は俺達の弟だ」

そう言われると確かに顔立ちが似ている。
それにしても、逢樹と清燕は二つ、三つ程度しか離れていないだろうが、逢樹と滝川はかなり歳の差がある。
十歳は離れているのではないだろうか。
最近では珍しい年齢差ではある。

「お邪魔しますよ」

声とともに開けられた障子の外にいたのは、数時間前に滝川に夕飯のおかずを訊きに来た僧侶。

「光頼(みつより)、どうした」
「客が来てるぞ、逢樹に」
「客?……まあいい。出る」

怪訝な表情をしながら逢樹は玄関に向かい、光頼と呼ばれた僧侶はそれを見送る。
そうして滝川を見、笑みを浮かべた。

「姫、夕飯は楽しみにしててな」
「うん。サンキュ」
「姫のためなら夕飯くらいどうってことない」

あとでな、と手を振って僧侶も持ち場に戻って行った。
その後、裏山に行ってしまった滝川は夕飯前に帰ってきた。
何をしに行ったのかは、話さなかった。

 
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -