某所の寺――煌瀧(こうろう)寺、寺内の奥の住居となっている離れ。
その一室の障子が、唐突に、しかも離れ内に音が響くほど乱雑に開け放たれた。

「昌代様……?」

ちょうど庭にいた青年が目を見開く。
障子を開け放ったままの体勢でいた女性は青年を見下ろし、鋭く言い放った。

「法生と智羽を呼び戻して。今すぐに」
「はい。―――理由を伺ってもよろしいですか?」

青年の静かな問いに女性は佇まいを正し、先程の衝撃で若干外れた障子を一瞥する。
基本的に彼女は穏やかで、滅多に言動や行動を荒くすることはない。
だからよほどのことなのだろうと青年は察した。

「もうすぐ魂流し(たまながし)でしょう?だから先見をしてみたの。そうしたら、鏡と校舎が見えたのよ」

女性の言葉に青年は眉を顰める。
鏡と校舎。
あまり聞きたくない単語だ。
過去のことを思い出すと必然的に、歳の離れた幼馴染みの姿がよぎる。

「鏡と校舎……ですか。それは……」
「ええ。だから法生と新夜を呼び戻さないと」
「わかりました、連絡してきます。あの二人なら今の時間でも起きてるでしょう」
「よろしくね」

女性に見送られながら、青年は彼女の部屋の近くにある電話台へと向かう。
そして、まずは本家の末っ子の番号を押した。



深夜の寝室に緩やかな着信音が響く。
ベッドの中で楽譜とにらめっこをしていた滝川は、この時間に掛かってくるはずのない着信音に慌てて携帯を手に取った。

「もしもしっ」
『ああ、やはり起きてましたか』

耳へ流れてきたのは、リンと同じくらい低く、けれどまったく違う穏やかさを含んだ声音。
普通はここで慌てて取った自分が馬鹿に思えるが、滝川の知る限り声の主は基本的に何があっても動じることはない。

「静兄、わざわざ家から掛けてくるなんて何かあったのか?」
『ええ。なので法生、明日にでも戻ってきなさい』
「何で」

珍しく無茶を言う彼は、理由を話す。
その理由を聞いた途端、思わず滝川は飛び起きた。
色素の薄い瞳は丸くなり、驚愕の色を浮かべている。

「本当に……?」
『ええ。だからあなたが戻ってくる必要がある。それをわかってください』

落ち着いた青年に声音に滝川は見えないのにもかかわらず、何度も小さく頷いた。

「わ、かった……明日には戻る」
『はい。―――ところで、法生』

唐突に青年の声音が変わった。
先程までの重さはなくなり、今は優しい響きが混じっている。
昔から変わらない、自分を護ってくれる響き。

「何?」

見事な雰囲気の変化に滝川が呆気に取られつつ聞き返す。
突然切り替わるものだから、時々こちらがついていけないのだ。

『例の恋人は、どういう方なんです?』
「へ?」

予想外の質問に間抜けな声を出してしまった。
青年は携帯の向こうで苦笑してもう一度繰り返す。

「どういう方って……静兄みたいな奴」
『私ですか。それはまた、変わった方を選びましたね』
「自分で言うか」
『本人だから言うんですよ』

青年の言葉に滝川は笑みを零した。
確かに恋人と彼は、性格的に似すぎている。
滝川は背後に現れた人物には気付かずに会話を続ける。

「でも、静兄より無愛想だよ」
「誰が?」
「誰がって、リ……リン……?」

青年のものではない声が背後から聞こえ、恐る恐る後ろを振り返った。
そこにいたのは不機嫌丸出しのリンだった。

「り、リン……いつの間に風呂から……」
「“どういう方って”、の時から」
「結構前からいたんだな……」
「ええ」

滝川が心なしか怯えながらリンと話していると、携帯から滝川を呼ぶ声が聞こえた。
それにリンの機嫌が更に下降する。
滝川は慌てて青年に断りを入れ、電話を切った。
携帯をサイドボードに置いたのを確認し、リンは滝川を抱き寄せる。

「誰と話してたんです?」
「実家にいる兄貴みたいな人。お前のこと話してたんだよ」
「私のことを……?」

予想していなかったのか、リンが瞠目した。
滝川は笑みを浮かべて、彼の肩に額を預ける。

「いずれ直接会わせたいな。気が合うと思うぜ」
「日本人でしょう」
「いや、日中のハーフだよ。お前と同じ香港出身。背格好も性格も言葉遣いもお前に似てる」
「……そうなんですか」

何とも言えなさそうな顔をするリン。
滝川は面白そうに微笑んで、両腕を恋人の首へ回す。

「俺、実家に戻るの明日からになったから」
「明日?何故そんなに急に」
「向こうで色々起こったらしいんだ。だから、一週間会えないけどちゃんと睡眠とか食事摂れよ?」

恋人の言葉にリンは眉を寄せながらも頷く。
理解はしているが、納得はしていないのだろう。

「……では、あなたが帰るまで一緒にいてください」
「当たり前だろ」

くすくすと笑いながら答えた滝川にリンもつられて微笑む。
そうして、引き寄せられるように唇を重ねた。
その夜、とある旧校舎の鏡が割れた。

 
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