朝、僧侶達より数時間遅れて起床した麻衣は、人数が足りないことに気付いた。
ナルはともかく、綾子達はすでに起きていて一番最後だけは免れたと安堵する。
しかし、足りない二人はよほどのことがない限り寝坊するような人間ではない。
不思議に思い、男性陣の部屋も覗いてみたが誰もいなかった。

「ねえ、ぼーさんとリンさんは?」
「まだ寝てるんじゃない?」
「でも部屋にはいなかったよ?」

麻衣の言葉に寛いでいた綾子達は首を傾げた。
部屋にもいないということは、二人はどこにいるというのか。
まあ何にせよ、彼らは一応恋人同士なので二人一緒なら放っておいてもよさそうだ。
もし寺の敷地内にいるのならば、何か起こるとは思えない。
そう結論付けて、麻衣は冷やされた麦茶を口に含んだ。
久しぶりに幼馴染みの末っ子の部屋を覗いた静蕾は、珍しく嫌そうな顔をした。

「どこにもいないと思ったら……」

この二人は、と内心で続けて溜め息を吐く。
一つの布団に片方は腕の中の人物を抱き締め、片方は恋人の片腕を枕に腕の中で安らかな寝息を立てている。
まさしく仲睦まじい恋人同士の光景だ。
まだ着流しを着ているだけいい方か。
だが、この光景を約一名が見れば大騒ぎすることが目に見えている。
なので静蕾はさっさと障子を閉めようとした、が。

「何やってる、法生の部屋の前で」

噂をすればなんとやら。
なぜこうも、こういう時だけはタイミングが合うのか。

「……何でもありません」

二拍くらい間を置いて返した静蕾に逢樹は何やら感じ取ったようで、素早く彼を押し退けると室内へ目を向けた。
その瞬間、逢樹は静止した。
予想通りの反応に静蕾は深い溜め息を吐いて、呼び掛ける。

「……………逢樹」

応答は、なかった。
色々気を遣い過ぎていていい加減面倒くさくなった静蕾は、遠慮なく逢樹の脇腹をどついた。
突然の攻撃と痛みに患部を押さえて蹲る逢樹を退けて、静蕾は幼馴染みとその恋人を起こしに掛かった。
叩き起こされた二人は、メンバーに宛がわれた部屋で正座をさせられていた。
正面にこちらは胡座をかいた逢樹が絶え間なくリンを睨んでいる。
隣に座った静蕾と、滝川から少し離れたところにいる智羽は、事情を知っていたことから強制的に同席させられている。
そして麻衣達は安原とナルを除き、固唾を飲んで見守っていた。
ちなみに安原は楽しそうに傍観し、ナルは当然無関心で読書中である。

「いつからだ」

主語が抜かれた問いに滝川は誤ることなく意味を汲み取る。

「昨年のー……八月?」

だよな?とリンに訊くと黙って彼は頷いた。

「半年以上も付き合ってて何も言わなかったのか?」
「逢兄と燕兄には言いにくかったんだよ。燕兄はお小言ですむかもしれないけど、逢兄は絶対反対するようなこと言うだろ」

末弟の発言に思わず逢樹は言葉に詰まった。
逢樹の性格をよく理解しているこの末弟が言った通り、溺愛する大事な弟に恋人(しかも男)ができたと知ったら自分は迷わず反対するだろう。
だが、末弟に言い負かされている場合ではない。
末弟の恋人になったリンは、無口無表情無関心の三拍子だという。
末弟の言葉を借りるなら、雰囲気や性格が静蕾に似ていると。
静蕾の性格を誰よりも理解している逢樹にとって、それだけはごめんだ。
無表情の中で何を考えているかわからないし、さりげなく腹黒で初めて会った時など鋭い刃のような眼差しで見られたのだ。
しかも雰囲気は誰も寄せ付けず、近寄ったら鋭利な刃物で切られるのではないかというくらい鋭かった。
今では昔からは考えられないくらい穏やかになっているが、それでも他人に対してはとことん雰囲気は鋭利で無関心だ。

「……なあ、弟よ」
「なに、兄貴」
「お前、静蕾の昔の性格考えてみろ。まさにそいつみたいな感じだったぞ」
「静兄は俺が物心ついた時はもう今の感じだったけど」

ああ、そういえばそうだったと逢樹はうんざりしたように息を吐いた。
静蕾と同じような性格と聞いただけで疲れる。
長兄の様子に気付きながらも、滝川は口を噤むことなく続ける。

「それに、これでもリンは丸くなったよ。初めて会った時はろくに話なんてしなかったけど、静兄の初期状態とほぼ一緒だったと思う」
「初期状態……」

微妙な表現に静蕾が複雑な表情をし、智羽は盛大に笑った。
しかし、静蕾に無言の威圧を向けられたので大人しく笑みをしまった。
末弟の言葉に逢樹は額に手を当て、目を閉じて黙りこんでしまう。
突然黙ってしまった長兄に滝川は困惑を表情に浮かべ、リンの着流しの袂を引く。
リンはその手を取り指を絡めて握った。
更に困惑する恋人に微かに笑ってみせる。
滝川は何度か瞬いて微笑んだ。
穏やかな笑顔に今すぐにでも抱き締めたい衝動に駈られ、リンは必死でそれを抑えた。
あとで思う存分抱き締めようと決意し、未だに黙りこむ逢樹を眺める。
数分くらい経っただろうか、彼はようやく口を開いた。

「法生、本当にそいつで良いんだな?」

ゆっくりと、重々しい口調で末弟に確認する。
滝川は無言で、けれどしっかりと首肯する。

「…………そうか。法生、もう一つ確認するが」
「なに?」
「旧校舎の件、話せるか」

兄の言葉に滝川は、ただ首を振った。
淡い、優しい笑みを浮かべて。
これは自分の問題だからと、自分と彼の約束だからと。
逢樹はそうか、と呟くように頷いた。

「わかった」

なら、俺が言うことはもうない。
そう言い置いて逢樹は静かに部屋から出ていった。

残された滝川はぽかんと逢樹が去った先を見つめた。

「滝川さん?」
「え、あ……」

リンの呼び掛けに滝川は我に返って温くなった麦茶を喉へ流し込む。

「どうかしましたか」
「いや……ただ、逢兄があんなにあっさり引くとは思わなくて」
「逢樹も、ちゃんと頭では理解しているのですよ。それに薄々ですが気付いていたんだと思います」

苦笑しながら答えたのは静蕾だ。
甚平姿で麦茶を飲んでいた智羽も彼に同意する。

「逢兄が法生に恋人が出来たこと、気付かないわけがないからねー。法生が態度崩さなかったから一応は理解したものの、納得はまた別の話だから」
「そうですね。あのブラコンはいい加減何とかならないでしょうか」

仕方がないといった風に溜め息を吐いた静蕾に、智羽も眉を寄せて頷いた。



その日の昼、一同は東京に戻った。
行きは別々だった彼らは、帰りは滝川も一緒のため彼の車で帰った。
途中で色々寄り道しつつも、どうにかその日のうちに戻ることができた。

「つっかれたー」
「お疲れ様です」

滝川はリンの部屋の、寝室のベッドに倒れ込む。
湯上がりで火照った体が、冷たいシーツで中和されて気持ち良い。

「きちんと拭かないと風邪引きますよ?」

優しい手付きで、まだ濡れた髪をタオルで拭くリン。
その行為に滝川はいつもと立場が逆だと思いつつも、されるがままになる。

「ごめんな」

髪に付いた水滴を拭われながら、滝川は唐突に謝った。
何が、と問い返したリンに、彼は申し訳なさそうな表情をした。

「色々。心配させたり、燕兄のお小言に付き合わせたり。あと、逢兄のことも」
「謝るほどのことじゃないでしょう。心配したのは確かですけど」

タオルを取り、乱れた髪を整える。
髪を梳かれる感覚に心地好さそうにリンの手に擦り寄る。

「心配させてごめん。これからはできるだけ無茶しないようにするから」

絶対にしない、とは言わない彼にリンは内心苦笑した。
これから先も、滝川は仲間のためなら躊躇いなく体を張るだろう。
それを彼自身が確信しているため、あえて絶対とは言わないのだ。
滝川のそういう部分をもどかしく感じながらも、どうしようもなく愛しい。
けれど滝川が傷付くのは正直、ものすごく嫌なのでリンは無茶をするたび怒る。
リンにとって滝川は大切で愛しい、何よりも大事な唯一無二の恋人。
滝川の行動一つで一喜一憂して、時折愛しさや嫉妬心が爆発する。
そういう時、彼はいち早く察知してリンを宥めるのだ。
鈍感なのか鋭いのか分からない彼だが、そこがまた愛しい。
リンは髪を梳く手を止め、心地好さそうに目を閉じている滝川の目蓋に口付ける。
目を開いて首を傾げた滝川に次は額に唇を寄せて。
くすぐったそうに微笑んだ彼を、リンは力一杯抱き締めた。



「名前、マコトな」
「マコト?……何か平凡」

告げられた名に少年は憮然とする。
目の前にいる彼は笑いながら、チョークで黒板に文字を二つ書いた。
そこだけ白く浮かぶ文字に少年は眉を寄せる。

「真実?」
「そ。これでマコト」
「……何でそんなもの」

不機嫌一直線な少年に彼は楽しそうに笑い声を立てて、壁に掛かっている鏡を示す。

「鏡は真実を映すだろ?」
「真実ばかりとは限らないよ。映ってるのは表面だけなんだから」
「他はそうでもお前は違うだろ?」

笑みをしまわずに訊いてくる彼に少年は更に首を傾げた。
不機嫌というより、どちらかというか困惑が勝っている。

「お前は嘘が嫌いだ。だから、真実だけを映す。違うか?」
少年は大きな漆黒の瞳を溢れ落ちそうなほど見開いた。
彼の明るい琥珀色の瞳が、笑っているのにすべてを見透かすような色を宿している。
その琥珀色に、少年は初めて自分を理解してくれる人物が現れたことに、今になって気付く。
嬉しそうに微笑んだ少年の頬を、目尻から溢れた雫が一筋流れた。
驚いて慌てる彼に少年は確信した。
初めて、自分を理解してくれる唯一無二の友人が出来たのだと。


 
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