旧校舎の事件は終わり、付喪神である少年はあのあと無事に新しい鏡へと移った。
鏡は隣の本校舎の生徒会室に飾られ、旧校舎は取り壊しが決まった。
一同は撤収作業も終わり、滝川家へ戻ってきていた。
このまま何泊か泊まり、二日後に行われるという魂流しを見てから帰る予定だ。
理由は一同の好奇心と、珍しくナルが興味を示したので。
そして本日は、噂の魂流し当日である。

「そういえば、桜さんって霊、いなかったね」

まだ起きてこない滝川を待つ間、麻衣が思い出したように洩らす。

「成仏なされたんでしょう。滝川さんが除霊するとも思えませんし」
「そっか、そうだよね」

真砂子の答えに麻衣が笑顔を見せると、唐突に部屋の障子が静かに開けられた。
滝川かと一同は思ったが、それも一瞬で否定された。

「……まだ起きてないんですか、あの子は」

眉間に皺を寄せ、難しい顔をする静蕾。
その彼の後ろから、意外な人物が顔を覗かせた。

「あれ、まだ法生寝てんの?」
「智羽さん!!」

驚愕の声を上げた麻衣に智羽はにっこり笑い、片手を上げた。

「久しぶりだね、麻衣ちゃん。リンも相変わらずで。法生と喧嘩とかしてない?」

ちらりと投げ掛けられた視線に、リンが目だけで肯定する。
なぜリンに滝川との状況を訊くのかとは静蕾は問わない。
果たして彼は二人の関係を知っているのかと、女性陣とジョンが内心焦った。
だが、それは杞憂だったらしい。

「智羽、そういうことは逢樹や清燕の前で言わないように。特に逢樹にばれれば、大騒ぎしますから」
「わかってるよ。燕兄はお小言一時間くらいですむだろうけどね」

想像したのか智羽はくすくすと笑い、しかし不意に真面目な表情へ変える。
手にしていたボストンバックを学生鞄のように担いで、眉を寄せた。

「逢兄のあの弟離れのできなさは、少し異常だよ。まあ、あたしが言えることじゃないけどさ」

あたし準備あるから、と言い置いて、智羽は足音もさせずに奥へと向かっていった。
残された静蕾は部屋の中へ足を踏み入れ、無言でお茶の準備を始める。
麻衣が手伝おうと申し出たが、丁重に断られてしまった。

「静兄っ!!」

せっかく閉められた障子を乱暴に開け放った滝川は、よほど急いで廊下を走ってきたらしく息を荒くしている。
彼には珍しい濃紺の着流し姿だ。
慌ただしい滝川に対して、静蕾はやはり静かに滝川へ顔を向ける。

「おはようございます、法生」
「おはようっ!今何時!?むしろお袋どこ!?ああ、智羽なら会ったから!」
「九時半ちょうどです、珍しく寝坊しましたね。昌代様ならいつもの部屋に」

すべて言い終わらないうちに、滝川は着流しの裾を翻し、来た道を引き返していった。
今度も走って。
すぐに彼と入れ替わるように、逢樹が部屋へと入ってくる。
こちらも濃灰色の着流しを着ている。

「なんだ、今起きたのかあいつは」
「ええ。ところで逢樹、仕事は?」
「有給取ってるから問題ねえよ。何かあったら連絡来るだろうしな」

畳の上に胡座をかきながら、茶請けにと持ってきた林檎を摘まんだ。
麻衣達の分はそれぞれ別の皿に盛られている。

「逢樹さん、家はお継ぎにならないんですか?」
「ならねえよ。第一、坊主になる気もねぇし。本業やること許可したの、両親だからな」

一切れ目を食べ終わり、二切れ目へ手を伸ばす。
安原も自分の皿からフォークに刺した林檎をかじりながら、問い返した。

「本業?」
「弁護士でな。事務所も一応持ってるが、小さいところだ」
「けれど、信頼は厚いでしょう」

黙って話を聞いていた静蕾が自然に会話に滑り込んできた。
ちょうどリンが隣にいるので、なんとも言えない雰囲気が二人の間に流れている。

「信頼は厚くないと、やってられん。ところで、法生に恋人の話をするとなぜか毎回はぐらかされるんだが、あれは何でだ?」

純粋な疑問に、この場に滝川や智羽がいれば慌てただろうが、静蕾もリンも至って普段通り。

「それは法生に恋人がいるからか、好きな方でもいるんでしょう」
「やっぱりそうか」

いかにも不満そうに逢樹は頷いて、手にした林檎の欠片を口の中へ放り込む。
いくつか残った林檎の皿を静蕾へ押し付けて、部屋を出ていった。
足音が聞こえなくなった頃、静蕾が口を開く。

「リン……と言いましたか。あなた方のことは面倒なので逢樹達には言わないでくださいね」
「ええ、わかっています。私も、敵は増やしたくはありませんので」
「それはよかった」

言葉とは正反対に無表情で、静蕾は湯飲みに残っているお茶を静かに飲み干した。



魂流しとは、一般的にいう灯籠流しである。
舞いを躍り、灯籠を流すことで彷徨っている霊を浄化させる。
行われるのは年に一度、盂蘭盆の前だ。
黄昏時になると、作られた舞台の上で二人の舞い手が舞いを躍り、その後ろで楽師が音楽を奏でる。
そして辺りが闇に包まれた頃、灯籠流しが行われる。
舞い手は年齢や性別関係なく寺の住職の血筋で、楽師は僧侶達に任される。
今年の舞い手は滝川と智羽だ。
二人は小学校に上がった頃から舞い手を担い、それまでは逢樹と夾がしていたらしい。

「ぼーさんの舞いかあ。どんなだろうね」

黄色の布地に向日葵が咲き、山吹色の帯を締めた浴衣を着た麻衣が歩きながら言う。
両隣を歩く綾子と真砂子も浴衣を着ており、彼女らの浴衣は昌代や智羽の母、そして夾のお古らしい。
後ろにいる男性陣四人も(リンとナルは無理矢理)浴衣を着せられている。

「もう二十年もしてることになるわよね。ベテランじゃないの」
「でも、あたくし達が行くといったらすごく複雑そうな顔をなさったんですの。見られるのはお嫌なんでしょうね」

藍の布地に百合が咲き、紺の帯を締めた浴衣の綾子が言えば、真砂子が苦笑しながら続けた。
真砂子は淡い水色の布地に花菖蒲が咲き、青い帯を締めた浴衣を着ている。
会場は煌瀧寺の隣の広場のため、離れから行ってもものの数分もかからず着いてしまった。
数段の階段を登ると両側に様々な屋台が並び、一番奥に舞台が設置されている。
魂流しは儀式というより、時期の早い夏祭りという認識が強いのだと静蕾が言っていた。

「ああ、いたいた。谷山さん」

僧衣に似た黒い衣装を着た夾が片手を上げて、にこりと笑う。
凛とした雰囲気や佇まいに麻衣は、男性よりも女性に好かれそうだなと思った。
智羽にしても彼女にしても、滝川家の女性陣は男勝りで凛としている。

「夾さん……でしたよね。あなたも舞台に?」
「ああ、楽師をね。舞いが始まるまで時間がない。着いておいで」

そう言って、夾は身を翻して来た道を戻っていく。
質問する暇も隙も与えない彼女に麻衣達は慌てて着いていく。
夾は舞台の近くにある高台へ上り、ようやく足を止めた。
高台と言ってもそこは舞台とほぼ同じ高さ。
舞台全体と舞い手や楽師の動きがよく見え、確かにここは特等席だ。
夾は笑顔を浮かべる麻衣や真砂子に笑みを溢す。

「もうすぐ始まるから私は戻るよ。智羽と法生の舞い、ちゃんと見てな。見逃すとすごく後悔するから」

先程と同じようににこりと笑うと、夾は下駄にもかかわらず足音を立てずに高台を去っていった。
なぜこう、滝川家の人間は足音を立てないのかという疑問を一部に残して。
そして、舞いが始まった。
滝川の普段は結われている髪は解かれ、今は背中に流されたまま。
僧衣と狩衣を組み合わせたような衣装は濃い赤で、色素の薄い二人の髪や肌がよく映える。
円状にいくつもの鈴と、紅と蒼い組紐が付いた金色の錫杖を短くしたような棒を両手に持った、滝川と智羽が舞台の上で動き回る。
緩やかに流れる音楽の中、足音はなく、衣擦れすらしない。
動くたびに鈴が澄んだ音を立て、組紐がひらりと舞った。
誰もが、毎年のことだというのに何も口にすることができない。
一目でも見た者は釘付けになり、終わるまで目が逸らせない。
それほどに魅了され、惹き付けられる。
高台の方を向いた際、滝川とリンの目が合い、半分伏せられた琥珀の瞳が見開かれる。
けれど滝川はふわりと穏やかに微笑み、リンは一瞬鼓動が強くなったのを感じた。
やがて舞いが終わると、何処からともなく溜め息が洩れた。
静寂から祭りの活気が戻り、舞台から滝川達が消える。
かと思えば、数分ほどして彼らは裏から出てきた。
衣装は浴衣へと変わっていた。

「麻衣ちゃーん!」

大きく手を振りながら智羽が麻衣へ駆け寄ってくる。
後ろでは夾と清燕が苦笑し、逢樹は顔を顰めている。

「た……」

恋人の名前を呼び掛けて、リンは途中で口を噤んだ。
一番後ろにいる静蕾が緩く首を振ったのが見えたからだ。
リンは眉を寄せて厳しい眼差しを向けるが、下から名前を呼ばれたため表情を元に戻した。

「どうかしたのか?」
「何でもありません。舞い、とても綺麗でしたよ」

そう言えば滝川は嬉しそうに、けれど恥ずかしそうに微笑む。
その笑顔に触れそうになる衝動を必死で抑えながら、リンもつられて微かに笑った。

「ショウ、祭り行くか」

言葉と共に後ろから腰に腕が回ったと思えば、逢樹が滝川に抱き付いた。
額が触れ合うほど顔を寄せ、低く囁く。

「久しぶりに会ったんだし、にいにいと一緒に行こうか」
「でも……」

滝川は困ったようにリンへ視線を寄越す。
リンも不機嫌さを隠さずに逢樹を睨み、視線に気付いた逢樹は怪訝げにリンを見やる。

「何だよ?」
「いえ」

ふいとリンは目を逸らした。
そうしてこちらを見つめている夾と目が合った。
彼女は滝川とリンを見比べて、何かに納得したように唇を笑みの形に象る。
内心首を傾げたリンに夾はこちらへ歩み寄ってきた。

「逢樹、お前伯父さんに用事頼まれてなかったか」
「あ?ああ……そうだったか」

舌打ちしそうな勢いで逢樹は滝川から離れ、末弟の髪を乱暴に掻き回した。

「つーことでショウ、にいにいは行ってくる」
「おう。行ってらっしゃい」

末弟の笑顔に逢樹も口元を綻ばせつつ、夾を伴って広場から去っていった。
間を置かず清燕は静蕾と片付けに向かい、ようやく邪魔者がいなくなったことにリンが息を吐く。

「ごめんな、リン。ばらしてもいいんだけど、そうすると逢兄が煩くて」
「そうですね……けれど、あなたに触れられないのは辛い」

腰に腕を回して滝川を抱き寄せる。
頬へ手を滑らせて目蓋に唇を寄せる。
くすぐったそうに肩を竦めた滝川は、リンが着ている濃灰色の浴衣の袂を掴んだ。

「俺も、リンに触れないのはやだ」

予想もしていなかった恋人の言葉にリンは目を見開いた。
思わず緩みそうになる口元を片手で覆って隠す。

(なんて可愛いことを……)

普段から意識して言わない限り、あまりこういうことを言わない彼だが、たまに無意識に言ってくる時がある。
やはりそういう時は不意打ちのため、リンへのダメージはかなりのものだ。

「リン?」

名を呼ばれ、リンは慌てて我に返った。
視線を下にずらせば不思議そうに首を傾げた恋人が。

「どした?」
「いえ……何でもありませんので、お気になさらず。ところで、そろそろ灯籠流しが始まるのでは?」
「もうそんな時間か。行くか?」
「ええ」

頷くなり揃って歩き出す。
その際に周りを見回すと、他のメンバー達はすでに祭りに行ったらしくいなかった。
広場から近くの川原へと歩いていくと、大勢の人が集まっていた。
仲間の姿は、と探して遠くない場所に不機嫌オーラをまとったナルを見付ける。
関わるとこちらも巻き添えを食うので、近くも遠くもない適度な場所で足を止める。
土手を下りたところで貰った灯籠に、同じく貰ったマッチで火を点けた。
貼られた和紙を蝋燭の灯りが仄かに照らす。
灯籠をそっと水面に浮かべるとゆっくりと流れていく。
滝川は両手を合わせ、目を閉じた。
リンも彼に倣って黙祷を捧げる。
十秒ほど経った頃、隣で衣擦れの音がしてリンは目を開けた。
滝川は揶揄うように笑いながら立ち上がる。

「お前が黙祷するなんて思わなかった」
「死者を弔う日なのでしょう?黙祷するのが礼儀です」
「そうだけど、ナルみたいに突っぱねるかと思った。自分には関係ないからって」
「さすがに私もそこまでじゃありませんよ」

否定しきれない部分もあるため、苦笑しながらリンは先を歩く滝川の隣に並んだ。


魂流しは終了し、一同は滝川家で宛がわれた部屋へと戻ってきた。
祭りが終わった頃には九時を過ぎていて、滝川家と僧侶総出で食事会という名の宴会が行われた。
もちろん、大半は僧侶達なので酒はなくお茶だが。
僧侶と言えど宴会は好きらしく、年に一度の祭り事にだいぶ賑やかなものとなった。
全員が仲が良く面倒見も良い上、人懐っこいので滝川の性質は彼らから受け継いだものなのだろう。
宴会は日が変わる直前まで行われ、翌日になると同時にお開きとなった。

「ここにいましたか」

寺の敷地内にある墓地の、一つの墓石の前に立っている滝川へリンは歩み寄る。
浴衣から着流しへと、色だけを残して変えた滝川は腕に花束を抱えて笑った。
月明かりで着流しの琥珀色が一層明るく見え、染め抜かれた赤い紫陽花が浮かび上がる。

「どこにも姿が見えないから、心配しましたよ」
「悪い。ここには静兄に?」
「ええ。……命日、だそうですね」

誰の、とは言わない。
参りに来ているのだから言う必要はないのだ。
滝川の両腕に抱えられているのは、蒼い紫陽花の花束。
生前、滝川のいう「あの人達」が好きだったという花。
梅雨の頃になれば至るところで見られ、花の色も土の性質によって変わるというそれを、滝川はそっと墓前に供えた。
次いで片膝を付き、両手を合わせて目を開ける。
リンも今度は滝川と同じように黙祷を捧げた。
数十秒後に立ち上がった滝川が驚いて自身の恋人を見下ろした。
リンは苦笑しながらも腰を上げ、彼の体を抱き寄せる。

「私はあなたの恋人ですよ?あなたが慕っていた方達に挨拶しないわけにはいきません」

今更ながらに、本人の口から恋人と言われて滝川が頬を染めた。
リンは朱に染まった頬に笑みを深め、額に口付ける。
続けて目蓋へと唇を寄せる。
そして頬へと下がったところで一旦唇を離した。
鼻先が触れ合う距離を保ちながら、滝川はリンの首に両腕を回す。
リンも滝川の体を抱く力を強めながら片手を後頭部へ滑らせる。
一連の動作が終わると二人は微笑み合い。
どちらともなく、唇を重ねた。

 
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