「おいおい、まじかよ……」 心底驚いたように、うんざりしたように滝川が洩らす。 怪異は今朝、起きたばかり。 同日、ほとんど間を置かずこれだけの規模で発生するなど。 「強くなってるのか……何が契機で」 調査を始めて二日、除霊もまだしていない。 それなのにこのスピードで怪異が起きている。 二日前と違うところといえば、SPRが調査に入ったということ。 たったそれだけで強くなるものか。 部外者を嫌うならもっと早い段階でなっているはずだ。 それとも霊能者と理解しているのか。 「あっ、霧薙くんいっちゃった……」 麻衣の視線の先を辿ると長身が廊下を進んでいくのが見えた。 そういえば彼らもこの講義を受けていた。 追いかけてもいいが、どうせ話をしに来るのだ。 あとでいいだろうと結論付けてナルは室内を見回す。 散乱した窓ガラスと蛍光管。 ガラスは内側に向けていっせいに割れていて、誰かが同時に外から割らないとできないものだった。 しかも窓枠にはいっさいガラスは残っていない。 粉々に、人を傷つけるために割られたもの。 この大学で起きる怪異はすべてそうだった。 体育館の照明も割れ続ける蛍光管も、一階の窓ガラスも。 一階の窓ガラスと体育館の照明はたまたまそこに人がいなかっただけで、確実に人間を狙っている。 何かを訴えたりするようなやり方ではない。 この怪異は、悪意の塊だ。 (そうなると、黒板は忠告か) 黒板は誰かを害するようなものではなかった。 そこだけがそうならば、忠告と考えるのが妥当だろう。 誰に対してかというと、このタイミングでなら明らかにSPRに対して。 調査、ということに気付いているくらいには周囲を見れる霊か、はたまた。 現象のみしかカメラに映らないような実力を持つ相手と対すること自体は、興味はあれど面倒さもある。 データと実験はしてみたいけれど。 「なんなんだよ……今回は」 「サーモが反応してるといいんだがな」 今朝怪異が起こった講義室と同じ一階、機材は講義室ごとに設置してある。 温度の変化さえ見られればPKによるのか霊によるのかが判断できる。 ある程度片付けを手伝って、四人はベースに戻る。 割れたガラスの破片が不自然に光を反射したことには誰も気付かない。 「リン、サーモは」 「残念ながら」 「そうか。……データは何か取れたか」 確認に対する答えは否。 今朝と同じく、やはり現象は捉えられても痕跡は残らない。 せめてサーモでPKか霊によるものかの判断ができたら、現象しか残らないのが霊障だったら楽だったのだが。 深く深く溜め息を吐いても足りないくらいには、後手に回りすぎているし調査も進まない。 結局講義は中止になって、今日の講義もすべて休講。 早朝の黒板、続いて二回連続で怪異が起こったことを考えると、生徒達の安全のためには賢明な判断だ。 おかげでまともに講義を受けられなかった瑞焔は機嫌が悪かった。 あの講義にいた生徒は出席扱いにされたからまだよかったものの。 むっつりとパイプ椅子に腰掛ける瑞焔に麻衣は苦笑した。 休講になって安堵したり喜ぶ生徒は多いが、ここまで不機嫌になるのはなかなかない。 カップを置いた麻衣をちらりと見て、ナルを見て、息を吐く。 「まだ調査にきて二日目だったか」 「うん。二日目でこれだからびっくりしてる」 「ていうか、あんた達がきたからじゃないの」 波紋さえ浮かべない静かなカップの中身を見つめる。 態度からして本気で言っているわけではなさそうだが、恐らく半分は本気だろう。 SPRがくるまでは怪異が起こってはいたがこうまで頻繁ではなかった。 相手も調査がきたことは理解しているのだ。 それが人であるかどうかは別として。 「それで、何を体験されたんです」 「……昨日の話だが」 昨日、とナルが反芻する。 つい最近という話ではない。 「講義が終わって教授と話をした帰りだ。友人を待たせてたからなるべく早く戻ろうと思ってたんだが。ちょっと桜が気になって玄関に出たんだ。その時、妙な、感じがした」 悪意の塊を叩きつけられたような、瘴気の渦の真ん中にいるような。 倒れた症状は貧血にも似ていたが、あれは身体の全力の拒絶だった。 心底嫌悪して心底拒絶して、自分自身を護ろうとした結果があれだ。 友人がきてくれなかったらどうなっていたかわからない。 「それと今朝きた時、大学中に嫌な感じがしたそうだ」 「その方の言うことはどれほどあてになりますか」 「感知に関しては信頼していい。霊視は……どうだろうな。視えてるのかまでは知らんが、いると言った時はいるから視えてるかもな」 「……霧薙くんて意外と淡白?」 「はあ?」 低い声で眉宇を寄せた瑞焔に、麻衣は咄嗟に謝る。 別に、とそのままの表情でカップを手に取り一口。 「淡泊ってわけじゃない。こういうことに関しては、人に言いたくないことだってあるだろ。友人だからこそ、その点は尊重すべきだと思って訊かないだけだ」 「そっか……そうだよね。ごめん、変なこと聞いて」 「……いや。でもこういうことになったからには、一度聞くべきかもしれん」 あれは素直に話してくれるとは思わないけど。 鬱陶しそうに髪を払い片目を細める。 紫水晶のような瞳は表面は不機嫌そうでも、奥は友人にであろう、心配そうな色を湛えている。 素直ではないのは彼も同じ。 カップの中身を減らすことに勤しんでいた彼は、ふと声を上げる。 「今日の怪異のことだが」 「どれです」 「二回目……や、今朝の入れると三回目か。あれが起きる前、講義の途中に家鳴りみたいな音が鳴ったんだよ。それが妙に気になった。それと、巫女として危険だと感じた。霊の姿は視えなかったし、感じなかった。霊や精霊なら俺が視えるはずなんだ」 それがなかったということは。 瑞焔に視えないものだという可能性もあるが。 「……人間、だと?」 「俺はそうだと思ってる」 「なるほど……。そうだとしたらよほど強いPKだな。それに今朝の黒板の件はカメラにも感知できていない。衝撃も姿もなく黒板を割るほどの力は想像できないな」 カメラに映っていないだけなら、誰かが細工をしたとも考えられるが、映像はずっとベースにいる人間が監視していた。 カメラの前に誰かきた様子もなく、講義室に入った姿も黒板が割られた衝撃もなく。 サーモでさえ温度の感知をしなかった。 機材を無効化し、連続で怪異を起こし、一つ一つが大規模。 そんな力を操れる人間なんて想像もつかない。 ナルでさえ持て余しているのに、この規模だとどれだけの負担が体にかかるのだろう。 “人間”という枠には収まらないことは確かだ。 |