「霧薙くん!!」

唐突に呼ばれた名前に赤髪の彼は足を止めて怪訝そうに振り向く。
その一連の動作でさえ彼がするととても美しく、洗練されたもので。
何気ない仕草でさえ様になるのは、やはりナルと同種の美しさだ。
日焼けを知らない肌は雪のように滑らかで白く、すらりとした、けれど細すぎもしない身体。
紫水晶のような澄んだ瞳、本当は桜色で染まった右目は眼帯で隠されていて、見えないことが惜しいほど。
SPRの所長に匹敵する美しさをまとった彼は、隠されていない左目を細める。

「ああ、あんた達か」

声は冷えた空気のようにきんと通る。
霧薙瑞焔。
過去に調査した桜牧学園高等部に在籍し、渋谷サイキックリサーチの面々をいろいろと翻弄してくれた人物。
この一年で身体的な成長は見られないが、長かった髪は腰よりもさらに少し伸びていた。
燃えるような赤い髪がより存在感を増している。

「久しぶりー。髪伸びたねえ」
「久しぶり。あんまり切れないから」
「あ、そっか。巫女さんだもんね。丹羽先生は?」
「相変わらず高等部にいる。さすがに大学の教員免許は持ってないみたいだし。ま、なんとかなるさ」

今回のこともね、と瑞焔は肩を竦める。
身を護る術のない瑞焔にとってここにいるのは危険であるはずだが、大学を休むという選択肢は彼の中にないらしい。
まともに授業を受けられず日数ぎりぎりだった高校時代とは違い、大学ではきちんと講義を受けてみたいのだという。
存外大学生活を楽しんでいるようで、麻衣は少し安心する。
同い年でああまで高校生活が異なっていたあの頃と違い、人並みに瑞焔も大学を楽しんでいるのだ。
できるだけ早く解決して充実した大学生活を送らせてあげたい。

「おお、霧薙少年だ」
「お久しぶりです、霧薙くん」
「……霧薙さん」

再会の挨拶を交わす滝川と安原を無視してナルが瑞焔を見やる。
真っ直ぐな、探ろうとする視線に瑞焔は何を訊かれるか悟り、一瞬嫌そうな顔を浮かべた。
できるだけ関わりたくないのだ、高校の時とは違い。
ただでさえ巻き込まれてるのにこれ以上面倒事はごめんだ。
たった一瞬でそこまで読み取れるほど嫌そうだった、とても。
しかしそこはナル、その心の声もスルーして問いかける。

「霧薙さんは何かに遭遇したりは」
「…………講義室変えて一限やるみたいだから、それ終わったらそっち行く。次の講義、三限だから」
「わかりました。お待ちしてます」

面倒くさそうな声色をしつつも約束を取り付けた瑞焔に、ナルはあっさり引き下がった。
行くと言えばどんなに嫌だろうと面倒だろうと瑞焔は行くのだ。
人付き合いをあまり好まない分、自分から発した約束や予定に対しては律儀である。
去っていった瑞焔を見送ったあと、ナルがテープを替える間、三人が生徒に聞き込みをしてベースに戻り情報をまとめる。
黒板は朝一番に生徒がきた時点で抉れていたらしい。
そのあと蛍光管が割れるまで特に他に変わったこともなかった。
今までと異なる点は、怪異が連続で二つ。
黒板を抉るなんて相当の力、ただ殴っただけではあそこまで抉れはしない。
抉れた箇所を中心に線上の亀裂が走っていることから、中央から全体に衝撃が伝わったのだろう。
深夜もカメラは作動していたし、衝撃があればキャッチするはず。
居残りの講師や警備員以外の姿も映ってはいなかった。
前後の扉のどちらも撮影範囲内のため、あの講義室に入るとカメラには必ず映る。
窓からという手もあるにはあるが、そう行動したとしても衝撃がないのはおかしい。
テープを確認しても途中でブラックアウトや砂嵐、編集した点もない。
なによりずっとモニターを見ていた人間がいる、気付かないわけがない。
つまりそれは、自在に姿だけではなく衝撃を殺すこともできるということで。
そこだけを見ると相手の力は未知数だ。
怪異ではなく、化け物の域と言った方が正しい。
たとえ霊であろうと生身であろうと、人間業ではない。

(思ったよりも苦戦しそうだ)

モニターを見つめながらナルは嘆息するも、これほど強力ならデータもそれなりに残るであろうと期待が湧いた。
美山や吉見の時のようなことはごめんだが。



昔から授業は真面目に受けるタイプだった。
学校自体にあまり行けなかった、行けたとしても保健室ばかりにいた過去と違い、今はきっちり受けることができる。
制限はあるものの講義を自分のペースで受けられる。
幼馴染みはどちらも東京の大学に進学したので、瑞焔が知っている同級生はいなかった。
大学に入って初めてできた友人が唯一の知り合いだ。
実のところ幼馴染み以外の友人というと彼しかいなかったりするのだが。
せっかくそんな大学生活を満喫しているのに、怪異の連続だ。
平和な生活が崩れないことを祈るばかりではあるが、もう遅い気もする。
つらつら考えながら板書をする。
必修なので瑞焔が取った他の講義より室内の密度が高いが、やはり先程の騒動で多少減っている。
話に聞くのと自分が体験した恐怖は別物だ。
いくら別の講義室だといってもまた同じことが起きる可能性は十分にある。
怪異が起きる場所の制限は今のところない。
学舎のすべてが起きうる範囲内だ。
登校拒否をするのも仕方がないと思いつつ、瑞焔は身内に何と言われようとも講義を受けにきている。
学校に行きたいという珍しいわがままくらい、叶えてもらってもいいだろう。
几帳面に文字が並ぶノートに一目惚れしたシャープペンシルで書き込む。
下を向くと必然的に流したままの髪が落ちてくる。
うなじの家紋を隠すためと義務で伸ばしている髪だが、これだけ長いと存在感が増す。
元々赤いせいで視線が集まりやすいのに。
うなじが見えないように結ぼうにもあいにく道具を持っていない。
舌打ちしながら髪を払ったところで、ふと頭上から何か音がした気がした。
万一を考えて蛍光灯からできるだけ遠いところに座っている。
頭上といっても音の発信源はどこか特定できないくらい、小さな音だった。
ただの軋みか、怪異の続きか。
ちらりと上を見やって隣にいる友人に視線だけを移す。
友人は至極つまらなさそうに講義を受けていて音に気付いた様子もない。

(…………板書すらしてない)

視界に入ったノートは一文字も書かれていなかった、すごく真っ白だった。
あまり勉強を好んでいないとは知っていたものの、こうもやる気がないと丸わかりだと単位が心配になってくる。
まだ心配するには早い時期だが、取れる物は取れるうちにさっさと取っておいた方が後々楽だ。

「…………ん?」
「うわ」

友人が仰け反るように首を逸らす。
その体勢で背後を見るには思い切り不適切ではなかろうか。
友人の奇行に若干引いた瑞焔である。
彼の背丈で一番後ろの席に座っているおかげで瑞焔以外の生徒には注目されずにすんでいる。
講師は一瞬、瑞焔と目が合ってすぐに逸らしたので見なかったことにしたようだ。

「おい」

小声で呼んではみたものの友人は生返事をするだけ。
奇行は今に始まったことではないので放っておいて講義に集中したいのに、真隣りに座っているので気になって仕方がない。
どうしたものかと思案し始めた瑞焔の耳に小さな音が届く。
ぱきり、家鳴りのような気にすることもない音が妙に気になった。

(何だ……?)

やけにあの音が鼓膜にこびりついて離れない。
嫌な予感が脳裏を巡る。
巫女としての直感が危険だと警鐘を鳴らし始める。
室内に霊の姿は視えないし、感じもしない。
瑞焔が感知できないだけという可能性も残っているが、この時点で普通の霊という選択肢はなくした方がよさそうだ。
先日のあの内臓をひっくり返されるような感覚は、普通の霊で起きる現象ではない。
時計の針は六を指している。
講義が終わるまであと二十分。
警鐘はどんどん大きくなっていく。
背筋に冷たいものが伝って末端が冷えていく。

「瑞」

友人の大きな手が生白い腕を掴む。
引き寄せられて腰を片腕で抱かれたと思えば、そのまま椅子と机の間に押し込まれた。

「おい、雪――」

何をするんだと言いかけて、ぞくりと肌が泡立った。
次の瞬間には盛大な音を立てて窓ガラスが室内に向けて割れる。
廊下側の通路、天井が軋んだかと思えば蛍光管がちかちかと点滅し、蛍光灯ごと床に落下した。
一拍の間を置いて屋外にまで届くほどつんざく悲鳴。
窓側に座っていた生徒はもろにガラスをかぶり、蛍光灯が落ちたすぐそばに座っていた生徒も飛び散った破片を受ける。
瑞焔は友人に机の下に押し込まれたおかげで怪我一つないが、彼が問題だ。
自分をかばった彼の方が窓に近い。

「雪!!」

慌てて這い出ようとし、椅子の上もガラスだらけになっていることに気付く。
ガラスに触れないように慎重に手を置いて脱出したあとは即座に友人の服を掴んだ。

「お前、怪我は!」
「顔、ちょっと切っちゃった」
「他には」
「だいじょうぶ。服に破片ついてるだろうから触らない方がいいよ」

言いながら軽く服をはたいてガラスを落とす。
室内は飛び散ったガラスがあちこちに散乱し、被害を受け呻き声を上げる生徒もいればパニックになっている生徒、呆然と立ち尽くしている生徒もいる。

「どうした!?」

あれだけの悲鳴とガラスが割れる音だ、五分も経たずに飛び込んできた警備員や講師が惨状を見て絶句した。
その様子も数秒の間だけで怪我をしている生徒の元へ駆け寄る。
次いで講義室に入ってきたのは渋谷サイキックリサーチの面々。
室内を見て驚いて、隅の方に避難していた瑞焔と目が合う。
声をかけようとしてきた麻衣から顔を逸らし、友人を廊下に連れ出す。
顔を少し切っただけと言ってはいたが、気付いていない箇所がある可能性もある。
保健室は怪我人で満員だろう。
服に付いた細かなガラスを落とすためにも一度どこか外に出なければ。
百メートルも行かない位置にある階段から中庭へ下りる。
駆けつけてきた彼女達は自らの仕事を優先することにしたらしく、追いかけてこない。
どうせ一限のあとに話をしに行く約束をしているのだし、わざわざ今話すのも面倒なので好都合だ。

「雪、服脱げ」
「えー、さむい」
「馬鹿。ガラスついてたら危ないだろうが」

友人の服を引っぺがし草むらの上で大きく上下に振る。
裏返して同じように数回、元に戻して表面をはたく。
触った感じではガラスはついてはいないようだ。

「念のため注意しろよ。取れてないのあるかも」
「んー、瑞がしてくれたならだいじょうぶでしょ。ありがとー」

もそもそ服を着て試しに動いてみせて、確かにガラスはついていないことを示す。
そこでようやく安堵の息を吐き、友人を見上げ、眉を寄せる。

「案外深くないか、その傷」
「そー?血はほとんど出てないけど」
「合間に保健室に行っとけ。黴菌が入る」
「はーい」

相変わらずやる気のない適当な返事をした長身の友人に、今度は呆れの息を吐いた。

 
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