ふらふらと眠たげな目をした青年が、それでもしっかりとした足取りで廊下を闊歩する。 他では三限が始まっている頃だが、青年が選択した講義はそこに入っていない。 次の講義は五限でひたすらに暇で、かといっていつも一緒にいる友人は講義中のため誘えず。 一人というのは存外暇である。 天気も良いので中庭で昼寝でもしようかと、平均よりだいぶ高い身長をした彼は思案する。 コの字型の学舎に囲まれたそこは日当たりが良く、ベンチや芝生があり、中庭というには少し広めの作りになっている。 講義の合間の暇潰しや昼食を摂ったりと生徒達から人気の場所でもある。 はふ、とあくびをして中庭へ向かう。 一階の中間地点に中庭へ降りる場所があるのだが、そこまで行くのにはまず階段を二回ほど下りなくてはいけない。 やや面倒になったも、この気持ちよさそうな陽光には勝てず、のんびり階段を下りていく。 一階の階段、最後の段から足を下ろす。 その行動と同時に轟音と衝撃が届いた。 まるで学舎に思い切り何か、重いものがぶつかったような衝撃。 一階の中庭に面した窓ガラスが一斉に割れ、それは階段の正面にあった窓も同様に破片が室内に飛び散る。 中庭にも屋内にも、窓をあれだけ強く、ぽっかりと窓の大きさ分の穴を作れるような位置には誰もいない。 そもそも一斉に割れたのだ、強化ガラスである窓が、綺麗に。 通常なら割れなかった部分のガラスが不格好な形で残るはずなのに、氷砂糖のようにガラス一枚そのままが崩れて窓からなくなる。 眠たげな目を大きく見開いて、青年は絶句する。 ざりと足元まで散った細かなガラスの破片が踏み潰された。 カーウィンドウが機械音を立てて下がり、走行中のために少し強めの風が髪を揺らす。 車で十分来れる距離のため、人数の関係で駆り出された滝川の車に麻衣と安原が、先行するバンにリンとナルが乗車しているいつものパターンだ。 あの新聞記事を見付けた日、大学関係者が代表して依頼に来たため、またあの地へ赴くことになった。 依頼内容としては、物理的な被害は突然蛍光菅や窓ガラスが割れる、備品がことごとく壊れ出すと悪戯と疑えるようなことだった。 しかしそれが何度も続くので試しに何人か立ち合い十分に確認した上で取り替えた、買ってきたばかりの蛍光灯が直後の講義で割れたのだ。 近くの生徒は軽傷ですんだが、真下にいた生徒は破片をもろにかぶって病院へ。 今までは怪我人が出なかったのにその時から被害者が出るようになった。 封を開け設置した直後に割れる、壊れる。 一度体育館の電灯部分が落ちた時は古かったせいだろうと新調されたそれも、二回ほど新調したがどれも落下した。 その部分だけ落ちるので、そこに異常があるのだろうと業者を呼んで調べてもらっても、異常は見付からない。 蛍光菅の部分も一通り調査はしてもらったのだ。 けれど異常は見付からなかった、どこにも。 怪我人を出すわけにもいかず、今では落下する部分だけ電灯は設置されていない。 蛍光菅や窓はいつどこで割れるか判断が出来ないために、生徒は怯えながら講義を受けている。 あまりに続くので登校してこなくなった生徒もいる。 依頼者は桜牧学園から入学してきた生徒からSPRのことを聞き、理事長へ相談したところ紹介状を書いてもらったのだと見せてくれた。 ここまで続くと大学の信用や来年度の入学にも関わってくる。 桜牧での一件からの期待、心霊調査なんて怪しいオフィスに頼ることへの自尊心がないまぜになったような表情をしていた。 だがなりふり構っていられないのでSPRに依頼に来たのだろう。 無駄にプライドが高いと大変だな、と麻衣は頭の隅で思う。 所長は言わずもがな何気に同じくらいプライドが高い同僚と協力者を横目で見やり、心地好い陽気に飴色の目を細めた。 踏み入れた大学内、一階は騒然としていた。 廊下にはガラスの破片が散らばり、本来ガラスがある窓枠には何もない。 一階の端から端まで、すべての窓ガラスが割れていた。 「これは……」 「ああ、渋谷サイキックリサーチの方々ですか。お出迎えできなくて申し訳ない」 声を掛けてきたのは五十代ほどの男性。 きりっとした真面目そうな顔立ちに焦りを受かべながら、手には箒とちりとりを持っている。 「それは大丈夫です。……この状況は?」 「私は実際見ていないのですが、生徒によると講義中、突然窓ガラスがいっせいに割れたとか」 「……全部の?」 ええ、と男性は頷く。 一階のすべての窓ガラスが粉々に割れている、しかもいっせいに。 同時にこれだけのガラスを、誰にも見られずに白昼堂々割るのは一人では到底不可能だ。 講義中だったといっても廊下には誰かいるだろうし、ガラスの向こうは中庭だ。 ガラスの散り方からして外側から割ったことになるが、時間が空いた生徒が現に今も中庭にいるのにできるはずがない。 人の手で行われたとは言えない現象に、ナルは思案する。 (霊とは限らないが……あるとしたらPK……この短期間にここまでの規模だとすると相当の能力者だな) 霊相手もそうだがそれ以上に生きている人間相手は厄介だ。 現在進行で事態が急変するし、感情も変わる。 人間だとしたら、無関係な生徒を巻き込んで何をしたいのか。 「移動しましょうか。提示されたお部屋を準備しております」 「お願いします」 ガラスが散らばる廊下を避けてすぐ横の階段へ。 踊り場を過ぎ一階が見えなくなる数秒、麻衣の視界で赤が揺れた気がした。 「雪!」 慌てた様子で廊下を突っ切ってきた友人が、階段下で突っ立っている自分に駆け寄ってくる。 その様を認めて、彼はぱちりと瞬いた。 「あーびっくりしたー」 「……その様子だと大丈夫そうだな」 「うん。ここにいたからねー」 ならよかった、と安堵する友人に頬が緩む。 普段から凛として孤独にも見える美しい友人に心配されたのがひどく嬉しい。 過保護というわけではないが、要所要所ではきちんと心配してくれる。 性格のせいもあるのだが、子供扱いしない彼と一緒にいるのは気が楽だ。 もっと早く、せめて高校時代に出会えていたらと思うとあの三年間、もったいないことをした。 彼とは学区自体が違ったため今まで会うことなんてなかったから。 「無事ならいい。……規模が大きいな、体育館の時みたいに」 「そうだねー。無差別になってたけどこれはもう、だめだね」 「……この間も言ったが、お前が狙われても俺は護れないぞ」 「わかってるよ。だから狙われたら俺から離れてね」 「…………ああ」 友人は、傾国の容貌をしかめて不承不承と頷いた。 |