翌朝、綾子と真砂子は桜牧学園の校門に立っていた。 昨日は二人とも用事があり、その日に行けなかったのだ。 朝一番で行くという真砂子に綾子も付き合い、こうして二人で来ている。 「……何ですの、この学園は」 「何?どうなってるの?」 「学園中に霊がいますわ。いえ……霊といってもよろしいのかしら。霊のようなものですわ。どれも個体では力が低いですが、それを理解して集団で行動しています」 「霊のようなもの?……数が多いとなると厄介ね。行きましょ」 綾子が歩き出そうとした瞬間、校門前に一台の車が停車した。 黒塗りで一目でそういう家柄のものだとわかる。 どんな人物が降りてくるのか少し気になって、二人は足を止めた。 運転手が先に降りて後部座席のドアを開け、次いで現れた人物に思わず目を瞠る。 長い艶やかな赤髪に、紫水晶のような切れ長の目、端整な顔立ち。 右目が眼帯で隠れているのが惜しいところか。 肌も白く、すらりとして体は細いが脆弱さは感じない。 この学園の生徒だろう、彼は綾子と真砂子をちらりと見やると、興味なさげに歩き出した。 「次代、お迎えは」 「いらない」 「しかし」 続けようとした運転手に彼は歩みを止めて首だけで振り向く。 彼の射抜くような目に運転手が一瞬、体を竦めた。 「迎えはいらん。さっさと帰れ」 無表情に言い放って校舎へと向かっていった彼を追うように、綾子と真砂子も歩き出した。 ベースへ来るなり、ナルに状況を説明された二人は校門で見かけた少年を思い出していた。 あの他人を寄せ付けない雰囲気を持った美貌の少年。 話を聞く限りでは体が弱いらしいが一見ではそんな風に見えなかった。 「今日は学校に来ているのか……。昨日倒れたばかりだというのに」 「回復が早いな。演技というわけでもなさそうだったが」 「その丹羽って先生に何かあるんじゃないの?」 綾子の発言に「あー、ありそう」と滝川が同意する。 結界を張れるだけなのか、それともまだ他に力を隠しているのか。 それは瑞焔にも言えることだが、情報が少なく真実に辿り着けない。 ナルが瑞焔が横たわっていたパイプ椅子をサイコメトリしてみたのだが、強固なプロテクターが掛かっていて視ることができなかった。 元々掛かっていたものなのは確かだろう。 ナルが来てからだとしたら時間が少なく、深層意識の自己暗示にしてもあれほどのものは掛からない。 まして彼の側に暗示を得意とするような人物は見受けられない。 霧薙瑞焔という人物のわかっていることも少なければ、この学園の怪異についてもまた少ない。 恐らく瑞焔が何らかの情報を握っているのだろう。 『桜』と桜牧学園と霧薙瑞焔。 これらの関係性と情報さえ分かれば、この怪異も解決出来る。 それなのに情報を開示しない者がいるためになかなか動けずにいるのだ。 この三日間、やったことといえば除霊くらいだ。 そろそろ安原も学園のことや土地のことを調べ上げて来るはず。 仕方ないとはいえ、動けないことに苛立ちを感じ始めていた。 「原さん、霊のようなものとはどういうことですか」 「霊のようで、霊ではありません。かといって能登のような式というわけでもありませんわ。あたくしには何と言ったらいいのか……」 困惑し、言葉を探す真砂子にナルは「そうですか」と一言。 「とりあえず原さんは霧薙さんのところへ行ってもらえますか。視える人間となら彼も何か話すかもしれない」 「わかりましたわ。麻衣、行きましょう」 「あたしも?」 「麻衣がいた方が雰囲気が和みますわ。保健室にいらっしゃるのでしたわね。さ、行きますわよ」 うん、と頷いて麻衣は真砂子のあとに続く。 綾子はやることがないので校内の中を少し見てくると出て行き、残った滝川はさてどうするかと思案した。 どこの学校の保健室とは同じもので扉を開けた瞬間、薬品の臭いが漂ってきた。 真砂子によれば入り口に結界が張ってあるというので丹羽が張り直したのだろう。 手前の二つのカーテンは開いていたが奥だけが閉まっていた。 室内に丹羽の姿は見当たらない。 瑞焔一人きりなら尚更都合が良い。 失礼します、と真砂子が声を掛けカーテンを開ける。 すると布団も掛けずベッドに横たわる瑞焔の姿があった。 「起きていらっしゃいます?」 問えば白い目蓋が気だるげに持ち上がって、紫が現れる。 「……そこ、座れば」 視線で示された二脚の椅子。 会話をする気はあるようだ。 真砂子と麻衣はそれぞれ腰掛けて、先に真砂子が口を開いた。 「この学園にいる霊の姿が視えますか?」 「率直だな。視えない」 「……普段どんな霊をよく視ますか?」 「さあ、覚えてない。数が多すぎて判別できん」 「では、どの辺りでよく視ます?」 「家の外だな」 緩慢な動作で起き上がった瑞焔の、常の無表情が崩れた。 赤い唇を笑みの形に歪める。 「情報をやろう。『桜』ってのは校庭の隅に生えているものだ。ざっと……四百、いや五百年は生きてるか」 「その桜に何かあるの?」 聞いていただけだった麻衣の突然の問いにも、瑞焔は気分を害したようには見えない。 今日は機嫌が良いのか、最初から情報提供が目的だったのか。 「何かあるかどうかはあんたらで調べるんだな。ああ、それから」 彼は流したままの赤髪を持ち上げ、項を見せる。 白い中にくっきりと浮かぶ赤に、二人が息を呑む。 瑞焔は笑みを深めて不敵に笑う。 「霧薙家の跡継ぎはな、家紋を項に刻むんだよ」 赤い、五芒星の中に桜の花弁が描かれた紋章が、鮮やかに刻まれていた。 校内を見て回っていた綾子は、ふと足を止めた。 この学園に来た時から気になっていたのだが、名前になるだけあって桜の数は例を見ない。 校庭に生えている樹はすべて桜だ。 敷地内には別の樹もあるが、やはり桜と比べると微々たるもの。 ほとんどのものは鑑賞や景観、桜牧という名のためであろうが、その中でも異彩を放つものがあった。 鑑賞などのためで植えられたのではなく、学園が出来る前からあっただろうそれは、約五百年は生きているだろう。 一度間近で見てみたいと校庭に出てみる。 校庭の隅にある桜は、当然咲いてはいない。 今は冬だ、咲くはずもない。 それなのに固く閉じられた蕾が開きそうな気がしてならない。 綾子がよく知る雰囲気と似ている。 「……御神木……?」 ただの桜ではない。 この樹には確かに樹精と呼ばれるものが宿っている。 しかしどうして、祀られず校庭の隅に植えたままなのか。 手入れはしてあるとはいえ、御神木に対する扱いではない。 (もしかして、御神木だって知らない?) 知っているのなら、桜の名を冠する学園だ、もっと丁重な扱いをするはずだ。 知っている者がいないのだ。 けれど樹精が宿っているということはまだ信仰がある。 御神木だとは知らないが、この桜を大切に護ってきた人がいる。 霧薙瑞焔の姿をした者が示した『桜』は、この樹で間違いないだろう。 綾子は踵を返して、ベースへと急いだ。 その様子を遠くから眺めている人影には気付かずに。 「……樹の巫女、ねえ」 あいつがうるさそうだな、と呟いて丹羽は短くなった煙草を揉み消した。 |