「霧薙?」
「にわ……ちゃん……」

苦しげに呼吸をする瑞焔に丹羽が駆け寄る。
丹羽の腕にしがみついてしゃがみ込んだ瑞焔は、途切れ途切れながらも言葉を発する。

「保……健室……にも、入って……きた……」
「何……!?結界が破られたのか?」

こくりと弱々しく頷いた瑞焔を抱き上げて、とりあえずパイプ椅子を並べてその上に彼を寝かせた。
額と首筋に手を当ててみるとやはり熱く、脈も普段より弱い。
羽織っている白衣をかぶせ、ナルに目を向けた。

「この部屋に結界は?」
「張ってあります。余程のことがない限り破られることはありません」
「それなら安心だ。まさか保健室が破られるとは思わなかったからな。他の部屋を用意してない。……まあ、俺の力なんてたかが知れてる」

そう、悔しげに唇を噛む丹羽。
ナルは瑞焔と丹羽を見比べると、ふと瑞焔に手を伸ばした。
だがその手を寸でのところで丹羽が掴む。

「そいつに触らないでくれ。他人に触れられるのを嫌がるんだ」
「……そうですか」

あっさりと引いたナルに丹羽は悪いな、と返して彼の手を放す。

「ここ以外で結界が張ってある場所ってあるか」
「一階の宿直室なら、ここと同じリンの結界が張ってあるけど」
「そうか。そっちに霧薙を移動させても?」
「構いません。ぼーさん、手伝いを」
「ああ。丹羽先生、これ持っててくれ」

滝川が二人分の護符を丹羽に手渡すと、丹羽が描かれている文字の達筆ぶりに感嘆の声を上げた。
外見に似合わず、書道の教師よりも上手い字を書くものだ。
丹羽が瑞焔を抱え、滝川が護衛として一階に向かった。
護符が効いたのか、道中何事もなく宿直室に着き、布団を敷いてそこへ瑞焔を寝かせる。
苦しげに呼吸をしていたのが結界の効果か、少しだけ落ち着いたようだ。
ゆるりと目蓋が持ち上げられ、視線が空を彷徨う。

「霧薙、寝てろ。ここは安全だから」
「護符もあるしな。大丈夫だ」

ぐしゃぐしゃと滝川が瑞焔の頭を撫でる。
先程はナルが触れるのを止めた丹羽だが、今度は止めなかった。
そのことを滝川は内心不思議に思いつつも、問うことはせず手を離した。

「それじゃあ、俺はベースに戻ってるから、何かあったら携帯ででも連絡してくれ。これ番号な」

番号が書かれた紙を受け取り、丹羽は「了解」と返した。
滝川が出て行き、しばらくして丹羽は口を開く。

「霧薙」
「……うるさい。俺は寝たい」
「お前、保健室はどうした。まさか壊してきたんじゃねえだろうな」
「無視かよ。結界が破られたと言った。俺が壊したわけじゃない」
「招き入れたのは、お前だな」

丹羽の問いに、瑞焔は沈黙し何も返さない。
それを肯定だと理解した丹羽は話を続ける。

「何のためだ。お前、一体何を考えてる」
「……桜」
「桜?」

瑞焔が発した単語は何の変哲もないが、丹羽には覚えがあった。
今朝、唯涼が遭遇したという瑞焔の姿をした者が口にした単語だ。
そういえば、瑞焔には恵と唯涼が付いていたはずだがどうしたのか。
問えば二人は教室に戻らせたのだと瑞焔は答えた。
幼馴染みで瑞焔の事情を知っているとはいえ、巻き込みたくないのだろう。

「桜ねえ……今起きてる事件と何か関係あるのか」
「なきゃ言わんでしょ。つーか、俺の姿した奴って何。初耳」
「藤枝が見たんだと。聞いてないのか?」

瑞焔が首を横に振ったところを見ると、あの二人もまた心配させまいと言わなかったらしい。
この幼馴染み達は互いを好きすぎる。

「で、その桜はどういう意味なんだ」
「護らなければいけないもの、何があっても」
「護らなければいけない……?」

丹羽は眉を寄せる。
抽象的な答えでいまいちわからないが、瑞焔はそれ以上答えようとしない。
彼自身にもよくわかっていないのだろう。
瑞焔は霊媒でもないし、俗に超能力と呼ばれる力も持っていない。
持っているのは強い霊視能力とある程度の霊を祓う力だけだ。
視え、力の強さゆえに霊に狙われる。
だからいつも丹羽が結界を張った保健室にいるのだ。
事件が起きてからは尚更保健室に入り浸るようになった。
どうにかしてやりたいのに、丹羽にはその力がない。
正直、渋谷サイキックリサーチの面々が来たのにほっとしていたりする。
これで、瑞焔を無闇に危険に晒さずにすむと。

「戻れよ、いい加減。俺は平気だから」
「そうだな。何かあったら必ず呼べ」
「はいはい。じゃーおやすみ」

ひらひらと手を振って眠りの態勢に入った瑞焔に苦笑しつつ、丹羽は第二会議室へと戻るべく和室を後にした。一方、先にベースに戻った滝川はリンの隣に椅子を持ってきて、コーヒーを啜っていた。
リンも隣に恋人がいるので心なしか機嫌が良い。

「そういえばさ、霧薙少年を連れていった時、髪撫でたんだけど何も言われなかったんだよな」

何でだろ、と呟く滝川にナルが反応した。
自分が触れようとした時は止めたのに、滝川の時は止めなかった。
他人に触られるのが嫌なら、ナルだけではなく滝川も止めるのではないか。
そこで、ナルと滝川の最大の違いに思い当たる。
ほぼ同時に滝川も同じことを考え付いたようで、まさかとナルに視線を向けた。

「もしかして……丹羽先生はナルがサイコメトリできるって知ってた……?」
「恐らくな。問題はどうやって知ったのか、なぜ止めたのかだ。知られたくないことがあるんだろう。それで拒否したのは想像がつく」
「でも知られたくない理由って何だろう」

カップを両手で抱えながら麻衣が首を傾げるも、こればかりは本人に訊かねば分からない。
だが、この事件に関係があるのだということは容易く想像がついた。
調査をするにあたり隠し事をされるのは非常に困るのだが、SPR側としても依頼人側としても。

「麻衣、原さんと松崎さん、それからジョンを。霧薙さんにはどうやら護衛が必要らしい。それにやはり視えない人間がいないと困る。宿直室の二人は協力する気がどうも薄いようだからな」
「了解です、ボス。視える人がいるとやっぱり違うよねー」
「谷山さんもきちんと自分の仕事をしていただければ助かるんですが?ここに来てから一度も夢を見ていないだろう」

ナルの発言に麻衣が思わず言葉に詰まった。
確かに調査に来てからまだ一度も夢を見ていない。

「う……っ。だ、だって、見ないんだもん。仕方ないじゃん」
「コントロールできるように頑張るんだな。あの馬鹿にも会えたら言っておけ」
「……精進します……」

言い返せない自分に情けなくなりながらも、麻衣は携帯を手に取った。

 
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