翌日、カメラを用意しようとしたナルは、綾子に「壊れても知らないわよ、本物の神様なんだから」と言われたので機材は何も用意できず少しばかり不機嫌だった。
学校は休日で生徒はいない。
校庭に集まったメンバーより少し遅れて瑞焔達はやってきた。
黒塗りの高級車に乗って、緋袴で現れた瑞焔の姿は何ともミスマッチだった。

「お待たせしましたか」
「いえ、それほどは」
「それはよかった。鍵と詠人が長引いてしまってね」
「長引いて……?」

意味がわからず首を傾げた麻衣や滝川に水貴が苦笑する。
丹羽と鍵は目を逸らしてしまったが、瑞焔は呆れたように肩を竦めた。
二人のやりとりを聞いていた上に自分を挟んでの会話だったので、嫌でも話が耳に入ってくるのだ。
昔からこの二人は喧嘩が絶えない、主に瑞焔絡みで。

「霧薙さん、始める前にお訊きしたい」
「ああ、きっかけだろう」
「そうです」

まあちょっと待て、と瑞焔は神酒を『桜』の根元に流し、拍手を一つ。
すると『桜』がざわめいて、瑞焔に向かって黒い影が向かっていく。
瑞焔は避けようともせず、黙って右目の眼帯の紐に手を掛けた。
するりと外れたそれの下から現れたのは、桜色の瞳。
それを認識した瞬間、影の動きが止まった。
動揺したように小刻みに痙攣したかと思いきや、影は霧散した。
瑞焔は口元を笑みの形に変えると、羽織っていた着物を脱ぎ捨てた。

「霧薙の巫女を襲うとはいい度胸だ」

個体では何もできないくせに、と続けて、ふと表情を緩める。

「と、言いたいところだが、俺のせいでもあるからな」

ごめんな、馬鹿だったよなと。
瑞焔は『桜』に手を伸ばし、微笑んだ。

「苦しませてごめんな」

桜色と紫水晶の瞳が、暖かな慈愛をもって細められる。
『桜』は枝を揺らしてそれに答える。
何か言ったようだが、その声は瑞焔にしか聴こえない。
だが嬉しげに微笑んだところを見ると、彼にとってそれだけのことを言ったということで。
瑞焔は鍵に目で、手に持っている物を渡すように促す。
鍵は頷いて、五色の紐に紅い珠と鈴が付いた榊を手渡した。
瑞焔は拍手を打ち、一礼を。
真冬に緋袴だけの姿で、ふわりと舞い始める。
しゃんと鈴が鳴り、共鳴するように珠同士がぶつかり音を立てる。
首の後ろで結われた髪は動くたびに翻り、袖を返すたび白い手が誘うように見え隠れする。
草履を履いた足が砂地だというのに音もなく移動し、軽やかに緩やかに緋色の袴と共に舞う。
左右違う色をした瞳は細められ、慈愛に満ちて『桜』を見上げる。
ただただ、『桜』のためだけに舞う巫女の姿がそこにあった。
正式な、その樹だけの巫女と樹の巫女は違う。
捧げるべき神を恐れ敬うのは同じだ。
正式であればあるほどそれが顕著になっていく。
畏敬の中に、けれども愛しさがあるのだ。
幼い頃からの違いなのだろう。
生まれた時からすでに巫女として定められ、物心付いた時には巫女としての修行をしていた。
ただ一本の樹のためだけに修行を積み、巫女になった瑞焔と、樹全般の巫女である綾子は違うのだ。
愛おしい神のために、精一杯の舞いを、瑞焔は舞う。
誰もが見惚れて言葉を発せなくなるほどに、長くもない時間のなか、艶やかに甘く、緩やかに脳内を侵食していくように。
しゃんと鈴が鳴り、瑞焔の動きが止まる。
澄んだ鈴の音を立てて、最後に一礼する。
直後、ざあっと風が吹いた。
視界に桃色が過ぎり、瑞焔は目を細める。
『桜』の枝は始める前と同じように蕾を固く閉ざしている。
視界に舞う花弁は幻だ。
『桜』が見せた巫女への最上の礼。
瑞焔の白い手に桃色が落ち、雪のように消える。
瑞焔は目を閉じ、深く呼吸をする。
再び目を開けた時にはいつもの気だるげな雰囲気を湛えていて、鍵が差し出した眼帯を装着する。
背中に着物を掛ける鍵に配慮してか、首だけで振り返って笑みを作ってみせる。

「終わった。撤収していいよ」

帰るぞ、とさっさと車の方へ歩いていく瑞焔に、思わず呆気に取られた。
鍵や丹羽は瑞焔の後を追っていったが水貴は残り、口を開く。

「まるで別人だろう?巫女の時と」
「……そうですね。ところで」
「ああ、わかっている。まあ急かすな。資料を持っていくからその時にな」
「そこまで引っ張るようなことですか」

ナルが厳しい声を出すも、水貴はやはり動じず、笑うだけ。

「このあとまだ色々やることがあるのでな。心配しなくとも本人に行かせるさ」

遠くから丹羽に呼ばれ、水貴はそれだけ言うと瑞焔達のところへ行ってしまった。
残されたナル達はというと、仕方がないので不機嫌な所長と共にベースに戻った。
それからもう一日、念のため様子見で調査を続けた。
真砂子はもう何も感じないので心配ないだろうという見解で、綾子もまた『桜』を見て同じ答えだった。
結果、何も起こらなかったので学園長に調査完了の旨を伝え、一行は引き上げた。
瑞焔は結局休んでいて、丹羽も出張中ということで学校にいなかった。
霧薙家に行けば会えたのだろうが、あとから本人が来るということならそれで十分だ。



オフィスへと帰って、数日ほど経ったある日。
予感でもしているのか本当になぜか毎度、全員が揃った応接間。
ちりんとドアベルが鳴ってそちらを向くと、瑞焔と丹羽の姿があった。
着物は家の中だけなのか、瑞焔はシャツの上からセーターにコート、ジーンズという格好だった。
マフラーはきちんとしているのにコートの前は全開である。

「いらっしゃい、霧薙くんに丹羽先生」
「おう、来たぞ」

麻衣がお茶を淹れに行ったと同時に安原がナルとリンを呼びに行き、滝川は場所を開けるために椅子を引っ張ってきてそこへ腰を下ろす。
何気にリンのデスクの側だということには誰も突っ込まない。
安原も自分のデスクへ、残りの三人が片側へ移動し、麻衣は扉側の一人掛けのソファーに。
上座はナルの特等席で、リンは自分のデスクがあるので始めから場所に困らない。
残りの一人掛けに瑞焔と丹羽が座るという、なんとも素晴らしいチームワークである。
もっと別の場所で発揮されるべきだと思うけれど。
瑞焔はその様子を見て無言になっていた。
マフラーとコートをソファーの隅に追いやり、ファイルに入った紙束と封筒をナルに手渡す。

「これが資料。あとうちからの志納。経費は先に振り込んだ。じい様が今朝になって渡してきてな」
「ありがとうございます。安原さん」

安原へと渡されたのは茶封筒、それもだいぶ厚みのある。

「あ、百は入ってるらしい。確認してみて」
「百!?」

慣れた手付きで勘定をする安原の手元には、確かにそのくらいの枚数がある。
志納でも学校などの依頼だと多少なりとも向こうは入れてくれるものだが、霧薙の場合規模が違う。
思わず凝視してしまっていた麻衣は慌てて目を逸らした。

「学園と霧薙から五十万ずつ。どう?」
「きっかり百万ですね」
「ならいい。にしてもだいぶ入れたよねえ」

お金持ちの家に生まれると、百万くらいでは特にどうも思わないのだろうか。
大金が入った封筒をぽんと渡した瑞焔は平然としている。

「いや、さすがに百万はびっくりだけど。経費合わせてかなりいったはずだしね。じい様意外に見栄っ張りだからなあ」

これだから金持ちは、と自分も身内のはずなのだが溜め息を吐く。
紅茶を出した麻衣に一言礼を言って、早速手を付けた丹羽と違い、瑞焔はなかなか飲もうとしない。
どうやら猫舌らしい。
紅茶を一口嚥下したナルは瑞焔を見やる。

「ところで霧薙さん」
「うん、きっかけな。いやあ本当に、ここまで引っ張るようなことじゃないよな」

スプーンでぐるぐると紅茶をかき混ぜ、温くなってようやく口を付けた瑞焔にナルは頷いた。
瑞焔は指で眼帯を押さえる仕草をすると、流したままの髪をそのまま払った。

「五十年前は校舎が建て直されたことだったが、色々調べてみたところ今回はそんな大規模なことじゃなくて、誰か生徒が枝を折ったらしいんだな」
「御神木の枝を?」

真っ先に驚いた声を上げたのは綾子だ。
桜の、それも御神木の枝を勝手に折られては樹精が怒って当たり前だ。
だがそれだけではないようで、瑞焔は更に続ける。

「最後に舞ったのが今年の夏なんだが、うちは校庭に『桜』が生えてるだろう。今までも何度かあったんだが、その時にサッカー部かなんかが練習してて、勢いよく蹴りすぎたボールが当たったらしいんだ。あと生徒の悪戯で樹を乱暴に扱う馬鹿者がたまにいるんだ。で、俺が後日鎮めたんだけど、そういうことが積もり積もって怒りがこう、爆発して」
「だから本気で移植するつもりだ。今までは霧薙の幹部連中がうるさかったんだが今回のことがあったから、次代と先代の言葉なら聞くだろうと。……つーか、瑞焔がいっそ移植するかって言ったのに対して水貴さんが、ああ、そうするかと即決したんだがな」
「うちの当代も二つ返事だった。血は争えんね」
「いやいや、お前らが気軽すぎるんだよ。移植するの大変なんだぞ」
「その前に鎮めとくから大人しいと思うけど。基本、あの神様大人しいし。移植もプロに任せれば大丈夫でしょ」

失敗したらその時、祟るって脅しとけばちゃんと働いてくれるよ。
気楽にそう言う瑞焔に背筋が冷えた気がした一同である。
とても巫女とは思えない発言ばかりが飛び出す瑞焔だが、れっきとした巫女であることは間違いない。
あの舞っていた姿は偽りではないし、瑞焔の一面でもある。
霧薙家の次代当主としても巫女としても、普段のこの姿も。
すべてが瑞焔の一面であり、すべて含めて霧薙瑞焔という人物ができ上がるのだ。
世話係のようになっている丹羽は諦めたように溜め息を吐いただけで何も言わない。
幼い頃から一緒にいるのだ、瑞焔の性格を十分すぎるほど熟知している。

「あ、忘れるところだった。唯涼が会った俺の姿をした奴だが」
「そうだ、それがずっとわからなくてもやもやしてたんだ」

丹羽が言えば瑞焔は「ああ、ごめん」と本気で悪いとは思っていないのだろう、謝り方が軽い。

「誠意がこもってねえ……」

呟く丹羽を瑞焔は無視する。
まるであの保健室の時と逆になったようだ。

「あれな、『桜』が俺の姿使ったんだよ。唯涼に言ったのは霧薙の護符を持ってたからだろうな。霧薙の人間なら、巫女の姿をすれば本人に伝わると思ったんだろ。唯涼は霧薙じゃないが、結果的に俺に伝わりさえすれば良いんだからな」

『桜』も必死だったんだ、と瑞焔は目を細める。
眼帯の下に隠された桜色の瞳は、きっと慈愛の色を湛えているだろう。
紫水晶の隻眼を閉じ、開いて瑞焔は立ち上がる。

「お暇するかな。せっかく出てきたんだ。色々回りたい」
「そうだな。紅茶ごちそうさま」

いつの間にか空になった二つのカップ。
麻衣は慌てて立ち上がり、二人を引き止める。

「お昼ご飯!もう食べた?」
「いや、まだ」
「じゃあ、美味しいとこ案内するから一緒してもいい?」
「構わんよー。食べるなら美味いものがいいしね」

首肯した二人に対し、ナルが何も言わないところを見ると、昼食に出てもいいらしい。
じゃあ僕も、と安原や他の面子も準備し始める。

「……リンは?行く?」

ことりと首を傾げた恋人にリンは迷う。
解析しないデータもあるが昼食に出ないといけないのは確かだ。
だが自分まで出るとナルが一人になる。
しかし、二人きりではないが恋人と食事。
いつもなら迷わず恋人を選ぶが、オフィスにナル一人はどうなのか。
リンが内心葛藤していることになんとなく気付いた丹羽が、瑞焔に何か伝える。
それを聞いた瑞焔も頷いて、ナルを示した。

「全員で出ればいい。大人数で入れるとこ誰か知ってるだろ」
「あ、俺、美味いとこ知ってるよ」

素早く自分とナルのコートを持ってきたリンの傍で挙手したのは滝川。
ナルは始め抵抗していたが多勢に無勢。
結局最後は諦めて、全員でオフィスを出た。
寒さに首を竦め、街を歩きながら麻衣は瑞焔の隣に並ぶ。

「霧薙くん」
「なに、……谷山さん?」

ちゃんと名前を知っていたらしい、それに嬉しくなって麻衣は破顔した。
白い整った顔を見上げると紫水晶の隻眼とぶつかる。

「また、こっちに来たら遊びに寄ってね」
「気が向いたらね」

笑顔で、それでも言葉だけは素直じゃない瑞焔に、麻衣は更に笑みを深めた。

 
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