結局その日は、霧薙家に訪問し話を聞いて終わった。
翌日瑞焔は登校すると言っていたが、鍵に反対され、水貴には用があるからと強制的に休みにされていた。
水貴の用は、『桜』に関するもの。
魂鎮めのために必要なものを用意し、瑞焔自身は鎮めるために禊をしなければならない。
綾子は神酒と正式な装束だけですませはするが、瑞焔の場合は正式な巫女である。
昔は断食もしていたようだが、水貴の代辺りから野菜に限り口にしても良いということになった。
所詮人間、食べねば持たないというのが持論らしい。
なるほど、それは非常に助かる。
まだ成長期を脱していない瑞焔にとって断食はきつい。
加えて細身のくせにどこに入るのかというほど食べるのだ。
学校では時間ごとに丹羽が菓子を与えているので空腹は免れている。

「でも今になってようやく動くんだね」
「そろそろ潮時だと言ってたから時期見計らってたんだろ」
「それに今なら、相手の力が弱まってるしね。霧薙くんを、正式な巫女を襲っちゃったから」

学園内にいる、精霊達の気配が弱いと綾子は言う。
真砂子も頷いた。
ほとんど気配を察知出来ないくらいまで、弱まっている。
正式な巫女を襲うということはすなわち、祀りを行う者がいなくなるということである。
瑞焔は歴代で一番の力を持つ。
瑞焔以上の巫女はすぐには現れないだろう。
第一母体である『桜』は人間を傷付けることを望んではいないようだ。

「あとはきっかけさえわかれば……」
「霧薙くんはまだ何か隠してはるようですね」
「そのようだな。もう隠す必要はないようだから、時期が来れば言うだろう」

明日には、魂鎮めが行われる。



霧薙家、離れの奥。
正面からは見えないが、更に奥へと進むと建物があった。
中は六畳ほどの和室と、大浴場のような水が溜まった桜水(おうみ)と呼ばれる場所。
禊のための部屋で、巫女と霧薙の直系、直系付きの使用人のみしか足を踏み入れることができない場所だ。
桜水には腰まで水に浸かった瑞焔がいる。
この真冬に水の中はきついだろうに、彼はガラス張りの天井を見上げたまま動かない。

「瑞焔様」

鍵がタオルを持って、呼びかける。
彼は緩慢な動作でそちらを見ると、ざぶんと頭まで水の中に潜った。
かと思いきや、すぐに顔を出す。
普段眼帯で隠している右目は瞑り、冷たい石の床に上がる。
そのまま鍵がタオルで青を通り越しいつもより白くなった体を包んだ。
体も髪も丁寧に拭かれ、拭き取れなかった髪の水気はドライヤーで乾かす。
さすがにこのままではこの真冬、風邪どころではすまなそうだ。
禊のためで仕方ないとはいえ、巫女が体調を崩してしまっては意味がない。

「瑞焔様、食事の仕度はしてありますので、いつでもご用意できますが」
「ああ……もう少しあとでいい。少し、考えたいことがある」
「わかりました。お部屋は暖めてあります」
「そうか、助かる」

頷いて、瑞焔は和室へ向かっていく。
着流しの裾から見える、しゃらしゃらと音がする足に思わず目がいく。
霧薙の敷地内のみでしか鳴らないその音は、瑞焔の枷だ。
初めて、あの香りを嗅いだ時は本気で眩暈がした。
甘いのに容赦なく、脳内を侵食していくような、例えるなら麻薬のような、そんな香り。
あの香りは彼自身なのだとあとから気付いた。
瑞焔は、身内には多少厳しいが基本的に身内にも他人にも甘い。
それなのに何かあった時には容赦しない。
緩やかに甘やかに、じわりと侵されていく。
燃えるような髪も紫水晶のような瞳も、雪のようなきめ細やかな肌も透き通った声も。
すべてが美しいと言わずにはいられないもので構成された主。
ふわりと振り向いた動作も、彼がするとそれさえ見蕩れてしまう。

「鍵?さっきから視線が痛い」
「すみません。瑞焔様がお美しいので、つい」
「そうかそうか。そんなに美しいか。いーちゃんにあんまり言われたことのない言葉だ」

丹羽は一体瑞焔に何を言っているのだ。
瑞焔は機嫌を良くしたようで足取りが軽い。
瑞焔は確かに機嫌の機微がわかりにくいが、その実、機嫌を上下させるのは簡単だったりする。

「瑞焔様」
「うん?」
「私は、いつでも瑞焔様を受け入れる態勢はできておりますので」
「…………お前、なんか年々おかしくなってきてないか」
「まさか。負けないように必死なのですよ」
「誰にだよ」

怪訝そうに返してきた瑞焔にただ微笑み返す。
一番の敵は丹羽だ。
瑞焔は丹羽に懐いているし信頼もしている。
その上、人と触れ合うのをあまり好まない瑞焔が、自分から触れる相手でもある。
元々瑞焔に対して甘く、且つ高校に上がってからというもの触れ合うことが多くなった。
こちらは無防備な姿を見ているとはらはらするというのに。
というか、誰か他の人間に瑞焔をくれてやるならいっそ自分がという点で、丹羽と合致しているのが何とも言えない。
幼い頃から溺愛してきたのが悪かったのだろうか。
いや、その頃から瑞焔を他の人間に渡すつもりはなかったので、筋金入りなのだろう。
瑞焔さえいれば、自分はそれでいい。
主の踝の輪は、相変わらずしゃらしゃらと鳴っている。



ところは桜牧学園に戻り。
『桜』のところへ行っている綾子を除き、ベースにいるメンバーは各々やることがないので自由にしていた。
リンはパソコンを構い、ナルは別件のファイルを読み込み、他はお茶の時間である。

「きっかけかあ……」
「まだ考えてるんですの?あたくし達が考えても意味のないことですわよ」
「そうだけどさあ。やっぱり気になるんだよね」

何なのかなあ、と呟く麻衣に滝川や安原、ジョンが苦笑する。
こればかりは自分達にはわからない。
正式な巫女である瑞焔でないと『桜』の声は聴こえないのだ。
温くなった紅茶を手にしながら、滝川はふと後ろを振り返る。
恋人であるリンは、いつも通りパソコンに向かったまま。
丹羽と瑞焔を見ていると本当に二人が羨ましくなる。
お互いを絶対と言ってもいいほど信頼して、揺るがない。
恋人ではないにしてもああいう関係はひどく羨ましくて、そして自分達もそうであれたらと思う。

「ぼーさん?」
「え?ああ、何でもないよ」
「ほんと?大丈夫?」

心配そうな顔で覗き込んでくる麻衣に滝川は笑みを返す。
疲れているのではないかと目で問うてくる様子に苦笑した。
疲れていることは疲れているが、今回は、正直言うとあまり出番はなかったので疲れもいつもの調査と比べるとあまりない。
ずっと気を張っていたせいでの疲労が一番大きい。
こうなると仕事が好きなナルやリンはいいなあと思ったりもするのだが。
両手で包んだカップから紅茶を一口、嚥下する。
少し沈んだ様子に何気にリンが気付いて、席を立った。
思考に落ちている滝川は気付かず、近付いてきたことに麻衣が声を上げる。
それでも滝川は気付かない。
肩に手を置いたことでようやく我に返った滝川は、驚愕して振り返った。

「っリン……!」
「どうかしましたか」
「や……別にどうもしてないけど」
「本当に?」

問う形ではなく、何かあったのだと確信して訊いてくる。
どうしてこういう時ばかり、訊いてほしくない時に限って声をかけてくるのだろう。
気付かせないように振る舞っているつもりなのにリンはいつも、何をしても必ず気付く。
本当に、リンには敵わない。

「……ずるいなあ……」
「何がですか」

作業を一旦中止して、リンは滝川の隣に腰を下ろした。
紅茶を淹れた麻衣に会釈をし、恋人に視線を戻す。
片手は滝川の腰に回って逃がさないようにしっかりと抱かれている。

「丹羽先生と、霧薙少年が羨ましくて」
「羨ましい?」
「絶対的な信頼関係っていうのかな。いいなあって」
「私とあなたはそういう関係ではないのですか」

平然と放たれた言葉に滝川がことりと首を傾げ、やがて目を大きく見開いた。
腰に回した腕の力を強めたリンは顔を近付け、鼻先が触れるか触れないかのところで口を開く。

「恋人とは、絶対的な信頼関係でしょう」

違いますか?と問うリンに滝川は首を横に振った。
羨ましいだなんて、自分達の関係がそのものではないか。
考え込んでいた自分が恥ずかしくて唸る滝川の髪に唇を寄せ、ぎゅと彼を抱き締める。
成人した男性で硬いところばかりといえど、恋人を抱き締めて不快になる人はいないだろう。
リンも例に洩れず、仕事をしている時以上に機嫌が良い。
溺愛している恋人なら尚更拍車が掛かり、人目も憚らず抱き締めたり口付けたりするのだ。
滝川に関してのみだが暴走してしまうところはリンの悪いところではある。

「余所でやってくれたらありがたいんですがねえ」
「そうですわね。けどこんなに堂々とされては、注意する気も失せますわ」
「だよねー」
「まあ……仲が良いことはよろしいよって」

傍観していた四人の声は二人に聞こえてはいないようだ。
恋をすると人は変わる、の言葉をそのまま表したかのような二人に、四人は溜め息を吐いた。

 
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