瑞焔は盛大に顔を顰めたのに対し、丹羽は軽く会釈した。

「帰ってきた祖父に挨拶もなしか、瑞焔」
「……おかえりなさい、じい様。寒いです」
「おお、すまんな。鍵、私にも茶を」

はい、と首肯した鍵はあらかじめ予想していたのだろう、余っていた湯のみに緑茶を注いだ。
障子を閉めて下がった鍵と入れ替わりに瑞焔の隣へ、男性は座る。

「どうも、お客人方。君達が例の調査をしているのだったね」
「所長の渋谷一也です」
「ご丁寧に。私は霧薙水貴と申す。瑞焔の祖父だ……と言わずとも、君達は調べているのだろうが」
「ええ、一応。あなたも関係者ですので」

扇子を広げて笑う水貴にナルの視線が刺さる。
だが水貴は意にも介しておらず、むしろ孫の性格から慣れているようだった。

「水貴さんは、五十年前にも今回のような事件に関わっているそうですね」
「ああ、今回より被害は多かったが。私は瑞焔のように強い力は持っておらんから、それが徒になったのだろうな。瑞焔くらい強ければもっと被害は少なくすんだ」
「当時、何があったんです?」
「今回とほぼ同じことが。きっかけは恐らく、校舎が建て直されたこと」

敷地は変わっていないが、校舎のみ新しく建て直されたのが、五十年前。
それがきっかけだというなら、今回は何なのだろう。
校舎や敷地に一切手を加えていない。
時々全校生徒で敷地内を掃除することがあるだけで、あとは自然のままだ。

「それがいけなかったのだろうな。あの『桜』に何もしていない」
「樹精がいるそうだからなあ、そこの巫女さんによると」
「樹の巫女か、珍しい。なるほどそれで、瑞焔は機嫌が悪いのだな」
「黙れじじい」

不愉快そうに眉を寄せた孫に水貴は笑みを深め、丹羽へ視線を向けた。

「詠人、君はわかったようだね」
「ええ、まあ。瑞焔が機嫌悪い原因も」
「そこ、勝手に憶測で話してんじゃねえぞ」

元々良くはなかった口が一気にこの短時間で悪くなっている。
元の彼がそういう口調なのだろう。
身内にも容赦なく、というより身内だからこそ遠慮なく言葉を発せられる。
友人の少ない瑞焔にとっては、そういう存在や関係がひどく大切なのだ。
恵や唯涼を危険に遭わせないよう、わざと何も話さないのと同じように。

「私の時も軽傷者は皆、一般生徒だったが重傷者と死亡者は霧薙の関係者だけだった。向こうはわかっているのだろうな。霧薙には独特の香りがあり、体のどこかに家紋を刻んでいるから」
「香り?」
「桜の匂いだ。正確には桜の葉の匂いだが。霧薙の者、特に直系はその香りがする。いっそ体臭と言うべきかな」
「でも、瑞焔くんや水貴さんからは何も匂いなんてしませんよね」

麻衣が言えば水貴は柔らかに笑った。
孫の名前を呼ぶと、彼は渋々といった様子で踝に付けた、紅い珠が連なる環を外す。
途端、桜の匂いが部屋中に広がった。
誰しも覚えのある香りだが、そこへ甘さが混じり、くらくらと眩暈がしそうになる。
とてもじゃないが、長時間この香りの中にいるなど不可能だろう。
丹羽や水貴、鍵は平然としているが、慣れていない者にとっては途中でおかしくなりそうだ。
瑞焔は肩を竦めると環を再び踝に付けた。
すると香りは治まって、微かに香りを残しながら消えた。

「霧薙の直系は特に香りが強くてな、能力の強さに比例するらしい。多分今のところ俺が一番強い。だからこういう制御装置を付けてるんだ。ちなみにどれも丹羽家特製。霧薙の力をよく理解してるのは丹羽しかいない。鍵みたく余所から個人で仕えてる奴もいるけどな」
「桜の香りなのは、あの『桜』と何か関係が?」
「そうだ。……俺としては、これ以上犠牲を出したくない。何より俺が狙われたんだ。この辺で潮時だろう。訊きたいことがあれば何でも訊け」

瑞焔自ら、そう言ったことにナル達は少なからず驚いた。
今まではぐらかして、真実を見えなくしていた張本人から言われたのだ。
てっきり楽しんでいたとばかり思っていたが、彼なりに時期を見計らっていたらしい、瑞焔曰く。

「ていうか、お前ら学校で訊いてくるんだもん。あんな誰が聞いてるかわからんとこで霧薙について話すなんてできない。うちのことを語るのに霧薙の外は、絶対的に安全とは言えないからな」

次代当主として、霧薙家のことをしっかり考えている彼に鍵が感激のあまり泣いていたが、瑞焔は爽やかにスルーしていた。

「まず、学園にいる霊ではないものとは何か。次に、あの『桜』と霧薙家の関係。瑞焔さんは何者か。霧薙家が徹底的に隠すものについて」
「一気に質問してくんな。えーと、学園にいる奴らについてか。あれは樹精だな。正確には、小さな精霊の集まり。あれが集合体として影になって、生徒を襲っていた。元は『桜』の樹精なんだ。式神というべきかな。霧薙はその本体である『桜』を祀る家系。巫女の役割をしている。だが『桜』があんなところにあるからな。精霊祭とか行えないんだ。移動させるのもな。だからあそこに学園を建て、霧薙が学園を管理するようになった」

すらすらと話す内容にすごい事実が隠されていたように思うが、瑞焔が次々に話していくのでナル以外は着いていくので精一杯だ。
リンはいつの間にかパソコンを立ち上げ話をメモしていて、いっそ感心する。

「俺が何者か、か。あの『桜』の巫女だ。樹の巫女ではない。俺の場合は桜に限られる。霧薙が祀るのは桜だからな。本来女がやるから巫女と称してるんだが。霧薙と丹羽は元は同じでな、陰陽師の家系だったそれが分かれて、今の霧薙と丹羽になったわけだ。だから陰陽師の五芒星と、祀ってる桜が合わさって家紋になってる。おっと、閑話休題。で、当代の巫女は俺なんだが、あの『桜』の声は俺にしか聞こえない。でも俺は確実に半日は結界が張られた保健室にいるから、なかなか向こうの声が聞こえないんだ。向こうも結界が強くて破るの大変みたいだし。定期的にちゃんと聞きには行ってる。だが母体は我慢できたとしても、その式は蔑ろにされてると思った。祭りはしない、あんなとこに残したまま、人間は御神木として扱わない。それで今回の事件。でもきっかけが、まだわからないんだ」

無意識か、そっと右目の眼帯に触れる。
そうして半分ほど目を伏せる。
瑞焔が巫女だということに、滝川と安原は納得した。
保健室で綾子のことを話した時、あんなに機嫌を悪くしたのは当然だ。
巫女である自分ではなく、綾子が樹の巫女として対話をしようとしたのだから。
それでも綾子には聞こえなかった。
瑞焔ではないと駄目なのだ、あの『桜』には。

「霧薙が徹底的に隠すのはな、家系のせいだよ。こういうのは表に知られるべきではない。霊能力があると知られてどんな目で周囲から見られるか、あんたらにはわかるだろう。それに加え、この桜の香りと桜を祀る巫女の血筋だ。面白半分で寄ってくる連中ならどうとでもなる。だけど学園に不利益なことを知られてみろ、うちには何百という生徒と、それに見合うだけの教師がいる。そいつらに不快な思いはさせたくない。あの学園の生徒だからという理由だけで差別されるのは嫌だろう。だから、霧薙と丹羽の関係は徹底的に隠す。俺がいーちゃんを桜牧の出身じゃないと恵に教えたのもそのためだ。そうしないと勘の良い奴なら気付くだろう、俺といーちゃんが親しい関係だと。そこから霧薙を調べられると厄介なんだ。あくまで学園内では俺達は、生徒と保険医で通っていなければならない」

しかしそれならば、被害の大きさに疑問が残る。
いくら無関係といえど、軽傷といえど、怪我をした生徒がいるのだ。
重傷者は霧薙の関係者だけだった、裏を返せば霧薙の人間だけが死の危険に晒されている。
だから、早々に行動を起こさなかったのか。

「無関係な人間が襲われるのは、邪魔だからだろう。精霊達にとって霧薙以外は邪魔でしかない。だからできるだけ、襲われる時間、逢魔ヶ時には校内にはいさせないようにした。噂だけでは好奇心で残る連中がいるから、実際に体験してみればほぼなくなるだろうと思ってな。行動しなかったのはそういう理由だ」
「だからといって被害を出すのは感心しませんね」
「そう言うな。人間、経験しないと学習しない生き物なんだ。それに軽傷ですむとわかってたからやってたんだよ。その間に一人殺されたのは、微妙に計算外だったが。誰か死ぬだろうとは思ってたが、あんな早期だとは予想してなかった」
「身内が殺されたっていうのに、そんな言い方できるんだ」

非難が込められた言葉に瑞焔は苦笑しただけだった。

「身内だといっても遠い。まともに顔さえ合わせないし、名前を聞いてようやく思い出したくらいだ。でもな、霧薙の人間はいつでも死の覚悟はできてるんだよ。今回だって事件が起こった時からみんな覚悟していた。もしかしたら自分は死ぬかもしれない、どのくらいの人間が死ぬかわからないから。俺だってしてるんだ。死ぬことはできれば避けたいが、必要なら仕方がない」

巫女だからな、と静かに外へ目を向ける。
障子に遮られて見えないが、その視線は庭の桜に向けられているのだろう。
生まれた時から巫女だと定められて、強い霊力を持ってきた。
元々体が丈夫ではなく、幼い頃は何かあるたび体調を崩していて、今の年齢になってようやく人並みに動けるようになったのだ。
それでも『桜』の叫びを、瑞焔は知っている。
悲痛な、助けを乞う声を、自分の声に応えることを願う声を。
事件が起こるまでは、『桜』は瑞焔と初めて対話した時から同じように、慈愛を持った、優しい穏やかな声だった。
だが直前に、瑞焔は違和感を覚えたのだ。
何かが違う、必死に抑えて抑えて、悲しみに耐える声だった。がんがんと頭に響く、耳元で叫ばれているような叫びが、まだ脳内に残っている。
巫女として、霧薙の直系として、数年後には霧薙家を継ぐ者として。
『桜』と学園はなんとしてでも護らなければならない。
十七歳の、未成熟な体にはとても重く、縛り付けて逃がさない定め。
それをすべて受け入れ、全うしようとする瑞焔を、水貴も丹羽も鍵も、それどころか霧薙の人間は皆、好いているのだ。
護ろうとしてくれる彼をまた、護りたいと支えたいと願う。
瑞焔はきっと気付いているだろう。
知っているから余計に好意を裏切るような真似はしない。
そのわりに無茶をするのは難点だが。
瑞焔は視線を戻して、ふ、と目元を和ませた。

「俺は恵まれてるんだろうなあ……」

口の中で呟いた言葉には、誰も気付かない。

 
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