辺り一面、黒く染まった路地裏。
建物に遮られ月明りもほとんど届かないこの場所で、荒い息遣いだけが耳へ届く。
漏れる臭いは鉄。
ぴちゃぴちゃと血を舐めるような音と、がりと何かに歯を立てた音。
かろうじて届いた明かりが転がる手足を浮き上がらせる。
赤い血溜まりに浸るのは四肢と、繋がっているはずの胴体。
惨たらしい状態にされ散らばる身体の中央に腰を下ろしているのは、少女だった。
色素の薄い髪だけではなく体中を真っ赤にして腕に抱いているものを一心に食らう。
悲惨な、吐き気を及ぼすほどの状況だった。
異様で異常な光景に新たな音が加わる。
からんと軽い音は少女を振り向かせるには十分で、素早く、猫のように振り向いて唸る彼女に穏やかな声がかかる。

「怯えなくていい。お前さんと同じようなものだよ」

から、履いている下駄がこの場にそぐわぬ音を数回立てる。
少女は警戒したまま、退こうとも進もうともしない。

「それ、どうしたんだ?」

指差したのは死体だ。
平然と柔らかく、彼は問いかける。

「……襲ってきたから」
「うん」
「喰って、やった」

にたりと笑う表情は歪んでいて、こういう笑みを浮かべることに慣れていないのだろう。
襲われさえしなければ、この世界とも関わらず、こんなことにもならずに平和に暮らしていたはずだ。
人間を襲う者はたまにいる。
同じ人間同士でも殺害や障害があるのだ、住む世界が違えどそれは変わらない。
ただ、この少女はもう。
彼は一度目を伏せると先程までの探るような歩みをやめ、一気に彼女に近付いた。
あと一歩というところで少女と目線が合うようにしゃがみ込む。
少女は、話をしていた人物の姿に瞠目した。
人間と変わらない見た目だけなら、自分より色素が薄いというだけだっただろう。
だが彼の本来人間の耳がある部分には動物の耳が生え、背後には尻尾が何本も。
自分が喰らった獣と同じ世界の者。
彼はにこりと笑って、少女を迎え入れるように両腕を開いた。

「怖かっただろ。おいで」

そんなもの、もう喰う必要ない。
微笑む彼に少女は一気に緊張と警戒を解いて。
ぶわりと鳶色の瞳から水分が溢れ出して倒れこむように彼に抱き付いた。



眠る少女を両腕に抱いた彼の背後、桜が咲き誇る大木の枝。
しゅるしゅると舌を出して様子を窺うように巻き付く蛇がいる。
男性――滝川法生は、血溜まりを一瞥すると背後の気配に向けて声を発する。

「覗き見してるなら助けてやればいいのに」
『あなたがいるなら手を出す必要はないでしょう』
「最初っから助けるつもりなんてなかったくせに」

肩を竦めた滝川は腕の中で眠る少女を見やる。
帰って体を洗ってやらないと全身血まみれだ。
喰われた、恐らく猫又は自ら彼女を襲ったのだから自業自得。
元々人間に危害を加えないと、この世界では暗黙の了解であったのだ。
同情する気もない。

「嬢ちゃん、うちで預かるから。お前もくる?」
『承知しました。……いえ、しかし』

戸惑いを見せる蛇、いや蛟は枝から落ちるように離れる。
地面に落ちる前に蛟の姿が消えて、かと思えばその場に男性の姿が現れる。
滝川よりも少し年嵩の男性、リンは困ったように眉を下げていた。

「無理にとは言わんけど」
「そういうわけでは。ただ……」
「ただ?」

リンは滝川が抱く少女を見下ろす。
泣き疲れたのと極度の恐怖から解き放たれて、今は安堵したようにあどけない寝顔を晒している。
血まみれでなければさぞ和む光景だったろうに。

「彼女……誰が洗うんですか」

ぱちり、滝川はきょとんと瞬いた。
服は血が付きすぎてもう駄目だろう、捨てるしかない。
けれど髪や体はそうもいかない。
丁寧に洗い落として真新しい服に着替えさせて、ゆっくり眠らせる。
そこまでを、誰がやるのか。
滝川は昔から奔放に転々としてきたので、現在も当然一人で暮らしている。
だから彼の家には彼しかいない。
この長い人生、女の裸なんて数えきれないほど見て触っている。
滝川自身、まったく自分が洗うことに抵抗も疑問もなかったのだが。

「元は人間でしょう。しかもその年代はより過敏なはずですが」
「あっ、そっか」

そういえば、と滝川は頷いた。
同じ妖でも個々の性格で恥じらう者はいるけれど、だいたいが長い月日を生きてきているせいか、わりとその辺り抵抗が非常に少ない。
けれど少女はつい先程まで人間だった。
歳の頃を見るとまだ十代後半、思春期に該当する。
さすがに知り合ったばかりの男の自分が洗うのはまずいか、と思考して知人を脳内に浮かべる。
女性の知人と言うと近しいところでは三人。
そのうち一人は人間で、今は海外に住んでいるので除外。
残りの二人で適当なのは蛇の彼女の方だ。

「じゃあリン、連絡しといて」
「私がですか」
「仲間同士仲良くやれよ」
「私は蛟で彼女は蛇です、同じではない」

外見は似たようなものだと思うが。
滝川は口には出さず、笑顔で「お願いな」と告げて少女ともども姿を消した。
残されたリンは一人、溜め息を吐いて彼とは逆方向の空を見上げる。
月は雲に隠されることなく煌々と明るい。

 
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