閉鎖空間、猫屋敷 | ナノ

季節は巡って、あっという間に1年が過ぎていった。花子の大きすぎるランドセルはちょっと大きいランドセルに変わり、ショートヘアだった黒髪はセミロングほどの長さになった。無造作に一つ結びしてやってくる花子の髪を整えてやるのは、一松の日課になっていた。
この前小学校へあがったばかりなのに、花子はもう2年生である。ーーー早い、早すぎる……一松は居間で夏休みの宿題に励む花子を見ながら謎の焦燥感に駆られたが、そう感じているのは一松だけかもしれない。自分が花子くらいの時は1年がとてつもなく長かったようなきがする。20歳を過ぎた辺りからは1年が矢の如く去っていったような気もするが…。新鮮味のない生活を送っている証拠だろう。


カラン、と麦茶の入ったコップが音を立てる。悲しいかな居間のクーラーは故障中で、今この部屋の温度を下げてくれる文明の利器は扇風機のみである。幸い一松の寝室はクーラーが動くのでそこまで困っているわけではない。だが、流石にこんな幼い子供を寝室に連れていくのは気が引けた。何かするわけでもないが、そこは一松のセーフとアウトのボーダーラインだ。寝室は、なんかアウトだ。

ちなみにほとんどの猫達は涼しく快適な寝室へと避難しているので、花子は来る度に「猫がいない!」と文句を言う。そんなことを言われても寝室へ連れていくことはできない。一松が「知らん」と一言言うと、頬を膨らませた花子が一松の腹に弱々しいパンチを送った。痛くも痒くもない可愛らしいパンチだ。

というわけで、仕方なく花子は夏休みの宿題を消化しているのである。ブーブーと文句を言っていたが、母親にも友達の家で宿題をすると言って出てきているので結局やらなければならないのだ。
一松はリットルだのデシリットルだので躓いている花子を横目に、時計をチラリと見て12時を指しているのを確認するとのそりと立ち上がり、台所へ移動する。

「おじちゃんごはんなにー?」
「そうめん」
「またー?!髪の毛がそうめんになる〜」
「勝手になってなよ」
「卵つくって!」
「めんど…………」

花子が午前中に家に来ると、一松は簡単ではあるが一応昼ご飯を作ってやった。といっても、ほとんどは松代から送られてきたそうめんを湯掻くだけで、具などは何も無い。初めてそれを出した時、花子が「えぇーーーーー?!」と大袈裟に驚いたのは記憶に新しい。山田家のそうめんは錦糸卵やきゅうり、しいたけの甘辛煮などと一緒に出てくるらしい。そんな豪華なそうめんうちで出るわけねーだろと一蹴すると「栄養バランス考えないとだめだよ」と叱られてしまった。小学二年生に。まことに情けない。だが面倒なものは面倒なのだ。

今日はリクエストされてしまったので、お湯を沸騰させる間に仕方なく錦糸卵を作ることにする。…出来栄え?そんなの、想像できるでしょ。






「どーぞ」
「やったー!いただきます!……卵太い」
「文句があるなら食べなくてもいいよ…」
「いやーたべるもーん」

花子は宿題を机の下に置くと、消しかすをぱっぱと適当に払って手をあわせた。…お前それあとで掃除するの俺だぞ。と喉まででかかった言葉を飲み込んで、一松も花子の向かいに腰を下ろす。

「おいしい!おじちゃんはそうめん茹でるの上手いね!」
「あざーす」
「でもちゃんとしたご飯食べないとだめだよ。こけたら骨折しちゃうんだよ」
「うわーまじかーこわーい」
「だからね、ちゃんと野菜も食べて、お肉も食べて、牛乳も飲まないと!」
「食べてる食べてる。飲んでる飲んでる」
「ほんとにぃ?」
「…そんなに言うなら花子が作ってよ」
「いいよー!でもまだ包丁使えないから大人になったらね!!」

にっ!と笑うと、花子は勢いよくそうめんを啜った。しかし勢いがよすぎてめんつゆがふくふくのほっぺたや机に飛び散ってしまう。あーあと思いながら、一松がティッシュを1枚取って花子へ渡すと、花子はきょとんとした顔で軽く首を傾げた。
それを見て一松は、はぁと短く息を吐くと、身を乗り出して花子の口元を乱暴に拭った。ついでに机も。

「汚ったね」
「おじちゃん痛いよ!」
「落ち着いて食べな。女でしょ」
「わかった!お上品ごっこしながら食べる!」
「はぁ?」

お上品ごっこぉ?初めて聞く単語に一松が顔を歪めると、花子は箸でそうめんを器用に一本掴むと、それを口に運んだ。先ほどのズルルルル!という音とは真反対の無音でそれを飲み込むと、花子はその小さな唇をつんと尖らせた。

「あ〜らおじさま、そんなはしたないお顔をしては下品ですわ〜」
「………んだそれ……」
「あらいやですわ!言葉遣いがなってませんこと!」
「ごめん、もう普通に食ってくれる?」
「えーもう終わり?」
「いや、それなに?お、お上品ごっこ…?」
「クラスで流行ってる!」
「ふーん………」
「おじちゃんもする?」
「しない」

小学二年生ってやつは、不思議な生き物だ。