閉鎖空間、猫屋敷 | ナノ

「お母さん、猫の声が聞こえる」
「そうね。でもこのお家には近づいちゃだめよ」
「どうして?」
「怖い人が住んでるから」



えーやだー!じゃあ行かなーい。
きゃあきゃあと笑う幼い声が、夕焼けに染まった外界から聞こえる。この家の主である松野一松は、縁側で猫の頭を撫でながらふん、と鼻を鳴らした。


近所でも有名な猫屋敷、見た目は昔ながらの日本家屋である。数年前までは、世にも珍しい六つ子が暮らす一軒家だった。しかし今ここに住んでいるのは、いつもマスクで顔を覆っていて表情が読み取れない男、松野一松とたくさんの猫達だ。その男は三十路前になるのに昼間はフラフラと出歩き、何をしているのかわからない。
男6人と両親の住んでいた騒がしい家は、今では猫の鳴き声しかしなかった。そんな家を近所の人達は次第に不気味だなんだと敬遠するようになっていき、最終的には普通の一軒家なのにお化け屋敷扱いされる始末だったが、人との交流が得意ではない一松にとっては、そんな噂を流されるのは好都合でしかなかったのである。









「おじちゃん?こんにちはー」

しかしそんな不気味な噂が流れる家にも出入りする者がいた。まだおじちゃんと呼ぶには早すぎる年齢である一松のことを、遠慮なくおじちゃんと呼ぶこの少女は、山田花子という。
最初こそおじちゃんと呼ばれたことにショックを受けた一松だったが、今ではすっかり慣れてしまった呼び名だった。
花子はこの猫屋敷の近所に住む小学一年生で、今日も学校帰りなのだろうまだ真新しい真っ赤なランドセルを、その小さい体で背負っている。

「…また来たの」
「来たよ!ミケ、しろ、たま、こんにちはー」

花子は縁側で寛ぐ猫達に挨拶をかわすと、同じく縁側で胡座をかいていた一松の隣へと腰を下ろした。

「こんなに来て、怒られるよ」
「大丈夫!言ってない!」
「そういうことじゃなくてさ…」
「にゃお、にゃおちゃん。よしよし」
「…………ランドセルおろせば?」

小学一年生の花子は自由奔放だ。彼女がこの家に来るのは大体週4〜5日。数分で帰る時もあれば、数時間滞在することもある。
何度か一松が外出中であるにも関わらず、勝手に家に入っては猫と戯れていたこともある。この家に盗まれて困るものなどないので、一松は365日24時間鍵をかけていなかった。
幼い花子は松野家に鍵がかかっていないことも知っているのだ。

「可愛いね、よしよし」

花子は超がつくほど動物好きである。しかし花子の家はペット禁止で犬も猫も飼えない。だからなのか、花子は本当によくこの家に遊びに来ていた。最初の頃は警戒していた猫達も、花子には気を許している。この幼い少女に腹を見せて撫でろ撫でろとアピールする猫もいるくらいだ。それほど花子は、この松野家に入り浸っていた。

「おじちゃん、今日のことお母さんに内緒ね!」
「言われなくても言わねーから」

しかし、花子の母親はそれを良しとは思っていなかった。小学校に上がる前から何度か松野家に訪れていた花子は、母親に「猫のお家楽しかった!」とこぼした事がある。
途端に花子の母は目を逆三角にして「もう絶対に行っちゃダメ!」と花子を叱りつけた。しかし、花子はその約束も守ることなく今も通い続けている。だって、わけがわからなかった。なんで怒られなきゃいけないの?私は猫と遊んでいただけなのに。おじちゃんだって、優しいのに。
花子は優しい一松のことも好きだった。そんな一松のことを否定されたような気がして、僅かな反抗心が産まれたのだ。おじちゃんのこと悪くいうお母さんのいうことなんか、聞かないもん。そんなこと口が裂けても言えなかったが。

「花子、なんか飲む」
「いる!」
「うい」

花子が来ることはなんだかんだ彼にとっても日常になっており、一松は花子のためにジュースやお菓子を買うこともしばしばあった。勿論自分も食べるが、スーパーでお菓子コーナーに寄った時思い出すのは幼い花子のことだったのだ。娘がいたらこんな感じなんだろうなぁなんてぼんやり考える日々である。娘、娘か。俺と同じ歳で花子くらいの娘を持つやつもいる、そんな現実に死にてェ…と思うこともあったが、花子や猫を見るとそんな気持ちもぶっ飛んだ。

「ドーゾ」
「ありがとー!カルピス?」
「うん。好きでしょ。」
「うん!好き!」

ごくごくと白い喉を鳴らしてカルピスを飲んだ花子は、プハーーー!と息を吐くと「おいしー!」と一松を見てにこにこと笑う。気づけばそんな花子の頭を撫でていた。可愛い、子供も可愛いもんだな。花子と出会ってそう思うことも増えた。俺も年取ったな。一松はふん、と自嘲気味に笑って、自分もカルピスをごくりと飲み干した。