閉鎖空間、猫屋敷 | ナノ

3年間も音信不通だった片思いの相手が突然家にやってきたのは、数ヶ月前のことだった。

その日僕は居間でテレビを見ていた。丁度動物番組の再放送をやっていたのだ。愛猫との別れというテーマで進められたそれに僕は年甲斐もなくボロボロと泣いていた。テレビを見た1ヶ月ほど前に親しい猫を亡くしたばかりだったから、なんてタイミングだと思ったよ。見るかよこんなんと思いつつ見てしまった僕も僕だけど。
そんなテーマだからさ、そりゃ感情移入するでしょ。可愛がっていたあいつとの出会いやらなんやらを思いだしながらも静かに涙を流していると、突然襖がスパァン!と小気味のいい音を立てて開いたわけよ。いやびっくり通り越して半分失神したね。おっさんの心臓の小ささ舐めないでくれるかな。兎にも角にも一体誰がやって来たんだと僕は慌てて目元を袖で拭った。どうせ兄弟の誰かだろうけど…。最近一松兄さんおじいちゃん化が加速してるなんて言ったのは誰だったか。
僕はため息をついて「急に音立てんな」と至極真っ当に呆れたような声を出して振り向いた。まぁ十四松あたりだろと思いながら。あいつはなにかと僕のことを心配しているようでよく来てくれるのだ。
しかし振り向いた先に立っていたのは十四松でも、ほかの松でもなかった。

「…おじちゃん、久しぶり」

「…………花子…?」

3年ぶりだったけれど、すぐにわかった。見慣れない制服に身を包み重そうなスクールカバンを持った花子は、僕の反応ににぃっといたずらっ子のような笑みを浮かべた。

「よっ、」

床に鞄を置いた花子がこちらに歩み寄ってくる。僕は今どんな顔をしているんだろう。色々な感情がブワッと溢れ出してきて、何を喋ればいいのか、何をすればいいのかわからない。頭が追いつかない。なんで今更。3年も俺のことほったらかしにして。

「さむぅ〜」
「ちょ、っ…」

こたつに入っている僕の隣に腰を下ろした花子はぶるぶると大げさに震えている。今から春になろうという時期だから、寒いのは当然だ。でも他に空いてるところ3つもあるのになんで俺と同じところに入ってくるの。いつも急に現れて。そうやって俺に近づいて。お前は一体、何を考えているの。

「あのね、私春から赤塚高校に行くんだ〜。さっき合否発表みてきたの!やっぱりこの町懐かしくて、時間があったから久々に来てみたんだけど」
「……………」
「なんか昔より猫ちゃん、減ったね。あ、皆上にいるのかな?」
「……………」
「…おじちゃん、なんかあった?」

花子が心配そうに、俺の顔をのぞき込んでくる。僕はまだ頭の中がゴチャゴチャで、なんと言えばいいのかわからずサッと目を逸らした。ああ、なんで今更……どうして?俺のこと嫌じゃなかったのか?わからない。お前が考えていること、一つもわからないよ。花子。

「もしかして泣いてたの…?テレビ?」
「…………」
「あ〜ごめんね変なタイミングで来ちゃって」
「……今更じゃん」
「あは、そうだね。でもそれにしては元気なさすぎ!目が死んでるよー」
「…………」

ケラケラと笑いながら俺の背中を撫でる花子は、昔と何も変わらない。髪が伸びた。ふっくりした頬も少し痩せたのかすっきりして、子供らしさはほぼない。見た目こそ成長したが、中身はやっぱり花子そのものだった。

「なんで来たの?」

気づけばそんなことを口走っていた。
花子は少しだけ目を開いてから、困ったように笑った。ああ、そんな顔できるようになったんだね。

「ダメだった?おじちゃんのこと思い出したから来たんだよ」
「忘れてたんだ」
「えへ、そうかも。忙しかったんだよ〜。ごめんごめん!」

悪びれもなく、はっきりとそう言われてはこちらもなんと返せばいいのかわからない。忘れてないよ、なんて言われたら、嘘つきと攻めることもできたのに。やっぱりこいつといるとどうも調子が狂う。いつもそうだ。小さな花子のペースにのせられて、結局僕が折れるのだ。

「べつに…怒ってないし…」
「ほんと?これからまたちょくちょく来るからね!」

は……??

何それ。こいつは昔俺がやってきたことを覚えていないのか?信じられないものを見るような目で花子を見れば、彼女はきょとんとした顔で首を傾げた。
嘘だろ?こいつの頭は花畑か?もう高校生だろ?

「あ、そだ。猫ちゃんたちに挨拶してこよっと」
「あ、ちょっと…」
「ん?」

急に立ち上がった花子に、僕はもう一度座るように促す。色々言いたいことはあるが、 とりあえずたまのこと…一応教えておいたほうがいいよね。

「どしたの?」
「あの、さ…たま覚えてる?」
「うん?覚えてるよ」
「あいつ、もういないから…」
「えっ……たまが?え?いないって」
「うん…丁度1ヶ月前」
「……あー…そうなんだ…そうだよね、もう、おばあちゃんだもんね」
「…まぁ、多分だけど。」
「え?」
「ずっと調子が悪くて、あんまり動かなかったんだよね。でも急にいなくなった。だから、多分…」
「そうなんだ……」

花子は呟くと、しゅん、と項垂れて「じゃあお墓参りはできないんだね」とぽつりと零す。

「……花子は」
「…ん?」
「花子はもう、俺の前から消えたりしない?」

言った後で しまった と思ったけれど、花子は僕があーだこーだ考える間もなく「なにそれ、消えないよ」と言って、顔を上げた。

「やっぱり来てよかった!おじちゃん、ごめんね。手紙の一つでもよこせばよかったよね」
「…本当にね」
「ていうかおじちゃん、痩せた?ちゃんと食べてる?」
「食べてる食べてる」
「ほぉ〜」

適当に返事するとすっと目を細めた花子が、また急に立ち上がった。止まる間もなく、花子はそのままスタスタと台所へ行ってしまったので俺はその背中をぼーっと眺める。

「わぁ、なにこれ!どく…ドクターペッパー…?」

冷蔵庫あけたな…。
バタン!と扉の開閉音の後、花子がバタバタと居間へ戻ってきた。仁王立ちだ。

「ありえない!なにあの冷蔵庫!どんな生活してるのおじちゃん!」
「…見ての通りですけど」

僕の言葉に花子はあんぐりと口をあけた。ヒヒッ…独身男の食生活なんて、花子には信じられないんだろうな。まあ今日の冷蔵庫はかなり酷い方なので、普段はそれなりに食べてはいるけど。

「も〜…ダメじゃん…」
「…なら、花子が作ってよ、メシ」
「うん」
「アザース……えっ?」
「小学生の時約束してたもんね。大きくなったらご飯作るって」

花子はぐっと親指を立てて、僕の肩をポンと叩いた。僕は反射的にびくりと震える。

「え、マジで言ってんの」
「え?マジだよ?毎日はまぁ難しいけど…たまにご飯作るよ、あ。買い物代はちょうだいね!」
「あ、はい」

…そんなこんなで俺は花子にメシの面倒を見てもらうことになったのだ。


現在の季節は6月半ば。花子はだいたい週4ペースで訪れた。本気で僕の食生活を心配してくれたのか、宣言通り御飯だけ作ってくれたり、おかずを多めにつくって明日食べなとタッパーに入れてくれたり、それはそれは甲斐甲斐しく世話をやいた。まるで介護だよなぁ…。

花子の料理の腕は、まぁ高校生らしいものだった。それなりに美味しいが、普段は作らないのだろう。手際がいいとは言えず最初の頃は毎回料理の後、台所が惨事で後片付けは2人でやっていたものだから、今は料理後の後片付けは僕の担当だ。まぁ作ってもらっている手前特に不満はない。

こんな俺のために放課後家に来て料理をしてくれる優しい花子。軽口をたたく所も変わらない。笑いのツボだって一緒だ。楽しい日常が帰ってきた。

「花子…」
「おじちゃん、だめだよ。」

居間に座った花子の肩に触れて、そのままするすると下ろしているとピシャリと放たれたそれ。
…そう、ただ一つ変わったことと言えば、触れさせてくれないということだけだった。