月が落ちる | ナノ

「こんばんは、初めまして円堂くん」
目の前で笑う少年は天使と呼ぶに相応しい容姿をしていた。尻もちをついた俺はぽかんと口を開けて少年を見上げた。
流れるような金糸。すらりと伸びる手足に、白い肌。一見少女のような容姿であるが、その鍛えられているであろう身体と骨格、それなりの身長はそいつがれっきとした男であることを表していた。

「えっと…だ、誰だお前?なんで俺の名前…?」
少し声が震えているという自覚はある。だって、ここは俺の部屋だ。窓の鍵もカーテンもしっかり閉めていたはずだ。それなのにこの謎の美少年は今、室内の窓の前に立っている。窓もカーテンも全開で、ひゅうひゅうと風が室内に吹き込んだ。揺らめくカーテンの傍に佇む少年の背後には大きくて丸い月が存在を主張するかのように輝いていた。
「そうだね、僕のことはアフロディと呼んでくれたまえ」
少年…アフロディはにこやかにそう答えると、一歩、また一歩と俺との距離を縮めてきた。腰が抜けたままの俺は尻をひきずりながら後ろへと下がったが、ごつりと音を立てて背中に硬い壁の感触が走った瞬間、全てを諦めた。

「俺、鍵閉めてたよな?」
「うん、そうだね」
「どうやって開けたんだ?」
「それはね、内緒」

長く美しい髪がまるでさらさらと音を立てているように揺れる。アフロディは表情を崩さない。目を細めて口角を上げて、まさしくニコニコと、という表現がぴったりの表情をしていた。艶のある唇から白い歯が覗く。少し長い八重歯がなんとなく目についた。
長い睫毛に縁取られた、赤みがかった瞳が俺の目をしっかりと見つめていて見惚れてしまいそうになった。天使みたいだ、と無意識に呟くと、アフロディはむっとした表情になった。
「やだなあ円堂くん、僕は天使じゃなくて神だよ!」
どうやらアフロディは神様らしい。なるほど、確かに女神のようだ。いや、本来納得するところではないのだが。神様だから俺の名前も知ってるのか。

気付けばアフロディは俺との距離を数十センチのところまで詰めていた。俺はひっと情けない悲鳴を上げながら背を壁に押し付ける。アフロディは長い髪を耳にかけながらしゃがみ、俺と目線を合わせた。
見れば見るほど綺麗な顔をしている。相手が男だとわかっているのに、その顔の近さに俺は顔を赤くしながらうろたえてしまった。
「そっ、それで、神様が俺に何の用なんだ!?」
顔から視線を逸らしながら言えば、アフロディはふふっと可愛らしく笑った。一挙一動がまるで女の子のようで、またもや俺はなんだか変な気持ちになった。

「ちょっと、今日は挨拶にね」
元から君に興味があったんだ。そう言いながらアフロディは繊細な手つきで俺の頬に触れた。びくりと肩が跳ね、ぎゃあと声を上げる。返事になっていない気がするし、俺に一体何をするつもりなんだ!と叫びたかったが、喉からは息が漏れるだけで声帯が震えることはなかった。
額のバンダナが脂汗を吸収し、湿り気を帯びている。俺はあまりにわけがわからなくて、半笑いで汗を流し続けるだけだった。
ふふ、かわいいなぁ、おいしそう。アフロディは俺の耳元で、吐息を多く含んだ声で囁いた。耳に息がかかり、俺はうあっと高い声を上げながら身体を揺らした。……おいしそう?

「あ、そうそう、円堂くん」
アフロディは俺から少し顔を離すと、満面の笑みになった。

「僕、ほんとは神じゃなくて、吸血鬼なんだ」
がぶり。




照美は100%嘘吐き気質(笑)