ふたりで地獄に落ちようか2 | ナノ

オレの奢りで居酒屋を出ると、タクシーを拾い円堂くんを無理矢理車内に引き込んだ。最初は非難の声と共に抵抗を見せていた円堂くんも、車内に入ると借りてきた猫のように大人しくなった。
二人の間にぴりぴりとした空気が流れる。無言のままタクシーのエンジン音を聞く。タクシードライバーも空気を感じ取ってか最低限の言葉しか発さず、淡々と運転を続けている。タクシーは都内では珍しいマニュアル車のもので、オートマチック車とは違うエンジン音が耳に響いて心地良かった。
あんなことを言ってしまった後なのに、オレの心は不思議と落ち着いていた。

20分ほどで目的地に着いた。タクシー代を払い、円堂くんの手首を引き車内から下ろす。
そこはオレのアパートだった。あれから引っ越すこともなく同じ部屋に住み続けていたから、円堂くんにとっては懐かしい場所だろう。
円堂くんを玄関に通し、リビングに座らせた。まさか自分でも彼を家に入れるだなんて思っていなかったから、部屋は薄汚れたままだ。机に放置してあった空き缶をゴミ箱に捨てると、適当にスペースを開けて円堂くんを座らせた。
「…円堂くん、元気になったんだね」
自分でも咎めるような口調だったと思う。円堂くんの向かいに腰を下ろしながら言うと、円堂くんは真っ直ぐにオレの目を見ていた。君のその目が好きだった。愛していた。いや、今も愛しているんだ。
「お前は勘違いしてる」
オレの目を見たまま、円堂くんは強い口調で言った。円堂くんの言いたいことがわからなかった。だってオレの言っていることは間違っていない。
俺はあぐらをかくと無言で彼を見つめた。円堂くんは確実に怒っているということがわかったけれど、オレだって腹が立って仕方がなかった。もうオレには彼を束縛する権利などないというのに。

「…俺も嘘ついてたよ」
円堂くんの表情が陰った。嘘とは何の話なのだろう。一気に冷たくなった空気に、唾液を飲み込んで耐える。
「俺だって元気じゃなかったんだ。ずっと風丸に怒られた、馬鹿だって。」
円堂くんの言葉に目を見張る。何故。なにか言いたくても、言葉が出ない。無言で彼の次の言葉を待つことしかできなかった。
「…今日はただ、ヒロトに会えるのが嬉しくて元気だっただけだ」
「そんな、そんなこと、」
あるはずがない。
時間が凍りついたようだった。言いたいことはたくさんあるのに、声にならない。喉が何か栓で塞がれてしまっているようだった。呼吸すらままならなくて、頭がくらくらする。だって。そんなことあるはずがないんだ。円堂くんはオレのことはもう好きではないのだから。
彼はしっかりとした面持ちでやはりオレの目を見つめていた。君の視線は今のオレには針のように痛いんだ、円堂くん。



勝手を知った円堂くんは冷蔵庫から常備してある天然水のペットボトルを取り出すと、グラスに注いで渡してくれた。
落ち着きがなくなり顔色も悪くなり始めたオレを心配してくれているらしい。冷えた軟水を飲み干しても、やはりオレの心は荒波立ったままだった。
「ごめんな、ヒロト」
唐突に円堂くんの口から飛び出た謝罪の言葉に首を傾げていると、円堂くんはオレの両手を大きな掌で包み込んだ。触れるのはあの日以来で、本当に久々だった。円堂くんの掌はわずかに汗ばんでいて、緊張している様子が見て取れた。
「俺がずっとお前を苦しめてたんだよな。本当にごめん」
「違う、円堂くんのせいじゃないよ」
「俺、あのときな」
オレの言葉を遮るように円堂くんが捲し立てる。大人になってから彼のこんな姿を見るのは初めてだった。
「きっとヒロトが引きとめてくれるだろうって。そうしたら俺は心を決めてずっとヒロトと一緒にいられるんだって」
そこまで息継ぎさえしない勢いで言うと、円堂くんは言葉を止めた。
ぽたり。オレの手を包み込んだ円堂くんの手の甲に、一粒の水が落ちた。オレのものではない、彼のものだ。その表情を見ようとしたが、円堂くんはオレの手ごと両手を自分の額に押しつけ嗚咽を漏らし始めた。
「馬鹿だな、俺」
声が震えている。鼻水をすする音が部屋に響く。抱きしめてあげなければと直感的に思ったけれど、オレの両手はしっかりと円堂くんに握られていて動かすことができなかった。思えば彼が泣く姿なんて今までそう多くもなかった。あの日でさえ彼は涙を流すことなくこの部屋を去って行ったのに。そんな彼が泣いているだなんて。

円堂くんが涙に濡れた顔を上げた。もう二十歳を越えて幾年と経つというのに、その表情にはあどけなさが感じられた。
「俺だってまだお前のこと愛してるのに、馬鹿だ」
彼が必死に想いを伝えてくれても、やはりオレは何も言えなかった。
円堂くんの掌をゆっくりと優しく離す。言葉が出ないかわりに、オレは彼を胸に抱きしめた。円堂くんの涙がオレの服を濡らす。オレは彼の肩に鼻先をうずめると肺いっぱいに空気を吸った。円堂くんの香りがする。この匂いも久々だった。目の奥がつんと熱くなって、視界がぼやける。
オレも円堂くんも抱き合ったまま涙を零し続けた。まるでもう二度と会うことのできない恋人同士のようだと思った。