心配をよそに、どうやらシャワーを浴びて立ち直ったらしく、スッキリとした顔でエースは戻ってきた。
「仮にここがあんたの言う通り、別の世界だとして、何であんたは俺が別の世界から来たってことを知っているんだ?」
ちゃんと考えもまとめれたみたいで、冷静に指摘してくるエースにほっとした。
これなら次の話も出来そうだ。
「その答えが残りの質問に繋がるのよ」
「どういうことだ?」
「・・・」
ここまで言っておきながら、まだ本当に教えていいものか迷っている。
その迷いを感じ取ったかのように、エースの真剣な瞳が私を射抜いた。
きっとエースなら大丈夫だろう。
「…いずれすぐバレることだから、今伝えておくわね」
話していいかは分からない。
でも、あの物語はこの国では広まりすぎていて、いずれすぐ気付くだろう。
ならいっそのこと先に教えていた方がいい。
「この本を見て」
持ってきた荷物の中から、ワンピースの漫画を取り出した。
それを表紙がエースに見えるように持つ。
「見覚えは?」
「ねぇけど」
意味が分からないというように首を傾げるエースに、中央で両手を広げている男の子を指差して見せた。
「じゃあこの男の子は?」
「そう言われてもねぇもんは…」
「麦わら帽子に赤いベスト、左目の下に傷。心当たりは?」
「麦わらに目の下の傷って…まさかルフィか!?」
驚愕に目を見開いた後、本に顔を近づけじっくりと見つめて確認している。
「確かに言われてみれば、ルフィに似てやがるが…」
「じゃあ、これは?」
「もしかして、これは俺か!!?」
エースが表紙に移っている本を見せると、先程よりも驚いてくれた。
とりあえず、自分がいるということも理解して貰えたようだ。
「これは私の世界で人気の本なの。タイトルは“ONE PIECE”。主人公のルフィが仲間と共に海を渡り、戦い、成長して、海賊王を目指すストーリーって感じかしら」
「ワンピース、海賊王…ってことは、あいつが海賊王になるってことか!?」
「さあ?そこは知らないわ。だってまだ終わってないもの」
ただでも、限りなく近いところまでは絶対行くだろうなとは思う。
それは今、言わなくていいことだ。
今必要なのは、私がこの本からどんな情報を得たかということだ。
「貴方も出てくるし、白ひげも出てくる。この間の頂上戦争も全部私はこの本で知ったの」
「じゃあなんだ?俺らは本の中の登場人物にすぎねえって訳か…?」
これを教える上での一番の難点はそこだ。
誰だって、自分が実は物語の中の登場人物でした、なんて言われて嬉しいはずがない。
自分の行動を自分で選んでいたと思っていたのに、それは誰かの手によって描かれたものだったなんて、嫌すぎるじゃない。
眉をひそめるエースに、私は敢えて首を振った。
「それはどうなのかしら?確かに本があって世界が出来たのかもしれないし、世界があったから本が出来たのかもしれない」
要領を得なかったのか、エース眉間に更に皺が寄った。
確かに今の言葉は分かりにくかったのかもしれない。
もっと噛み砕けばいいのね。
「つまり、貴方たちの世界の出来事を見ることが出来た人がいて、その人が見たことを描いているかもしれない可能性もあるってこと」
「なるほど!」
私は当然本が出来てから世界が出来ていると思っていたが、こうしてエースを目の前にすると、彼らの大きな世界を本という形で切り取っていただけなのかもしれないと思えた。
当然エースは後者だと思うことにしたのか、ほっとした顔をしていた。
そして、じっと私が持っている漫画を見つめる。
「ここに親父もいるのか」
「…うん」
「親父のことを聞かせてくれ」
まだ納得は出来ていないようだが、理解はしたらしい。
緊張した面持ちで、一番聞きたいであろう主題を切り出してきた。
だが、覚悟を決めた瞳に耐え切れずに、私は目を逸らした。
エースが大丈夫でも、私が大丈夫ではなかったからだ。
「やっぱり教えたくない」
「は!?教えてくれる約束だっただろう!?」
やっぱりまだ私には真実を告げる勇気が出ない。
目の前でエースが傷つく姿はもう見たくない。
「教えようかとも思ったけれども、でも、やっぱり知らない方がいいと思うの」
「いいから、教えろ!!親父はあの後どうなったんだ!!?」
「だから教えたくないって言っているでしょう!!だって貴方はどうすることも出来ないじゃないの!!今更傷付いてどうするのよ!!知らない方がいいことだってあるでしょう!?」
死んだ人間を助けに行くことも、残った仲間を手助けすることも、ましてや白ひげの墓参りに行くことさえ叶わない。
ならば知らない方がいい。
私はエースが傷付いている姿を見たくないだけだ。
エースがどれだけ白ひげを大切に思っているかなんて十分知っている。
「ふざけんな!!」
顔を背けながらそう言った私に、目の前までやって来たエースは強い力で私の顔を掴み自分の方へと向けさせた。
怒っている表情のエースと目が合った。
目が合ってしまったらもう逸らせなくなった。
それくらい強い目をしていた。
「そんなことはお前が決めることじゃねえ!!俺が決めることだ!!」
「!」
「俺のせいで親父達はあの戦いに来たってのに、俺が結末を知らねぇでどうすんだよ!!!」
エースの怒声に体から力が抜けた。
怖いとかじゃなくて、その強さに涙が零れた。
だって、私の反応で大体の予想はついているんでしょう?
それなのに――
「…私が知っているのは、この本の中で起こった出来事だけど、それでも信じれるの?」
「少なくともお前が嘘吐いてないってのは分かる」
なんで信じてくれるのかは分からない。
介抱してあげたからか、食事を与えてあげたからか、情報を与えてあげたからか。
私がエースを騙して閉じ込めている可能性もあるというのに…
でも、それだけ信じてくれれば十分だった。
これから告げることの重さに押しつぶされないように、深呼吸をした。
彼にとっては、1人のキャラが死んだのではない。
1人の人間が死んだのだ。
1人の大切な人が死んだのだ。
私はそれを告げなければない。
「白ひげは、死んだわ」
「親父が…死んだ…?」
「死んだの」
「嘘、だろ…?」
「嘘だって言いたいわよ…、私も」
予想はしていたのだろうが、直接告げられるとやっぱり信じられなかったようだ。
そりゃそうだろう。
それでも言葉で告げる代わりに、私はワンピースの59巻を手にとって、白ひげの最期のページを開いた。
エースに見せながら、読み上げる。
何回読んでも、様々な意味で心震えるシーンだ。
「…白ひげ死す。死してなおその体屈する事なく、頭部半分を失うも、敵を薙ぎ倒すその姿まさに“怪物”。この戦闘によって受けた刀傷、実に二百六十と七太刀。受けた銃弾、百と五十二発。受けた砲弾、四十と六発。
さりとて、その誇り高き後ろ姿には…、あるいはその海賊人生に、一切の“逃げ傷”なし」
「・・・」
エースが息を飲む音が聞こえた。
沈黙が落ちる中、私はエースが受け入れてくれるのを待った。
いや、受け入れずに怒鳴り散らしてくれてもいい。
ただ、エースの心が壊れてしまわないか、ただそれだけが心配だった。
しばらくしてエースが零したのは、受け入れの言葉だった。
「……親父らしいな」
「そうだね…」
「そっか…。親父、死んじまったのか…」
そう呟きながら、エースはへにゃりと笑った。
誇らしさと悲しさが混ざった表情に、胸が痛くなる。
「あなたに怒鳴られるまでは言わない方が良いって思ってたわ。傷つくだけだからって」
「・・・」
「でも、そうよね。父親の死を知らされないで生きる方が、よっぽど辛いわよね」
「そうだな…っ」
悲しくても何でも、受け入れなければならないことがある。
受け入れなければ、偲ぶことも出来ないから。
その人を思って泣いてあげることが出来ないから。
「すまねえ。親父、すまねえ…っ!!」
ボロボロとエースは涙を流していた。
今度は私がエースに肩を貸す番だ。
エースがしてくれたように、ぽんぽんと背中を叩く。
さっきのエースと違うのは、貰い泣きしちゃっているところだが。
バレないようにこっそりと涙を流す。
「まったく…感謝の言葉で締め括った奴が、今謝罪してどうすんのよ」
「…ああ。そうだな…」
『愛してくれてありがとう』そう言って、父親と同じように笑って死んだ彼の謝罪の言葉なんて聞きたくなかった。
勝手な想像だけれども、白ひげだってそう言うだろう。
バカ息子と言うだろう。
それからエースは、すまないと言っていたところを、ありがとうに変えて、しばらく泣き続けた。
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