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些細な憧れ《華鬼×神無
温かい陽射しが心地よい4月。
華鬼はリビングのソファで経済新聞を読んでいた。
神無が皿を洗う音に耳を傾けながら文字の羅列を読み、彼女が隣に座る気配を感じ取ると自然に頬が緩む。
その日もいつものようにゆったりと時間が過ぎていく。新聞を一通り読み終わり、神無はどうしているのだろうと横を見れば何かを熱心に見つめていた。
「…神無?」
「はっ、はい?」
ビクリと肩が跳ね上がった彼女に疑問を覚える。
何かに熱中している時突然声をかけられると驚くのは判るが、神無の反応は些か過剰だった。
「どうかしたのか?」
「う…ううん。何でもないの」
そう言って首を振る彼女に益々謎が深まる。
「何かあるのか…」
彼女が見ていた方向に目を向ける。物の少ない部屋だ。ソファの前にあるとすればガラス張りのテーブルか、小さな観葉植物、後は液晶テレビがある位だ。
電源が入っていたらしいテレビの画面では番組が映されている。
それを見て、僅かに華鬼の表情が強張った。
画面の中には夫婦と思われる男女がいる。ドラマの1シーンか、新婚風の彼らは仲睦まじく朝食を食べていた。
お互いに料理を食べさせ合う程に仲睦まじく。
華鬼はじっと画面を見つめたまま、やがて小さく呟いた。
「……………やりたいのか?」
「っ!」
ギクリという効果音が聞こえそうな程神無が身を強張らせた。
顔を真っ赤にしてから、しかし弱々しくかぶりを振った。
「やりたくないのか?」
「…こういう事、私には似合わないだろうから…」
華鬼にも何だか申し訳ないし。
そう付け足して顔を上げた彼女は困ったように微笑んだ。
華鬼は神無を愛しているから笑顔を見るのが好きだ。
けれど今の彼女の笑顔には寂しさがあり、どうも泣かせている気分になって落ち着かない。
「…なら、俺がしたいと言ったら、どうだ?」
「…え…?」
きょとんとした表情で神無が呟く。小首を傾げる仕草可愛らしい。
「互いに料理を作って食べさせ合うか?」
「…いいの?」
「神無が嫌でないならな」
「い、嫌じゃないです!」
「なら決まりだな」
艶のある黒髪を撫でれば、今度は嬉しそうに頬を染めた神無がいた。
目の前には二種類の料理。一つは神無が作り、もう一つは華鬼が作った。
神無の望みを叶えるのに選んだ夕食時に、向かい合わせで席に着いた彼女は緊張しているらしい。
「食べるか」
「は、はい。頂きます…」
目に見えて落ち着いていない彼女に口元が緩む。恥ずかしそうに響いたか細い声すら愛しい。
「…頂きます」
もう一度呟き、恐る恐る料理に箸を伸ばそうとした神無に待ったをかけた。
「違うだろう、神無」
「えっ…?」
華鬼が料理に箸を伸ばし、一口大にしてから神無の口元に近づけた。
「ほら、あーん」
「あ…あーん」
何の照れも無くむしろ楽しんでいるような華鬼の表情に戸惑いながらも、神無は差し出された料理を口に含んだ。
途端に広がる優しい味。彼そのものの安心感が心も身体も温かくさせる。
「美味しい」
「そうか」
目を細め、神無の柔らかい笑顔に魅入る。
テレビで見た時はまさか自分がやるとは思わなかったが、神無の為にするというなら気分が良い。
「華鬼も…」
「ん?」
神無が頬を染め、少し上目遣いで華鬼を見る。
その仕草は彼女にとっては無意識であり、彼にとっては強烈だった。
そんな風に見つめられたら今すぐ抱き締めたくなる。
「あーん…?」
「あーん」
差し出された料理を口に含んだ。元々神無の味付けは好みなのだが、今日はそれ以上に美味く感じた。
「美味い」
「…ありがとう」
その感謝は言葉に対してか、行為に対してか。
どちらもなのだろうと思えば、優しく華鬼の口元も綻んだ。
たまには、こんな時間もいいかも知れない。
「満足したか?」
「はい」
食事を終え、ソファで並んでまったりとしていた。神無は華鬼の肩にもたれ、華鬼は彼女を緩く抱き締めていた。
「…お前はもう少し欲というものを持った方がいいな」
「え?」
華鬼が呟いた言葉に顔を上げ、小首を傾げる。
「無欲なのもお前らしいが、もっと欲張ってもいい。今日のような事ならいつだって叶えてやる」
「…ううん。私、充分欲張りです」
「?」
言葉の意味が判らず華鬼が疑問符を浮かべる。微笑みを浮かべる神無の真意が見通せない。
「だって、憧れてた事叶ったから」
「この位造作もない」
「ううん。叶えたいと想う事があっても、叶えられる人と一緒じゃなきゃ無理な事もあるでしょう?私は…華鬼がいてくれて本当に良かった」
温かい言葉の響きに胸の奥が熱くなる。どうして彼女はこうも易々と心を満たしてくれるのだろう。
「…なら、尚更もっと欲を張れ。お前の願いも憧れも全て俺が叶えてやる」
「華…」
名を呼ぶ声を飲み込むように小さな唇にキスをした。
友達&相互さまの猫柳から相互記念。