果てた宵闇の落とし物
それは夢。現実にもあった出来事。
ぐちゃり
屋上から何かが落ちて、不快な音をたてた。
真っ赤な血で染まるアスファルトと不格好に折れ曲がった身体が横たわる。
「また…また俺は、君を殺したんだね」
そしてまた別の世界へ巡る。
そこで濁っていく意識、曖昧なソレはその場面で浮上していく。瞳を開けば、何の変哲もない天井が見えるだけ。
「自分でやった事でも嫌な夢だな」
オレがマイを殺す夢。殺したい程に愛してるオレの願いが叶った瞬間。
「ウ…キョウ…?」
屋上から落とす寸前に小さく聴こえた声は、確かに俺を呼んでいたのに。オレを抑える事が出来なかった。
あの日を乗り越えた今、もう二度と繰り返されない現実。とはいえ、実体験が伴った過去は生々しく記憶に爪痕を遺す。
「……冥土の羊に行こうかな」
時計を確認して、てきぱきと準備を済ませる。
いつも決まった時間に同じ席で時間を使う。彼女が忙しなく働く姿を見ていれば、あっという間に時間は流れていく。
「おかえりなさいませ、ご主人様」
「こんにちは、マイ」
笑顔で出迎えるメイドスタイルは、とても彼女に似合っている。パフェやティーセットを片手に作業する姿はまさにメイドそのものだ。
マイがそんな格好を見せている店内には他にもウェイターはいる。でも、幾人かの視線は彼女へ向いていた。
「お待たせいたしました、ご主人様」
給仕をこなす彼女の仕事が終わるまで、今日は帰れないと思ったのは言わないでおこう。心に余裕がないなんて、俺は情けないと思うから。
わざわざ合間に声をかけてくれる優しさがすごく嬉しかった。
「もう少しで終わるからね、ウキョウ」
「わかった。じゃあ表で待ってるよ」
忙しかったせいか、顔を赤くさせて笑う様子は幼さが残っていて愛らしかった。デジカメで撮れなかったのは残念だ。
ただ冥土の羊の店内は一日中そんな感じで、客相手に嫉妬していた事は事実は消えない。
「おまたせ!ウキョウ」
「それじゃあ、帰ろうか。マイ」
「一緒に帰れるなんて嬉しいな」
当たり前のように繋いだ掌は確かに生きている事を伝えてくれる。
「俺もすごく嬉しいよ」
あの悪夢が永遠に幻想と化していく。彼女と共存している世界は、少しずつ爪痕を癒してくれているのだろう。
「今日は珍しくずっと居たよね?」
君を信じていれば、問題ないはずの事。でも悲惨な過去が不安定な気持ちにさせる。
「本当に大丈夫?目を見て言って…きゃっ」
「ごめん、やっぱり抱きしめさせて」
家の目の前まで来て、限界を越えた。我慢できず言葉より先に抱きしめていた。
「夢見が悪くて、柄にもなく嫉妬してたんだ」
「そうなの?…良くないんだろうけど嬉しい」
「嬉しい?…嫌じゃないの?」
「好きだから嫉妬するんだもん。嫌じゃないよ」
腕の中で身じろぐ彼女に苦笑を零す。けれど、ゆっくりと背中を撫でてくれる感触に一瞬だけ驚く。そして瞳を閉じた。
「そうなんだ…ありがとう、マイ」
「ウキョウは天然みたいで敏感だよね」
視界を閉ざした事で、より強く感じる存在。身体の柔らかさや暖かさ、香りさえも強く捉らえられた。
「まだ抱きしめてるの?」
「もう少し……」
「これでも恥ずかしいんだよ?」
俯く彼女の表情を見えない。それでも声音から想像した姿は可愛らしくていい。
「ふふっ、俺が困らせてるみたいだね」
自分よりも小さなマイは、俺を元気にさせる天才なのかもしれない。何をしていても俺は幸せを感じられる。
「もう…ウキョウが落ち着くまでだからね」
「うん」
少しでも薄らぐ過去に、新しい思い出を重ねる。忘れ去る事が難しくても、今だけは優しい夢に……
title by 空想アリア