世界崩壊、5秒前
今まで築き上げてきた生活は静かなもの。何事もなくただ言われた事をこなして、湖で歴史書を読む。楽しいと思える日常など諦めていたのに、今は煩いくらい賑やかだ。
「……ルル」
晴れて付き合いだしたとはいえ、何をすればいいのか。正直、悩んでしまうのが現状だった。何をしたら喜んでくれるのか、彼女は何を求めているか…
「ルル」
草むらがガサガサと音がする。音の大きさと時間からして彼女のお出ましだろう。
「どうかしたの?エスト」
蜂蜜色の瞳を嬉しそうにこちらに向ける。肌は急いだせいか少しばかり朱く、大きく深呼吸をしていた。
「今、私の名前を呼んだわよね!」
「………いつから、貴女はそこに居たんですか」
「さっき着いたばかりよ?」
「ならいいです」
のんびりと、ただ読書をするだけだった時間。木々たちが靡いて、湖には小さな波紋が浮かぶ。僕だけの、静寂な世界だった場所は彼女によって変化した。
「ふふっ、今日はどんな本を読んでるの?」
いつもの事ながら僕の隣へ座るとこちらを覗き込む。彼女が好むような童話の類など、開いた試しもない。
「ルルには難しい内容だと思いますよ」
「うっ、確かに…そうみたい」
閉じた本のタイトルへ手を伸ばし、開いた頁を指で辿りながらゆっくりと読んでいる。
「古代種の扱う魔法…やっぱり難しいわね」
「貴女にはまだ難しいでしょうね」
風に乗って漂う彼女の香りが、それだけ近くにいるということ嫌でも思い知らせてくる。
表情だけはまだ隠せているはずだ。ただし…まだ、というだけ。胸の音は確かに早くなっていて、顔は少し赤いかもしれない。
「とりあえず読書は終わり!」
そんな心情を露ほどにも気づかない彼女は、日課のような言葉を発した。
「…また持ってきたんですか」
「うん!今日もたくさんあるのよ」
鞄の中から出てきたのは見覚えのある包装。
「…ルルはよく飽きませんね」
毎日のように抱えてくるソレに、僕は飽きているのも事実。彼女の好むものは甘すぎた。
「好きなのにそんな事を思わないわ」
それなのに…指先で摘んだピンク色のマカロンを眺めて、彼女はそんな風に呟く。
「飽きるとか飽きないとか、問題ではないもの」
「ル、ル?」
空いてる手をこちらに伸ばして、そっと頬に触れてくる。誰にも触らせないからか、もしくは彼女だからなのか。くすぐったさに、なにか別の感覚が混ざって戸惑ってしまう。
僕の思考が追いつく前に、彼女自身も顔を近づけていて…
チュッ
「な何してるんですか、ルル!」
「本当に好きなのかどうか、大切なのはそれだけよ」
頬にキスをした。その距離を変えずに、蜂蜜色の瞳は僕を映し込んだ。
「私がエストの事、大好きなように」
「なっ!」
毎日のように聞いていた言葉。慣れるはずがなくて、でも彼女は躊躇いもしない言葉。
「ふふっ…エストの顔、真っ赤になったわ」
「……貴女のせい、でしょう?」
恥ずかしさに頭を抱えたい気持ちでいっぱいな自分の隣で、恋人…ルルは幸せそうにマカロンを味わっている。
僕だけの世界だったものは、彼女のおかげで崩れ去っていた。