家に帰れば、目に優しくない桃色が出迎える。ふわふわしたそのシャツから、微かに甘い香水が薫った。


「おかえりクロコちゃん、今日は早いな」
「うるせェ」


ぴょこぴょこと跳ねる長身の男を押し退けて、殺風景なリビングへ。おれは毛皮のコートを脱ぎ、それを床へ投げて、鞄を机に叩き付けた。ソファに体を預け、瞼を閉じる。


「あらら、ご機嫌ナナメだな」
「…黙れ」
「おおコワイ」


フッフッフ、と。おれの様子に楽しげな声で笑う馬鹿は、名前をドフラミンゴという。数ヶ月前からおれの家に住み着いている、自称フリーターの得体の知れない男だ。
実家も家族も学歴も、いっそ名前が本名なのかも知らない。
そんなのと暮らしているなんて、我ながら頭が可笑しいとは思っているのだが。


拾い上げたコートをハンガーに掛けながら、ドフラミンゴは先程よりもトーンを落として話し続ける。


「そういやメシは?」
「もう済ませた」
「そ、ならいいけど」


お前は、とは聞かない。おれはこいつに住む場所こそくれてやっているが、衣食に関しては一切面倒を見ていない。勿論金をやっている訳でもない。
それでもドフラミンゴはいつだっておれの知らぬ間に食事を済ませているし、衣服は毎日変わる。ついでに言えば腕時計も指輪も、一週間と同じものを着けているのは見ない。
こいつの荷物は、充電器に差しっぱなしの古びた携帯だけだというのに。


「じゃあ風呂は?」
「…後でいい」
「お湯張ったまんまだけど」
「栓抜いてこい」


浴室へ向かう背中を見ながら、考える。
ドフラミンゴは『家族にも見放されたカワイソウなフリーター』だと言い張るが、そんなのは戯れ言だろうと最初から分かっていた。ただのフリーターが三食困らずいられるものか。ただのフリーターが、おれですら手に入れられなかった限定物の時計を身に付けているものか。
朝おれがこの部屋を出てから夜に帰るまでの間、ドフラミンゴが何処で何をしているかは知らない。どうせロクなことをしていないのは察せるが。


ただ、奴を拾ってからというもの、この家がおれ一人である時間は一秒も無い。


「換気もしてきた。シャワー浴びるなら窓閉めろよ」
「……」


戻ってきたドフラミンゴは、我が物顔でソファに沈む。わざわざおれに凭れるように座るものだから、大きく体が傾いた。


「…今から仕事だ。消えろ」
「おれのことは座敷童程度に思ってくれ」
「お前みてェな座敷童が居て堪るか」


馬鹿みたいに派手な頭を資料の束で叩き、無駄にデカい背中を蹴る。痛い、と間抜けな声を出して床に転がったドフラミンゴを尻目に、おれは葉巻を咥えて文字列に目を落とした。


「…大事な仕事か」
「大事じゃねェ仕事なんざねェ」
「それもそうか」


床に座り込んだまま、ドフラミンゴはおれを見つめる。視線が邪魔で仕方無いが、今は相手をするのも面倒だった。


「大変だな、社長様は」
「……」


どの口が、と言いかけて噤む。下手な詮索はしないが吉だ。この男との間に踏み込んだ関係は要らないのだから。


「クロコちゃん」
「さっきからうるせェ。おれの邪魔にならないのが此処においてやってる条件だろうが」
「ああ、だから黙る。黙るから最後に一個いい?」
「……」
「クロコちゃんの仕事終わるまで、此処でクロコちゃん見てていいか?」


静かな声はいつものこいつらしくない。らしくないが、煩い笑い声よりずっといい。
真っ直ぐこちらを見るのは、コンタクトなんかじゃない天然のスモークブルーの眼。
サングラスを外した素顔が案外幼いと知ったのは最近だったか、それとももっと前からだったか。


「…一言も喋んな」
「…分かった」


嬉しそうに頷いたのを確認して、おれは男から目を逸らした。


一人じゃない空間に慣れつつある自分を、少しだけ怖く感じた。





*****
鰐の日にひとつ、その後のお話。くっつく手前の微妙なあれ。私はきっとドフィに夢を見すぎています…。
瞳のイメージ、スモークブルーはこんな色。
(20130802)


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