※ほんのり死ネタ/鰐独白






海に落ちた。
身体はずぶずぶと沈んだ。


思い通りに動かない手足は、水を掻く事すら不可能。あんなに美しく青く輝いていた海なのに、今は底の無い沼の様にしか感じられない。どんどん遠ざかる白い光をただ眺めながら、嗚呼おれはこのままもう死ぬのだと思った。
足元から海に溶けてゆく感覚は、苦しいのに嫌では無い。それは愛する者からの束縛に近かった。愛した海に、決して離さないと主張されているようで、少し、ほんの少しだけ、笑える。


唇から漏れる空気はきらきらと浮かんで、粒となり消えていく。もう肺いっぱいにそれらを吸い込む事は無いのだ。儚く水に溶ける空気にサヨナラして、そっと瞼を閉じた。


こんな暗い海では、きっともうお前を探す事は出来ないだろう。それを酷く残念に思うし、少なからず悲しくもある。
あの眩しい桃色だって、この暗闇に溶けてしまって目立たない。あんなに五月蝿い鳴き声も、この深海では音にならない。


何度もおれに愛してるなんて戯れ言を囁いて、おれにもそれを言わせようと四苦八苦するザマは、今思えば悪くなかった。退屈でくだらない渇いたおれの日常を、じわりと溶かして焦がして、少しずつ少しずつおれの中に入り込んだあの桃色。『愛してる』なんて結局言ってやらなかったけれど、別に後悔は無い。このままずっと、奴が死ぬまで、おれに言わせられなかった事実を悔やめばいい。死ぬ直前まで心に背負って、ずっとずっとあの嫌味臭い笑顔の裏で悩めばいい。


それともあいつはすぐ忘れてしまうだろうか。おれなんかに言い寄っていた事も、依存していた事も、貢いでいた事も、交わした煙草の味さえも。…まあ、忘れたなら忘れたで構わないか。死後の意思なんて理解出来ないだろうし、おれが悲しむ事でもない。あいつの戯れに付き合ってやった事で、ここまでの人生がそこそこ見物だったのは事実だ。


もし、もしも、あいつがおれをずっと覚えていてくれたなら、その時は。
あいつが死んだその時は、おれが直々に迎えに来てやってもいい。そして、困惑するその間抜け面に、『アイラブユー』と嘲笑ってやってもいい。


安らかにベッドの上で死んだなら蔑んでやる。女の上で死んだなら同情してやる。穢い牢獄で死んだならざまあみろと微笑んでやる。そしておれと同じように海に沈んだなら。



そうしたら、ただ黙って抱き締めてやろう。


(20130112)


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