彼女が出来たのだと彼は笑った。幸せそうに微笑むその姿は綺麗で、優しくて、やっぱり彼が好きだと思った。
おめでとうと心にも無い言葉を喉から絞り出したら、出たのは自分が思った以上に情けない音だった。それを誤魔化すように作った笑顔はきっと完璧で、彼は疑いもせずにありがとうと返してきた。


また一つおれは、叶わない恋に終止符を打った。




男が好きだなんて言ったら、大抵の奴は引く。いくら仲が良くても、否、仲が良いからこそ退いていく。
だから出来るだけ隠して、押し込める。互いの立場を守る為に、淡い恋心を封印する。
それに伴って、相手を想って泣くのは、一人きりの夜だけと決めていた。「男が好きだから恋が叶わない、悲しくて苦しい」なんてそんな悩み、打ち明けられる相手などいない。当然だ。おれの周りは普通に女が好きな連中ばかりだから。


好きになる相手が友人という立場だから悪いのだろうか、と考えた。友人だから近くにいられるけれど、彼女が出来た時にそれを知らされるのが辛い。わざわざ紹介してくれるのが切ない。
お前に一番に知らせたかったなんて、一番の友人としか見られていない事実までもを同時に突き付けられて、かなりダメージが大きいのだ。


もう親い者を好きになるのはやめようと、守れる保証のない誓いをたててバイト先へ重い足を向かわせた。どんなに辛くても、失恋は仕事を休む理由にはならない。




出来る限りのいつも通りを演じたつもりだったのに、目敏い老年の店長にはすぐにバレた。
顔色が悪い、笑顔が固い、声が小さい。普段と違う細かな点を挙げながら、何か悩み事でもあるのかと心配してくれる。有り難いと思いつつ、知り合いにはあまり言いたくない事だからと誤魔化せば、店長は少し考えた後にこう提案してきた。


知人にカウンセリングを生業とする者がいると。歳もおれと近いから、良ければ今晩愚痴でも聞いて貰えと。相談代は店長に免じてチャラに出来ると。
只でさえ従業員の少ない小さな喫茶店、おれ一人がこんなでは営業が成り立たないとまで言われた。悩み事は話せば楽になる。肩の力を抜いて来いと背を押されたら断れる筈もなく、おれは大人しく空白だった今晩の予定を埋めた。




待ち合わせ場所は、何度か店長に連れられて訪れた事のあるバーだった。店内には静かで穏やかな時間が流れていて、客は誰もが自分の世界に浸っている。他人に干渉しない空気が自然に存在する、隠れ家のような場所だ。


カウンターから離れた奥の席に、その男は座っていた。橙色の電灯に照らされて、柔らかな金髪が輝いている。
店長が言った特徴に合致している、カウンセラーらしからぬ姿の男。キラー、という名前なのだそうだ。


「…あの、キラーさんですか?」
「ああ、あんたが店長さんの言ってたペンギンか?」


背中に声を放れば、振り向いた蒼の瞳と視線が交わった。見目麗しいとはこういう人の事を言うのだろう、思わず息を飲む。
固まったおれを見かねたのか、猫のような切れ長の瞳が細くなり、おれに向かいに座るように促した。肩身を狭くしながら席に着くと、まずは一杯と酒を注がれる。
グラスに溜まる水色の液体が涙に見えて、ぎゅうと胸が苦しくなった。


「…まあ、そう気負わずに。知人には話したくない事だから、おれに相談する事にしたんだろう?一度きりの出会いだと思って、気にせず話してみてくれ」


キラーから紡がれる言葉の節々には労るような優しさが滲んでいて、それだけで少し心が安らいだ。
けれど恐らくは、彼が予想しているものとは全く別の悩みだろう。初対面の人間に男が好きだと打ち明けられるなんて、誰が予測できるものか。


普通の男女の恋愛相談か、人間関係についての相談か何かだと思われている筈だ。はじめましての相手にいきなり爆弾を投下するような真似はしたくない。
すごくおかしな相談事です、と前置きをしてから、おれはそっと悩みを告げた。




「…成る程。それは確かに親しい者には言いづらいかもしれないな」


男が好きだ、失恋をしてばかりいる、今日も振られてヘコんでいた。ざっくりそんな風に伝えたのだが、キラーの反応は至って普通だった。驚いた様子もなければ引いているようでもない。ただそうか、と頷いただけだった。


「…おかしい、ですよね、こんなの」
「何故?珍しい事でもないだろう、同性愛者の数は少なくないんだぞ」
「けど、…」
「大丈夫だ。そういった相談は今までにも受けた事がある。みんな同じような悩みを抱えていた」


キラーが微笑みながらそう言ってくれたから、おれの中の蟠りがふわりと溶けた。今まで誰にも話した事の無かった大きな悩みが、僅かに小さくなった気がした。


「確かに、同性という事で隔たりは生じるかもしれない。相手にその気が無いなら、恋が成就する可能性も低い。だがそれは別に恥ずべき事では無いし、ましてや自分を卑下する必要も無い。『恋をしている』、美しい感情を持っているだけだ」


水色の酒を喉の奥へ消しながら、キラーの言葉に耳を傾けていた。当たり障りの無い文句を並べているだけかもしれないが、それでも自分の恋を肯定された事を嬉しく思った。


「同性にしか恋が出来ない、それを悩んで人を愛せなくなった者もいる。そうなるのは悲しくないか?今は辛い事も多いだろうが、いつかきっと運命の相手と巡り合うものだ」
「…運命の相手、か。そんなの信じる程乙女な思考はしてないけど、現れるのを待ってみるのも悪くないのかもしれないな」


おれがそう呟けば、キラーは満足そうに頷いた。そういう気持ちが大切なんだと、温かな笑顔を見せた。


「ありがとう、なんだか軽くなった。あんたに話して良かったよ」
「それは光栄だな。ペンギン、お前に幸せが訪れるよう願ってる」


ボトルの酒を注ぎ終えた頃には、失恋の痛みは何処かへ消えていた。それと同時に、すっかり打ち解けてしまったこの男に対する信頼も厚くなっていた。一度きりの出会いだなんて言っていたけれど、今後も愚痴を聞いて欲しいと思えるくらいには。


だからこそ、この男には恋をしてはならないと悟った。キラーは、駄目だ。そもそも相談をする為だけに引き合わされただけの関係なのだから、ここで好きになってしまえば二度目はないと思った。初対面でぶっ飛んだ相談をしてしまった今、おれの恋愛にまで巻き込むつもりはない。
自分でも惚れっぽい自覚はあるが、今回ばかりはこの距離を保つべきだと脳が警告を発する。


キラーとは、このままの関係がベストなのだろう。お互いを知らない、相談する者とされる者。それだけ。


キラーが席を立った。さらりと揺れる金髪を見つめていたら、奥でシェイカーを振るマスターの姿が視界に映り込んだ。


「悪いな、一度仕事場に戻らなきゃならないんだ。ペンギンはどうする?」
「…おれはもう少し居る。相談代だ、勘定はおれがもつよ」
「そうか?…じゃあお言葉に甘えて、ありがとう。店長さんによろしくな」
「あ、ああ…本当に、今日はありがとう」
「どういたしまして。名刺渡しとくから、また何かあったらいつでも連絡くれ。相談でも愚痴でも、受け付けてるから」


良い人見付かったら教えろよ、そう付け足してキラーは踵を返す。その背中を見送ろうとしたら、彼はふと立ち止まった。
くるりとこちらを向いて、気恥ずかしそうに囁く。


「…ついでだから話しとく。おれは女も男もいけるクチなんだ。ただ、前の女とちょっと色々あってな、女は懲り懲りだと思っていた所だ」


お前が良ければ、おれを候補に入れといてくれ。綺麗に微笑んで、キラーは店から出ていった。


残されたおれは、ただただ呆然と、いつまでも店のドアを凝視していて。キラーの言葉を何度も脳内で繰り返して、噛み砕いて、漸く意味を理解した後、盛大にテーブルに額を打ち付けた。


(20121027)


BLコンテスト・グランプリ作品
「見えない臓器の名前は」
- ナノ -