辛気臭い街だと、ローは歩む速度を速めた。


何処を見ても、感じるのはただ冷たい空虚。
ローを見る人々の目は何の感情も映さない。時折好奇の目で余所者の様子を伺いはしているようだが、話し掛けるでもなく近付くでもなく、遠巻きに観察しているだけに留まっていた。


ローがこの街を訪れたのに、大した理由は無い。船出に向けて食料や必要な機材を揃える為、なんとなく、たまたま、ふらりと立ち寄っただけだ。


貧しく争いの絶えない街であると噂には聞いていたが、あまりにも酷だというのがローの抱いた感想だった。


子供も大人も老人も、生きる事に執着が無い。明日までの命ならばそれも良しとし、生き延びる為の努力をしようとしない。


しないのか、又は出来ない、のか。
詳しい部分はローの知る所では無いけれど。


居心地の悪いこの場から少しでも早く退散しようと、ローの足がいよいよ小走りになった時だった。


ふいに聞こえた怒号と、空を斬る刃音。
ローが反射的に振り返ると、オレンジ色の髪をした青年がすぐ横を走り抜けていった。
その後を、武器を持った大柄の男三人が追い掛けていく。


ぼんやりとその一団を見送ったローだったが、ふと思い立って足を動かした。
にたりと上がった口角を、隠すこともしなかった。






オレンジ色の髪の青年が逃げた先は、狭い路地裏だった。高い塀に阻まれて、完全に追い詰められた状態だ。
青年はくるりと振り返り、自分を追ってきた者達と正面から対峙する。


「鬼ゴッコは終わりか、兄ちゃん?」
「随分上手く逃げてくれたが、流石にもうどうしようもねェだろう」
「大人しく盗ったモン返しな。そしたら、おれらも多少の慈悲はくれてやるよ」


次々に掛けられる声には、無言を貫き通す。
腕に抱えたモノを強く抱き締めて、青年はぎろりと男達を睨み付けた。


「…なんだァ、その目は」
「自分の状況分かってんのか、あぁ!?」


振り上げられた拳が、青年の脳内でスローモーション再生される。避ける事もせずに突っ立っていたら、一瞬の空白の後に鋭い痛みが左頬に走った。


足の裏で地面を削って、なんとか倒れず踏み留まる。口内に広がった鉄の味に眉を寄せると、殴った男が下品な笑い声を上げた。


「上等だな!そこまでしてソレが欲しいのか!!」
「…だが残念だなァ、おれらもソレが必要なんだよ」


ゆらり、と距離を縮めてきた男達に青年は一歩後退さるが、踵に背後の塀が当たり、これ以上は後退出来ないと知った。


「悪いが返して貰うぜ、っと!」


振り抜かれた足が、青年の腹にめり込む。喉をせり上がってきた熱に嫌悪感を覚えたけれど、どうにか吐き出さずに耐える。
次の瞬間に降りかかった拳の雨を全身に受け、青年の膝はかくりと折れた。


地べたに跪いて、それでも青年は腕の中のモノを離さない。男達の想像した弱々しい目はそこに無く、むしろ挑発的な視線を向けていた。


「…なんなんだ、テメェは…!」
「…っ、!!」


蹲った所にトドメの蹴りを入れたつもりだったのだが、青年は倒れない。
気味の悪さを覚えた男達は、いよいよ青年を殺しにかかろうとした。


男達が揚々と構えた武器は、けれど青年には届かなかった。


「…え?」


手の中でばらりと形を失った自慢のナイフや拳銃に、男達は呆然とする。
焦ったように辺りを見渡して、塀の上に座り込む人影を視線に捉えた。


いつの間に現れたのだろうと混乱する男達を尻目に、ローは笑みを浮かべてみせる。
青年はローの存在に驚きはしたようだが、敵か味方かも分からない異常な気配に直ぐ様身構えた。


「何者だテメェ…!!」
「…おい、そこのチビ」
「!!」


男達の問いを無視して、ローは青年に声を掛ける。青年はびくりと肩を揺らして、静かにローを見上げた。


「お前、目ェ見えてねェんだな?」
「……」
「……無言は肯定だな」


ローは一人納得して頷くと、ひらりと地面に降り立つ。


「オイ、急に入ってきて何を…」
「うるせェよ」


スラリと抜かれた大刀に、反応する事も許されなかった。綺麗に切り裂かれた三人の男の身体は、宙を舞ってからごとりと地に転がる。
三人分の頭は、狂ったようにぎゃあぎゃあと喚いた。


「…何を、したんだ」


漸く口を開いた青年が、ぽつりと呟いた。
ローはそれに答えないで、青年の前にしゃがみこんだ。伸びた前髪を払ってやると、光を失った両目がローを映す。


「…お前、血を浴びたんだな」
「……」
「目、洗う暇も無く逃げてきたってとこか」
「……目なんて、要らない」
「は?」
「無くてもいい。どうせ、綺麗なモノなんて映せないんだから」


青年の声は痛々しいほど凛としていた。
ローは一度口をつぐんで、ちらりと腕に視線を向ける。


「…それ、何盗ったんだ」
「ついさっき、そこの酒場でそいつらに殺された奴の持ってた宝石。たまたま居合わせたんだ。この街じゃ高く売れるから、…盗って、逃げた」
「売って、それで食い繋ぐつもりだった訳か」
「…さあ。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。おれは別に、…生きたいとも死にたいとも思ってないから」


ぎゅっと腕に力を込めて、青年は続ける。


「そもそもこの宝石を持ってた奴だって、きっと何処かから盗んできたに決まってる。盗んで盗まれて、時には殺して。この町の人間はみんなそうだ。生きる為だ、仕方無い。…けどおれは、生きる為に人を殺す覚悟が無い」


だから盗んだ。だから殺されかけた。殺されて、それでもうオシマイの筈、だったのに。


青年は顔をくしゃりと歪めて、見えない瞳でローを見た。
その瞳を真っ直ぐに見つめ返して、ローは呟く。


「…お前、死にたいって顔してるな。生きたくねェくせに、自分じゃ自分を殺せねェ。誰かに殺されんのを待ってる、けど殺されないから生きてる、そうなんだろ」
「…っ、」
「そんなのおれは許さねェ。…お前、おれについてこい。目は治してやるし、食い物も寝床も保証する。ただし、」


ぐい、と胸ぐらを引き寄せて、ローは壮絶に笑ってみせた。


「お前はおれの為に死ね。勝手な行動は許さない。死ぬのはおれが許可した時だ、いいな」


青年は大きく目を見開いた。力の抜けた腕からは宝石が滑り落ち、音を立てて地面に散らばる。


「お前はおれの下で生きる意味を見付ければいい。おれが生かした命、無駄にはするな」


「…アンタは、なんなんだ」


青年が静かに問い掛けると、ローは子供に言い聞かせるような口調で囁く。


「欲しいモノは力で奪う、ただの海賊だ」





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「お前も海賊になって、その目に綺麗な海を映すんだよ」


(20120525)



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