※名もない男の語り






「よー、調子はどうだ?」


ガチャリと開かれたドア。薄暗く血生臭いこの場に反して、随分と明るい声が響いた。
声の主に視線だけを向けると、その人物の背後から眩しい光が射しているのが分かった。朝、なのだろうか。
時間と隔離されたこの部屋では、朝なのか昼なのか夜なのか、果ては何処の海を漂っているのかすら分からない。


「って、良い訳ねェよな、その状態じゃ」
おどけたように独り言を続ける男は、片手に持っていた盆をベッド脇のテーブルに置く。
微かに香るのは焼けたベーコンとパンの匂いだ。


「朝飯。食えるか分かんねェけど、船長が一応持ってけってさ」


男がフォークをカチカチと皿に当てている。
全身を包帯でぐるぐる巻きにされているおれは、動く事も出来ないし視界も制限されていて一人では満足に食事も摂れない。


その為、昨日までは点滴で済ませていたのだ。腹は減っているが、食えるかと言われると返事に困る。暫く何も口にしていないから、食っても吐いてしまうかもしれない。


「アンタ、そろそろ起き上がるくらいは出来るんじゃねェかな。まだ歩くとか話すとかは無理だろうけど」


男がベッドに横たわるおれを覗き込む気配がした。僅かだが殺気を感じ、おれは動かない体を捩ろうともがく。


「…殺さねェって。船長がアンタを生かすと決めたんなら、おれは従うだけだから」


おれの心理を察したのか、男はそう言って笑った。








おれは数日前、ハートの海賊団の船長であるトラファルガー・ローを殺そうとした。
別に賞金稼ぎなんて仕事はしていない。金に困っていた、たまたま新聞で見掛けた男が同じバーにいた、それだけ。それだけでおれは奴にナイフを向けた。


正直捨て身だった。死んでもいい、運が良ければ金儲け出来る、そのくらいの覚悟。
おれには家族も友人もいないし、生きる意味も分からなかったし、何もかもどうでも良かった。


トラファルガーがおれのナイフを軽々と避けて、おれがナイフを持ち直した、瞬間。
おれは床に伏して、両腕を捻り上げられていた。どうやら仲間が一緒にいたらしいと気付くのと、おれの骨が嫌な音を立てるのは同時だった。


悲鳴を上げたら即座に喉を潰された。顔も何度か床に叩き付けられる。そして尚もあらゆる骨を砕きにくる男の動きを止めたのは、トラファルガー。
そいつは素人だ、そのへんにしとけ。多分そんな事を言っていた。しかしおれに馬乗りになっている男は抗議する。


でも船長、コイツはアンタを狙ってきたんですよ。野放しに出来ません。男は冷たく言って足の骨を砕いた。


駄目だ殺すなよ。そいつは連れ帰って治すんだ。
トラファルガーが再び制した事で、漸く男はおれから離れる。


おれが虫の息になって見上げると、トラファルガーはにたりと笑った。


「お前、生かしてやる。…死にたそうな目をしてる奴見ると、生かしてやりたくなるんでな」


その言葉を最後に、おれは意識を手放した。








目が覚めたら包帯を巻かれてベッドに寝かされていた。おれはこれからどうなるのかとか、ここは何処なのかとか、そういうのはさして気にならなかった。
やっぱりおれは奴の言う通り死にたがっているのかもしれない。


そしてそれは叶えてもらえないようだ。


今目の前にいる男がおれを瀕死にさせたのだけれど、殺意も敵意も湧かない。
逆に、こいつは船長を殺そうとしたおれを本来ならば消してしまいたいのだろう。


殺してくれても構わないのだが、そう思いながら見詰めると、男は器用に片方の口角を吊り上げる。


「アンタさ、おれに似てるんだって」
「………」
「死にたい、っつーか死んでもいいやみたいな?そういう目をしてるんだって」


何が言いたいのだろう。サングラスとぼやけた視界のせいで、男の目は全く見えない。


「だから船長はアンタを生かすんだろな。あの人は医者だから、人を生かす仕事をしてるから」
『死の外科医』って言われてても、結局は医者なんだよ、男は溜め息混じりに呟いた。


「アンタ、怪我治ったら近くの島に降ろすから。そしたら、そこで生きる意味を見付けろよ。船長に繋いで貰った命、その意味の為に削れ」


男が低くそう言ったのに、おれはぞわりと身震いする思いがした。
どうにか顔を動かして頷くと、男は満足したのかベッドから離れる。


「……死にたくても生かされる、死にそうでも助けられる。おれはそれに救われたし、同時に助けられた命に縛られた。生きなきゃならなくなった」


視界から消えてしまった男の声は、無機質な部屋に静かに染み渡る。




「…アンタもおれと同じ道を生きるんだ。船長に救われて縛られる。幸せだろ、なぁ?」




吐き捨てるような声色に、おれは無理矢理首を回して男を見た。そして後悔する。


男の笑顔は、この世の何より恐ろしく、美しく、そして悲しかった。


(20120425)


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