前編03



世の中には一期一会という言葉があるように、正直なところ玻璃にはもう会わないだろうと思っていた。
けれどその予想は次の日にあっさりと破られた。玻璃はわざわざ手袋とストールを返しに家にやって来たのだ。手袋もストールも使わないから貰ってくれと答えると、今度はお茶へと誘われた。その時は単に、お礼だったのかもしれないなと思っていたのだが、どうやらそういうわけでもなかったらしい。玻璃はそれから三日とあけずに樹季の家を訪ねるようになった。
会社の上司や同僚との表面上の付き合いはあるにしても、「友達」として人と接するのは久しぶりだったため、始めのうちは少しぎこちなさが拭い切れずにいた。

元々人付き合いが苦手な性格ではあるが、特にここ最近は再就職をして以来仕事に明け暮れていたせいで深い人間関係というものからは縁遠くなっていた。とある理由から自主退社させられ、そうならざるを得なかったのだ。

きっかけは一つの報告書だった。確か自社商品の売上報告書だったと記憶している。上へ回してくれと頼まれたその書類の数字が明らかに間違っていたので、気を使って該当部を修正してから提出したのだ。しかし、それがいけなかった。どうやら樹季の部の誰かが搾取を目論み、書類に手を加えていたらしい。事に至る前に計画を叩き潰してしまったので被害も損害も出ずにそのことは片付いたわけだが、元々出世の見込みのあった樹季を妬んでいた者の犯行だったのか、その後の仕打ちは目も当てられない程に酷かった。身に覚えのない事柄で減給処分や始末書を数え切れないほど書かされて、会社にもまともに取り合って貰えぬまま結局は自主退社してくれと丸め込まれてしまったのだった。
自分はやっていないと、何度もそう訴えた。けれど、足掻いても無駄なこともあるのだということを、その時初めて知った。

そんな出来事を笑って流して生きていけるほど強くない自分は、退社してから一年間拒食症と過食症を往復して、何度も生死の狭間をさまよった。やっと体調が戻ってから就職先を探しても、まず最初に「この空白の一年間は何ですか」と尋ねられるようになり、それのせいで不採用となることがしばしばだった。
散々面接を受けてやっと雇って貰えたのは、ショッピングモールの一角を占める着物屋。知識の全くないままに駄目もとで受けたのだが、顔と佇まいが女性に受けそうだと誉められて採用となった。
最初のうちは種類や名称の多さに目眩がしたものだが、それも最近は身に馴染んでそれなりに上手く立ち回れるようになりつつある。

「タツキに笑顔で着物を勧められたら、きっと買う気のない人でも購入意欲が湧いてしまいそうですね」
仕事の内容を玻璃に話すと、そんな答えが返ってきた。
「そんなことないよ。あんまり売上だって良くないし、第一着物は高いからそんなにポンポン勧められるものじゃない」
「それ、営業のお仕事を否定する発言ですよ?」

職業上ピンからキリまでの着物を目にしている樹季には、玻璃の着物がかなり値を張りそうなものだと察しがつく。匂い立つ色気が漂う真珠色の布地に、足元からすっと生える淡い黄水仙の柄。帯もそれに合わせた上品な色合いで、帯留めはまるで冬の空気をぎゅっと集めたかのように澄んで美しい。
ただ一つ気になるのは、そこまで完璧に統一された美の中にぽつんと仲間外れにされた小さな鈴のことだった。帯締めに無造作に絡められてかろうじて留まるそれは、玻璃が少し動くと凛とした音色で鳴く。
「この鈴は、母の形見なんですよ」
視線に気がついたのか、玻璃は飴玉くらいの大きさのそれをちょっと摘んでそう言った。
「父があげたものらしいです。本当は棺に入れる予定だったのですが、祖母が持っててやってくれと、僕に渡してきて」
「それじゃあお母さんは……」
「僕は両親共に他界していますよ。……あ、不愉快でしたらごめんなさい」
「いや、いいんだ。俺の両親ももういないから」
しん、とした空気が二人の間をすり抜ける。けれどそれはぎこちなくも重苦しくもない。沈黙は嫌いな方なのに、玻璃と居る時の無音はむしろ心地いいくらいだから不思議だ。
おそらく玻璃の人間性のおかげなのだと、最近思い始めた。玻璃はきちんと気を使うけれども、過度に気を回しはしない。しっかりしているが淡白。絶妙なバランスで構成されたその人格は、ともすればとっつきにくく感じるかもしれないが、不安定な樹季にはそれくらいが丁度良かった。

「次はいつお暇ですか?」
別れ際にはそう切り出してくる。言わなければこちらから誘うつもりもあるのだが、毎回先手を打つのは玻璃だ。
「来週の水曜と……あとどうだったかな」
言いながら手帳を取り出す。パラパラとそれを捲っていると、隣でカチカチとやや硬い音がした。ちらりとそちらに目をやって、樹季は小さく溜め息をつく。
「本当なんていうのか、ギャップ凄いよね」
「え?」
「いやこっちの話」
玻璃が手にしているのは、雪と同色の携帯電話。そのキーを打つ指は痙攣しているかのように速い。純和風の美人天然キャラと、まさに現代っ子と言わんばかりの行動の間にはグランドキャニオン並みの渓谷が存在する。樹季はどうもそれを埋められる気がしなかった。
聞けば家ではインターネットを使いこなし、学校ではドロワー系ソフトを悠々と操っているらしい。学校に行っているということですら目玉を零しかけたというのに、専攻が美術系統だなんてもうわけがわからない。
それというのも第一印象が強烈過ぎたからだろう。人間離れしたその容姿に圧倒されて、まるで現実味のない物として捉えていたから。
けれどその実、接してみれば中身は普通の女性と何ら変わりない。否、少し人とは外れた所もあるけれど、まだ『天然』や『幼い』で形容しきれる範囲だ。

度々食事へと誘われて、食事だけでなくどこかに出かけないかとこちらから誘って。予定が合う日には約束をして何度も何度も会った。もちろん真奈美からは怒り心頭な電話が幾度か入ったが、それも軽くあしらい暇を見つけては顔を合わせた。別に男女が頻繁に会うからといって、誰しもが恋愛に繋げようとは思わないのに。少なくとも樹季にとって、玻璃は友人の枠をはみ出さない存在であった。

そうして一年が過ぎていった。




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