追憶のアネモネ






 ある日男に告白された。びっくりした俺が「なにそれキモイ」と一蹴したら、そいつは次の日そいつの住んでるマンションの屋上から飛び降りて自殺した。
――相川隼人。確か俺の親友だった男だ。








     × × × 

 ところで唐突だけれども俺は心霊現象だとか、そういった非科学的な類のものは一切信じていない。ポルターガイストだとかそういうものは大体何か理由が裏にあるし、幽霊なんてもっての外だ。魂はそもそも身体に宿っていて、生命活動が停止した時にその魂だけが切り離されて幽霊になるんだなんてそんなトンデモな話、天動説を信じていた頃の人類なら支持しかねないけれども二十一世紀を生きる知識人ならば鵜呑みにすべき事柄ではない。
 つまり何が言いたいかって、世の中に幽霊なんて存在しないはずなのだという話。――そう、そんなものこの世のどこにも存在しない、はず、なんだけど。
「ふみちゃん、卵焼きに砂糖入れてもいい? ……あ、塩派だったっけ?」
 だったら目の前にいる『コイツ』をどう説明すればいいんだ。
 寝起きだからかな。ちょっと頭が働かない。とりあえず状況整理と行こう。いま俺が座っているのはベッド。寝相が悪いせいで蹴散らされた布団が床に落ちたベッドだ。時刻は八時四十五分。目覚ましをかけたのは確か八時二十分。
 ジュウジュウという音がするのは、アイツが何か作っているからだろう。大学生の一人暮らしにはありがちな超絶狭いキッチンで、朝ごはん的な何かを調理している。のだと思う。
 そっとキッチンに顔を出してみる。するとそこには自分と同じくらいの年齢の茶髪の男がフライパンを揺すっていて、俺はまた寝ぼけ眼をぐしぐしとこすった。
 眠気が飛ばない。欠伸が出る。
「ふみちゃんホントにお寝坊さんなんだね。起きてる? 卵は砂糖? 塩?」
「……塩」
「ン、りょーかい」
 さっきからこいつが言っている、ふみちゃん、というのは俺のあだ名だ。秋山隆史。あきやまたかふみ。小学校の頃、先生に読み仮名を間違えられまくった弊害というか、まぁ普通に読めば「たかし」と読めるわけだから周りみんなに「たかし」と呼ばれていたところ、「タカシなのかタカフミなのかわかんないから、いっそのことふみちゃんって呼べば皆間違わなくなるよ」だとかわけのわからないことを言って、コイツが勝手にそう呼び始めたのがこのあだ名の誕生秘話。っていうかコイツ以外に呼ばれたためしがないけれど。
 いやいやそうじゃない。違う、考えるべきことはそうじゃなくて。
 そもそも何でコイツ――相川隼人がここにいるのかが問題なんだ。というのは鍵のかかった部屋に侵入した経緯とかじゃなく、ついでに言うなら何でお前が朝から卵焼きとか作ってんの、って、そんなことでもない。
「……相川」
「ん?」
 名前を呼べば振り返る、その人懐っこい笑顔は、確かに。
「お前……もしかしなくても幽霊?」





     × × ×


 何年も見ないふりを決め込んできた現実が、目の前ではっきりと具現化したのだと――そう思わざるを得ない。
 だってまさか自分のせいで相川が飛び降りただなんて、そんな負い目を感じながらいつまでも生きるわけにはいかなかったから。考えなかったと言えば嘘になるけど、それでも何か別の理由があったのだと――俺には言えなかった何かがあったのだとそう思うことにして。……それはそれで腹立たしいような悲しいような気がするから、結局は記憶から抹消するように仕向けて生きてきた。死人は喋らないから真偽の程は確かではない。だったらせめて、俺が一番納得できるように――そう思っていたのに。
 なんでまた現れたんだ。俺の蘇った罪悪感が見せている幻覚だったとしても、何で今更。
 やっと忘れられそうだったのに。
「なぁ……塩撒いていいか」
 溜息を漏らしながら、目の前で意気揚々と朝食の味噌汁を啜る相川にそう投げかける。湯気の立ち上るそれは、俺が起きる前からいそいそと作っていたものらしかった。お人よしで顔も良くて、笑顔が酷く優しい。おまけに料理が出来るなんて、そんなの世の女性の頭の中だけで繰り広げられる理想像だと思っていたけれど案外身近なところに存在するものだ。灯台もと暗し、というのは少し違うか。
「え? いいけど、どうしたの? 味噌汁薄かった?」
「いや、お前に撒いたら消えるんじゃないかと思って」
「えーオレに? なめくじじゃないんだから消えないよ」
 そう言ってニコリと返す相川に、本日何回目かの溜息をつく。
 俺の前に死んだはずの相川が現れて二週間。――もう二週間だ。ちょっとわからないどころの騒ぎじゃない。全くもってわけがわからない。
 初日は疲れてて変なもん見たなというくらいで済ませて大学に行ったけれども、その日飲んで酔い潰れて帰ってきたら相川は何故かまた俺の部屋で俺の帰りを待っていて、玄関先で蹲ってしまった俺をちゃんと介抱してベッドに寝かせてくれた。
 そして次の日の朝には二日酔いの薬と水を手に俺を起こしてきて、何食わぬ顔で「朝だよ〜」だなんて言ってのけるからもはや脳が違和感を感知しなくなってくる。幻覚というには長期的すぎるし、リアル過ぎ。それに俺の記憶があるからといっても、この相川は俺の知っている相川ではない。だってそもそも俺の中の相川は中学で成長が止まってしまっているはずなのに、今やすらりとした長身美形だ。元々女にモテそうなスポーツマンではあったが、その頃よりももっと筋肉が付いて更に男らしくなっているその様も、もしかして実は俺の妄想なのだろうか。
 でも、相川にはちゃんと触れるのだ。寝ている相川を手で触ってみて確認したから、間違いない。触れるから余計混乱する。手を伸ばして背中に触れれば身の詰まった背筋にじわりとした熱があって、それは生きている人間と全くもって相違ない出来だ。たとえばこれが俺の妄想や幻覚の類なのだとしたら、俺の脳は相当イカレてしまっているに違いない。
 結論的に、この相川は幽霊なのだろうか。そんな非科学的な物を信じているわけではないけれども、そうとでもしないと説明が付かない。だって何といっても俺はこいつの葬式で本人の遺灰とご対面したことを鮮明に覚えていて、火葬されたこいつをこの目でしっかり覚えているのだから。死んだと思ってたけど実は生きていましたなんてそんなオチは存在するはずがない。だからつまり――そうとしか。
「何考えてるの?」
 目玉焼きを掴もうとした箸を宙に浮かせたままあれこれ考えていたら、それを見かねた相川が、ひょいと顔を覗き込みながらそう尋ねてきた。急に声をかけられたことで肩が跳ねたが、次いで薄く口を開いて。
「……お前、何か未練でもあるのか?」
「ふみちゃん、自分の頭の中で考えたことの続きじゃオレわかんないよ」
 真顔で投げかけた質問に、そいつが眉尻を下げる。
「だから……お前がたとえば幽霊ならその、未練とかがあるんだろうと思って。もしくは死んだことを自覚していないとか」
「やだなぁ。オレそこまで馬鹿じゃないよ? ちゃんと死んだのはわかってるって。飛び降りたんだし」
 最後の一言に、また箸が止まった。なんだろう、米粒を飲み込んだ喉の奥が、つかえたみたいに狭くなって苦しい。
 そうして黙って相川の顔を覗き込んでいると、困ったような笑顔を浮かべていたそいつが今度は視線をそっと逸らしながら呟く。
「あー……いや、違うね。自分の意志で飛び降りたんじゃ、ないんだよね実は」
「え?」
「確かに飛び降りてやろうかなって思ってたのはそうなんだけどさ。……ふみちゃんにフられて、ヘコんでたっていえばヘコんでたし」
 言葉尻が小さくなる。それに耳を傾けていたら、何かを仕切り直すかのようにカチャンと箸を椀に置いた相川がパッと顔を上げた。
「あのさ、オレの昔話なんて聞いても面白くないから、やめにしよ? それよりふみちゃんそこの醤油――」
「いいから続けろよ」
 誤魔化そうとぎこちなく笑う相川の言葉を遮って、ピシャリとそう先を促す。
 醤油取って、と言おうとしたのだろう。中途半端に宙に浮いた相川の右手を見やってから、そこに醤油差しを握り込ませてやった。これで要望通りになったわけだが、何か納得いかないといった表情をしたそいつがぽちりと目玉焼きの上に醤油を垂らし――そうして小さく口を開いた。
「あのねなんていうのか……ホラ、中学の頃とかってさ、物事を大袈裟に考えちゃうじゃん? 中学なんて狭い世界なのにそこだけが絶対みたいな。オレそういうのもあってさ、ふみちゃんがオレにとって絶対だったっていうか」
 醤油差しの底がコトリと音を立てる。
「だからふみちゃんにキモイって言われて、ふみちゃんに嫌われたかなって考えたら死にたくなった。学校から帰って部屋にこもって、でも狭いところに居るとふみちゃんの『キモイ』って言った時の顔がフラッシュバックしてつらいから、マンションの屋上でなんかモヤモヤした気持ち晴らすために『わー!』って叫んでやろうかとか思ったんだけど」
 そこで一旦言葉を切った相川が、チラ、とこちらの様子を窺う仕草をしてから、小さく先を続けた。
「……実際行ってみたらさ、ここから飛んで死ねるじゃん、みたいな。今日ここで死んでやったらきっと、ふみちゃん自分のせいでオレが死んだんだって思ってくれるかもとか、ちょっと思ったりして。……でもやめたんだけどね。そんなの馬鹿じゃんって思って、やめた」
「……やめたのに飛び降りたのか?」
 いつしか箸を置いた俺がそう身を乗り出すと、視線が絡んだ相川が慌てて「違うよ」と首を横に振る。
「飛び降りたっていうか、事故なんだ。戻ろうと思って足滑らせたの。オレびっくりしちゃってさ、必死に窓の縁とか木とかにつかまろうと思ったんだけど、オレんちの周り綺麗に舗装されてるからそういうのあんまなくってダメだった。ああそうそう、最後一瞬、道歩いてたおばさんと目が合ったんだよね。オレもう絶対あの人のトラウマになってる。謝りに行った方がいいかな」
「……やめとけよ。余計トラウマこじらせるぞ」
 そうだね、と笑った相川を、俺は笑えなかった。そりゃもちろん衝撃の事実を羅列されれば誰だってそんなの茶化しさえ出来ないのだろうけど、それだけじゃ、なくて。
 事故という言葉に、酷く驚いた自分が居た。相川は俺に告白して拒否られて、そのショックで飛び降り自殺をしたんだよと、誰にも言えなかった事実という名の推測が、今の相川の言葉でぐらりと揺らいだ。死にたくなったのは俺のせいだけど、実際死んだのは不可抗力。――全部が俺のせいではないならば、俺にとっては嬉しい話なはずなのに。
 どうしてこんなにも腑に落ちない?
 頭の中が忙しかったが故に何も喋らないでいると、それを見かねた相川が「ほらね、やっぱりつまんない話になっちゃった」なんて冗談めかしながら茶碗と皿を片手に立ち上がる。
 俺はそれを視線だけで追いかけた。その筋肉で塗り固められた男らしい背中に、笑顔で塗り固めた案外脆いその心に、俺は何と声をかけるのが適切なのかさっぱりわからないでいた。
 そうして口を閉ざし続けていたら、後片付けを着々と進める相川がまた、困ったようにニコリと笑って。
「ごめんね、オレまたヘンなこと言ってふみちゃん困らせちゃった。……もう過去の話だし、だからつまり俺の死はね、ふみちゃんが気にすることじゃないんだよってこと。オレがヘンなだけなんだからさ」

――なんだろう。その笑顔に酷く苛々する。




     × × ×

 親友だと思っていた男に「実はずっと好きでした」なんてありきたりの告白をされた。少女漫画のテンプレみたいな時と場所とセリフに、頬を真っ赤に染めてきつく目を瞑る学ラン姿の長身男。そのミスマッチが頭の中を酷く混乱させて、何年経った今でも脳裏に焼き付いて離れない。
 別に俺はホモになる気なんてさらさらないから、その時混乱していてもいなくても、相川の告白に対して首を縦に振りはしなかっただろう。それでもやっぱり、そんな言い方は無かったんじゃないかって、それは思う。俺のせいで飛び降りたんじゃないか、なんてセリフ、何度頭の中で反芻したかわからない。繰り返し繰り返し自問自答して、辻褄が合ってしまうことに酷く怯えて。顔には出さずに皮膚の下、血の通う体の奥底で沸々と不安が湧きあがっては引いて行く。そんなことの繰り返し。
 そうして反芻しすぎて薄れた問答に、答えをくれたのは他でもない相川だった。それが例えば俺自身の妄想から繰り出された産物だったとしても、それを信じたいと思うくらいには俺の中でもその事件は一生消えない傷だった。
(……でもそれで、俺が気にすることない、って?)
 そいつはちょっと違うんじゃないか。ソファに腰をかけたまま、俺はコーヒーの湯気越しにそいつを見やる。そういえば昔からテレビっ子だった相川は床に座布団を敷いて、その上で本日二本目のアニメを鑑賞中だ。
――お前の人生に勝手に巻き込んでおいて、それで「気にすることない」って? 気にするようなことを言ったのはそっちのくせに。告白されて死んで化けて、それで挙句の果てに気にするなって? 勝手にも程があるだろ。人間の脳っていうのはそんな単純な作りじゃないんだよ。
 しかも幽霊だからお構いなくとか言って毎日入り浸っているのにも何か言ってやりたい。幽霊だからご飯はいらないとか睡眠いらないとか言って邪魔にならないよアピールするのはいいけど、だからといって転がしておくわけにはいかないことくらいそろそろわかってもいいはずなのに。仮にも友人が家にいて、その正面で自分だけ飯が食えるかっていう。寝床もお構いなくとか言うけど、枕元に立って寝るのとかほんと勘弁してほしい。だからまるで本当にそこに存在しているかのように扱っているっていうのに、「幽霊だから」って笑うのがなんだか無性に腹が立つ。――いや、確かに幽霊なんだろうけど、でも触れる幽霊を幽霊って言っていいのか。実体があったら、もはやそれは人と何ら変わりないんじゃなかろうか。
 なんて。
(あー…もうなんか考えるの面倒になってきた)
 そもそもこいつが化けて出なければ――なんてそんな八つ当たりするようなことを考えて、くつろいでアニメ観賞をしているそいつの脇腹に、軽く蹴りを一発。すると「うっ」と痛みを堪えるようなお決まりの声が聞こえてきて、蹴った足の裏に相川の感触が――……感触が、あるはずで。
(…………は?)
 目を、瞬く。
「ったいなーもう。なぁにふみちゃん、見たいテレビでもある?」
「……お前、それ――」
 ん? と首を傾げる、相川の脇腹を恐る恐る指さす。俺と視線がかち合っていた相川は指された向かって右の腹を自分でひょいと覗き込んで、――それから急に黙り込んでしまった。
 俺の気のせい、ではない。だって現に相川だって驚いている。相川の体が透けてるとか、――え? なにそれ。俺の渡したシャツごと半透明になってるって、どういうことだ?
 ありとあらゆる疑問符付きの言葉が頭の中を飛び交うけれども、結局出てきたのは「大丈夫なのか?」なんていう全く気の利かないセリフだった。我ながら本当にこういう時のボキャブラリーが酷い。
 動揺しているのは俺だけじゃなかったようで、相川もまた俺の問いかけに、目を丸くしながら小さく頷き「大丈夫」と繰り返した。それが大丈夫という顔だろうか。――というか、透けてるってことはなんだ、もしかして触れないってことなのか?
 半分興味というか、真偽の程を調べたかったというか。俺は考えるよりも早くふらりとソファを下りて、消えかかったそいつの脇腹へと手を伸ばしていた。けれども寸でのところで「ダメ」と声を上げた相川の手に掴まって、両手首を両手で拘束されてしまう。
 手と手は、触れ合えるようだ。
「……透明になってるけど」
 ポツリとそう零すと、先ほどこちらの手首を握り込んだ時に正気に戻ったらしい相川が、フイと目を逸らしながら相槌を打った。
「う、うん。そうだね」
「――消えんの?」
「……わかんない。けど、そうなのかも」
「なんで?」
 頭の悪い子供みたいな質問が口から滑り出る。相川が答えを知っている確信なんて無いのだけれど、それでもなんだか訊かずにはいられなかった。
 俺の放った「なんで」の意味を相川は少し掴みかねているようで、片眉を下げて逡巡し、それから掴んだ手首の力を緩めて小さく呟いた。
「あのねふみちゃん。答えになるかはわかんないけど」
 俯き気味に、そう漏らす。
「オレ今からすごい自惚れたこと言うから、的外れだったら流してね」
 何、と俺がせっつけば、ほんのり頬を赤らめたそいつが視線を逸らしながらボソリと続けた。
「もしかしてふみちゃん、オレのことすっごい、ずーっと考えてくれてる、とかだったりする?」
「…………。…………は?」
 思考が、考えることを放棄したみたいに上手く回らない。回らないというか、突拍子もなさ過ぎて処理しきれないというのか。ぽかんと開いた口が塞がらないまま、俺は相川の瞳の奥底を覗き込む。
「あ、や、やっぱりオレの自惚れ?」
「いや……とりあえず思ったことそのまま続けてみろ」
「え、……ん? うん」
 否定をしないのは肯定の意味ではない、なんて強がりを口にするのも忘れて先を促す。俺の反応が微妙だからか、相川はチラとこちらを一瞥してから、どこかぎこちなく話し始めた。
「なんか最近この辺が薄くなってきてるなっていうのはね、実は一週間くらい前から気付いてたんだけど」
 言いながら右肘のあたりをこちらに見せる。確かにそこも少し、後ろのテレビが透けて見えていた。
「最初はさ、『うわあハゲみたいじゃん』とか思って笑ってたんだけど、なんか段々色んなところが薄れてる感じがして。これって成仏の前触れなのかなって思ってたところ」
 成仏。その言葉に目を瞬く。――そうだこいつは幽霊なのだと、俺は確かにそう認識していたはずなのに。それでもどこかで、肌に触れるからと人間扱いをしていた。あくまで存在しないのに、だ。
「最近イイ思いばっかりしてたからねぇ。オレの幸せ貯金がザラザラ減ってるのかも。またふみちゃんと会えただけじゃなくて毎日ずっと一緒とか、生きてる時よりも幸せじゃん、みたいな」
 嘲笑とは少し違うけれども、相川のその寂しそうな笑い方は嫌いだ。喉の奥がモヤモヤと胸やけみたいに気持ちが悪くて、心のどこかで湧き出る苛々が止まらない。それを振り切るみたいにひとつ溜息をついて、俺はボソリと呟く。
「……なんだその恋愛脳。もっと何か確証持てるもんとかないのかよ」
「でも、それくらいしか思いつかないんだよ。オレがふみちゃんのことを大好きって思うのは今に始まったことじゃないし、ふみちゃんと一緒に居るから消えるっていうならとっくに消えてると思うんだよね。……だったらもしかしてふみちゃんが、って。ちょっと思ったんだけど」
 違ったかな、オレの自惚れ? なんて語尾を小さくしながらしぼむ姿に、俺は上手く言葉が返せなかった。――だって、真っ向から違うと言いきれないから。正直な話、こいつが目の前に現れてからこいつのことばかり考えている。だって仕方がないだろう。こんな超常現象、悩みの種にならなくて何になるというのか。
 いや、悩みの種――というのも、少し表現が違うか?
「……仮にそれが原因だとして」
 思考を断ち切るように、俺はそっと口を開いた。
「お前、いなくなるのか?」
「うん……まぁ幽霊だからね。……元々いないようなものだし」
「…………」
「えっと、あとホラ、お邪魔してる身だしね。そろそろお暇するのも悪くないかも、なんて。今までありがとうございましたってことで」
 相も変わらずその笑顔で、そいつはそう言ってのける。俺の手のひらをそっと握り込みながら、心配してるみたいな顔でまた「ふみちゃん?」とか言って覗き込んでくる。いつの間にか視線が下に落ちてしまっていた俺の、多分あんまり人に見られたくないような顔を、大きな体を屈めながらじっと見つめてきて。
(――なんだそれ。……なんなんだよそれ。馬鹿じゃないのか)
 そんな行動がいちいち、癇に障る。
「勝手もいい加減にしろよ」
 絞り出した声が変に震えた。まるで怒りを込めたみたいな、それでいて少し泣いているような響き。
「勝手、って?」
「っ、だから! 勝手に現れて勝手に消えるとか、そういうのやめろって言ってんだよっ」
「……へ?」
 耳の奥がキンと鳴る。目頭の辺りがむず痒くなって、唇が意識もしないのに勝手にぶるぶると震えてしまってかなわない。
――ふざけんな。どんだけこっちが振り回されてると思ってる。傍に居たのに、急に突き放すようなことを言って俺の目の前からいなくなって俺の中にしっかり傷を作って行ったくせに。それでやっと癒えてきた傷を、お前がまた開いたんだろ。言いたいことだけ言ってまた勝手に居なくなられて、俺がはいそうですかって言うとでも思ってんのか。
 頭の中で沸々とそんな文句ばかりが湧き出るのに、そのひとつも言葉にならないのは、何故なのか。
「えっと……ふみちゃん、オレに成仏してほしいんじゃなかったの?」
 顔を上げれば、きょとんとした表情のそいつがこちらを見下ろしていた。それがまた妙に腹立たしくて、俺の眉間が険しくなる。
「いつ誰がそんなこと言った」
「言…ってはないけど、ちょっとそうなのかなって思ってたから」
「勝手に俺の思考を推測するな」
「え、あ、……え?」
 相川は何故か困惑しているようだった。誰もそんなこと言っていないのに。そういえば妄想癖というか、思い込みが激しい奴だということをすっかり忘れていた。これはきちんと言葉にしてやった方がいいなと考えながら、俺はそっと立ち上がりながらピシャリと言葉を投げつける。
「とにかく、勝手に成仏するとか絶対許さないからな。お前はもう二度と勝手に俺の前からいなくなるんじゃない」
 いいな? と念を押すが、相川の反応はない。内心首を傾げてそいつの顔を見やれば、何か言いたそうな表情を浮かべながら、しかし口を戦慄かせたまま何も言わないそいつが、それから俯いて相も変わらず座布団の上で腰を上げずに。
「……相川? 返事はどうした」
 様子がおかしいなと、数歩戻ってそいつの表情を覗き込もうとしたその瞬間、グイッとまた手を引っ張られた。
「うわっ、おいっ……」
「っ、ふみちゃん、あの」
 不意打ちでバランスを崩して文句を言おうとしたところで、何か切羽詰まったようなそいつの声が耳に届いたから口を噤む。
「し、質問があります」
 目を、声の方へと。視線が絡んで、相川の指が俺の手に食い込む。
「オレに消えてほしくないのは、どうしてですか?」
 赤い頬っぺた、震える唇。それから急に丁寧になる言葉使い。――そのどれもを、俺は知っていた。デジャヴというのも少し違う。ここは俺の部屋で、俺もこいつももう中学生なんかじゃなくて。面影はあれどあの時とは全く違うのに、それでも鮮明に思い出すくらいには今この瞬間の緊張感が、記憶の中に深く刻まれたそれに酷似しているから。
――どうして? ……どうしてって? そりゃそんなにいきなり消えられたら困るからだよ。混乱するから。大体お前がホントに幽霊なのか実際わかんないし、それを確かめるためにももう少し時間が欲しいっていうか、いや、別にそうじゃなくて、ぶっちゃけ幽霊なら幽霊でいいんだけど、俺の前に現れたからには責任を持ってすることしてからあの世に帰れっていうか、……あれ? でもこいつってそもそもなんでウチに来たんだっけ? 俺に何か言う為に? 何かって何だ? ああ、自殺じゃなくて事故だったんだよって、 俺の誤解を解くために来たんだっけ。それなら用済みだよな。俺もそれ聞いて気が楽になったといえばなったんだし、それでいい。――それでいいはず、なのに。

 あれ。俺はなんでこいつに消えてほしくないんだっけ。





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