そして僕もいつか



 お前に似合うから買っていこう、と、あの日あの人がそう言ったから。
 だから「コレ」はここにある。真っ赤な正方形、カバーが綿性のクッション。それがくたびれた二人掛けのソファの上に、無造作に放り出されている。
 埃こそかぶっていないが、そこに哀愁を感じるのは、僕の想いがおそらくそこにあるから。

 それからあの時、モノクロの部屋に赤は浮くかもと、言えなかったのはその笑顔が優しかったから。
――愛されていると、思ってしまったから。

 きっと僕が愚かだったから。

 別れを切り出すんなら書き置きとか、もう少しダメージの少なそうなやり方があったんじゃないか。と、思ったところで何が変わるわけでもないけれど。
 だけど浮気相手――僕から見れば恋人を寝取った相手を丁寧に紹介されたらそんなの、逃げ道も何もない。

 爪や唇、肩掛けのバッグ、体のあちこちに赤を散りばめた女だった。
 目を閉じたって焼き付いて離れないような、毒々しい赤。

 ヴォルカン? ゼラニウム? いいや、あれはスカーレット。

 ああ不愉快だ。なんて下品な色なんだろう。そんなの人間の爪の色じゃない。悪魔の色だ。地の底から這い上がって、心弱き人間を掴んで引きずり下ろすような、れっきとした悪魔の色だ。

 ああ忌々しい。

 目打ちはどこへやった? 緻密に縫い合わせられたその口の、糸を解いてやりたいんだ。
 切れた糸を少しずつ、引き抜きながらその中身を暴いてさ。
 そうしてじわじわと綿を吐き出すのを、僕はじっと見つめていたい。
 握った目打ちで糸をすくう。プツン、プツン。弱った糸が切れて。

 これではぜんぜんたりない。

 裁縫箱に手を突っ込んで、今度はハサミを取り出した。
 黒い持ち手、割とどこにでもあるメーカーの裁ちバサミだ。そう、なんの変哲もない。僕は酷く地味なそれを、布地に食い込ませる。
 縫合された赤い布を鋼の間でじわりと挟んで、その後は一息に。
 ジャク、ジャク、と耳の奥の方がむず痒くなるような音がした。手元を見ればそこからは詰め込まれていた白い綿がもぞもぞと外へ出たがっていて、僕はそっと半開きの口を引き結び、そうして反対の手で綿をちぎっては投げる。

 指先に化学繊維の感覚。

 気持ちが悪くて、掻き出しては投げた。
 出来るだけ遠くへ――思うけれど上手くいかない。

 脳裏に浮かぶのは赤い唇。それがニヤリと、不敵に弧を描いて。

 あいつの腕に赤が絡みつく。螺旋状に蛇のように、腕から首、首から輪郭へ。
 すくい上げたその顎をじっと見つめて、見せつけるように舐るように、キスを――……それは僕だけに許された行為だった筈なのに。

 ハサミを取り落とす。ゴトン、と何か鈍い音がくるぶしのあたりで響いて、瞬きをした、その刹那。

 僕は両の手で赤を引き裂いた。糸クズがささくれて、引きちぎられた血管みたいだ。
 原型を留めないそれを、更にちぎって切り裂いて、しまいには天井へと投げつけた。


 宙に舞った赤と白、それがうずくまる僕の上に着地。


 ああもういいんだなんだっていい。僕が敗者で君が勝者、きっとそれだけのことなんだ。単純明快惚れさせた方が勝ち。倫理を振りかざす僕の方が、きっと君らからしたら非倫理的なんだろう。
 君はその真っ赤に染め上げた指先で、僕を指して嘲笑う。ああ見えるようだ。見えるようだよ。
 いいさそうだ笑えばいい。道化の僕を蔑んで、育む愛への試練の一端にでもしたらどうだ?
 それで君が満足であるのなら!



 だからさよならスカーレット、恋心に死ね!





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