Ep.08蝋色の村時雨-2


―――――――――――――――




「な…っ!? は、離してくれないか!」


その手を引き留めたのは、
まぎれもなく悠眞の手だった。

がくん、という衝撃で体を揺らした圭吾が
必死にその手を振りほどこうとする。

しかし悠眞は掴んだ手にさらに力を込め、
筋が見えるほどキツく握りしめて行かせまいとした。


「行かせてくれ。僕にはもう話すことがない。続きは君たちで―」
「あんた、帰ってくる?」


被さるように言い放った。

質問の意図が飲み込み切れていない圭吾が、
口を薄く開いたまま悠眞を見上げる。


「あんた、今後も瑞希の所に帰ってくる気はあるのかって聞いてるんです。」


言葉を付け足して、もう一度尋ねた。

圭吾は一瞬たじろいだ様子を見せたが、
すぐにその言葉の裏側を想像して読み取ったようで
微笑を浮かべながら首を横に振る。


「いや…。もう瑞希くんとは会わないよ。
押し掛けたり、襲ったりもしない。それでいいだろう?
僕にはもう、彼のそばにいる資格すらない…。
…敗者は大人しく退散するから…だから離してくれ。」


「……誰も、そんなことは言ってません。」


二度と会うなという言葉を予想していたらしい圭吾は、
思いがけない悠眞の態度に呆気にとられた。


「…瑞希が会いたくないと言ったんですか?」


悠眞には見えないことを知りながらも、
瑞希は反射的に首を横に振って否定した。

その様子をとらえた圭吾の目が、
あからさまに「どういうことだ」と言っていた。


「……瑞希くん…」


圭吾が小さく漏らす。

それを合図のようにして、
さっきまで思うようにならなかった瑞希の口が
ようやく動き出す。


「圭吾さん、あの…オレ…確かに色々嫌なことされたけど…。
……その、顔が見たくないとか、会いたくないとかってのは
全然考えてもないよ。」


瑞希のその言葉に、
圭吾の表情がゆっくりと緩和していく。


「圭吾さんは、普通に接している分には凄くいい人だし…
色恋関係なければ、人間として尊敬できる人だと思ってる。」


「………………。」


「だからその、そういうのを抜きにしてって言うなら、
オレはいつでも歓迎するし。家に来るのも、どっかで飲むのも。」


瑞希の言葉は偽りではない。
本当の気持ちだと強く目で訴えると、
圭吾にはそれがきちんと伝わったようだった。

しかし、一旦は驚いて緩んだ表情が
悠眞の顔を見た瞬間にまた強張る。


「き…君は、いいのか?」


圭吾のおずおずとした問いかけに、
悠眞は手の力を少し緩めて逆に問い返す。


「いいって…なにがですか?」

「僕が瑞希くんと会う事だ。」

「……え…?」


話が見えない、とばかりに首を傾げた。


「いいも何も、瑞希がそれで良いって言ってるんですから。」

「でも…、……嫌じゃないのか?」

「…嫌?」

「君の知らないところで僕と瑞希くんが2人きりで会うのは
君にとって嫌なことではないのか?」


圭吾の率直な質問に、悠眞が少しの間押し黙る。


「………別に、家族として会うのだから…。
何も気分を害することなんてありませんよ。
さっきあんた、『襲わない』って言いましたし。」


さらっと言ってのけた。

一瞬
またそんな言い方をして、と
まるでどうでもいいと言われたような気分だと思ったが
悠眞の真意はそこにないことにふと気がついて、肩の力をすっと抜く。


(―…違う。こいつはこういう人間だった…。)


そう考え、熱を持つ頬を見せないようにと俯いた。


「…嘘だろう……? 僕なら耐えられないよ…」


弱々しく、圭吾が伏し目がちに呟く。


「今までだって君と会ってるって聞いただけで
僕はいつも気が気でなかったんだ。許せなくて、引き離してやりたくて。」


「……………………。」


「君だって瑞希くんのことが好きなら、嫉妬くらいするはずだ。
僕のことを憎むことくらい…するだろう?」


『好き』という言葉に思わず反応してしまい、
顔がさらに赤くなった。
瑞希の視線が悠眞の見えない表情を探ろうとする。

しかし、相変わらず後ろからしか見えない悠眞は
至って冷静に答えを返した。


「憎むなんて、俺はそんなことしません。」


淡々と語られたその言葉に、圭吾が微妙な顔をする。


「そんなわけがない。君だって人間だ。
疎ましく思ったりもするだろう。」


「…あんた、俺のことは人間として認識するんですね。」


「……? どういう意味だ。」


「人間だから感情がある。感情があるから嫉妬する。
そう言いたいんでしょう?」


「…ああ。その通りだ。だから君も―」
「瑞希だって一緒じゃないんですか。」


強い言い方で、圭吾の言葉を遮った。
その口調には怒りも少し含まれているようだが、
どこか諭すような雰囲気も持ち合わせている。


「…一緒?」


「一緒です。瑞希だって人間だ。感情がある。」


「わかっているよ、そんなこと。」
「わかっていないからそんな行動ができるんです。」


「………。」


言わんとすることを推測するような目をする圭吾に、
悠眞は一旦緩めた手にまた力を込めながら
はっきりと口を開き、一言一言を言い聞かせるようにぶつける。


「あんたの行動は、瑞希の意思なんかまるで考えてないんです。

全部与えてやるからって言って白紙の状態にして、
瑞希の築いたものを根こそぎ持って行く。

好きだというくせに好きな人の存在すらも否定するような行動をしている。
俺にはそれが許せません。」


辛辣な言葉を浴びせられた圭吾が、
呆気にとられた顔をする。


「……だから、僕は去ると言っているんだ…。
君の言う通りに瑞希くんには酷いことをした。
だから……」


眉根を寄せてそう言った圭吾を見て、悠眞が溜息をついた。


「だからね、圭吾さん。それがいけないって言ってるんです。」


「何故……何が。」


「あんたは瑞希にとって、父親も同然の人だ。
それは昔も今も変わらない。8年会ってなかった俺でも、
瑞希がするあんたの話の仕方ひとつでわかります。

なのにそのあんたがいなくなったらどうするんですか。」


「もう良い大人だろう。
そんな父親もどきが一人いなくなったところで…」

「親に対する感情は、歳を取っても案外変わらないものです。
大切な人は大切な人。その事実は変わりません。」


捲し立ててくる悠眞を、圭吾が一瞥する。


「…君は、本当に不思議な人間だな。
僕のやったことを許せないと言っておきながら、
それでも僕を彼のそばに置きたがるのか?」



一瞬、悠眞が言葉に詰まった。



「………………………。
……俺は…あんたに…恋人の地位は譲れません…」



少し低めのトーンの声が、辺りに響き渡る。



「でも、瑞希が大切だと思うものは大切にしたい…。
ただそう思っているだけです。

実際、あんただってその中の一つなんです。
だから憎もうにも憎めない…。


…全部を自分の物にしたいという気持ちだってもちろんあります。
だけどそれを押し付けてしまうのは違う。
自分で生きる、そのままの瑞希がいいんです。」



悠眞が囁くその声は、どんな音よりも耳に心地がよかった。

胸の真ん中あたりが勝手にきゅうっと収縮して、
全身に電撃に似た甘い痺れを走らせる。

それはじんじんと瑞希の精神的な部分にまで到達し、
解放されたいと言わんばかりに目頭を刺激してきた。




途端、先程まで鈍化していた脳が俄かに回り始める。


(―…そうか…これが2人の『差』……だな…。)



優しいんだ。
優しいなんて言葉では表せないくらいに。


切ないくらいに暖かい。


全てを包みこんで、そっと見守っていてくれる。


それが藤井悠眞という男だ。



瑞希はその考えついた答えを口にしようかと薄く唇を開いたが、
はっとしてすぐに噤んでしまった。


悠眞を挟んで向こうにいる圭吾と目が合い
その瞬間、先程の言葉の優しさを噛みしめるように目を細めると

圭吾の顔に
はっきりと「そうか」という表情が浮かび上がったからだ。



(―…ごめんな、圭吾さん。)


甘い痺れの中に、切ない痛みが加わる。



(―…けどオレ、やっぱりこいつが好きだ。)



圭吾の過剰なまでの独占欲。


初めて耳にした、彼の本当の気持ち。



それに動揺しないほど、瑞希の心は強くない。


けれど、奪い去られることは恐怖だった。


自分の意思と関係なく、手から盗まれて行くのは

辛くて、悲しくて、苦しくて。


だから圭吾に
笑って「わかったからいいよ」だなんて
そんな優しい言葉はかけてあげられなくて。


でも…その反面、許したい。


相反する気持ちが心の中を錯綜して
なにをどうしたらいいのかわからなくなる。


そこに手を差し伸べてくれるのが「悠眞」という存在だ。


自分だって十分傷ついているはずなのに

瑞希の中にある
「許したい気持ち」を静かに汲み取って

瑞希の心を素直な方へと導いていく。


強制はしない。


ただ、歩くところを見守っていてくれるだけ。


瑞希がいきたい方向に、
さりげなく道をひいてくれるだけ…。



「……圭吾さん。」


瑞希が唐突に口を開く。

圭吾の目をじっと見つめると、一瞬ひるむが
すぐに瑞希と同じまっすぐな視線に変わった。


「圭吾さん、オレね…あんたのこと、好きだよ…

………でもごめん。そういう意味では好きになれない。」


圭吾は静かに、しかしいつにないくらい真剣にその言葉に耳を傾ける。

そして少しの間
その長いまつげを伏せて何か考え込んでいたが、
一息ついてからすぅっと息を吸った。



「…うん。そうか…。……言ってくれてありがとう。」


そこで一旦口を噤む。

ややあって、その続きが滑り出た。


「君は、その…僕の……………自慢の息子だ。
…今度帰って来た時には、
この前食べたがっていたほうれん草のクリームパスタを作ってあげる…

…だから…せめてこのまま…父親でいさせてくれないか……」



その言葉に、瑞希は子供のように首を縦に振った。



玄関を開けると、外はすっかり暗くなっていて
ひんやりと冷たい空気が全身を撫でて体温を奪っていく。


そうか、もう冬が近づいているのだな、と
瑞希は雪崩れ込んできた風を胸いっぱいに吸い込んだ。



帰り際、
口の端を持ち上げて笑う圭吾の顔は
毒気を抜かれたようにすっきりとまとまっていて
初めて会ったあの日のことを思い出した。


雨の中、名も知らない中学生の愚痴を延々聞かされても
嫌な顔一つせずに耳を傾けてくれた。


確か
あの時の圭吾の表情は、今の笑い方と同じだった。


口角を上げてくしゃりと笑う。
少し困ったようにひそめられた眉が特徴的だった。


(―そっちの方が、よっぽど圭吾さんらしいや…)




闇に溶けていく圭吾のコートは蝋色。


蝋燭が火を灯した後、
灯りのなくなって燻ぶる芯の色味のようで

漆黒でもなければ灰色でもなかった。



―――――――――――――――



パタン、と金属製の扉が閉まると
さっきまでの澄んだ冷たい空気が遮断され、
耳の奥が鳴るような程の静けさが訪れる。


悠眞は圭吾が消えていったドアをただひたすら見つめて、
一向にこちらを振り返らない。


何か考えているのだろうと思って
瑞希はしばらくの間その無表情な背中を見つめていたが、
流石に長すぎる沈黙に疑問を覚え、口を割った。


「………悠眞?」


その声に、悠眞の肩がぴくりと跳ねる。

しかし、振り返りはしない。


「…あー…あの…その…ありがとな、色々。」

「……………………。
…いや…礼を言われることなんかしてないよ。」


背中を向けたままで、そう呟く。

少しそっけない気がして
どうしたのだろうと首を傾げるが、
次の言葉を続けることにした。


「でもホント助かった。
オレ一人じゃあの状況どうにもならなかっただろうし……。
それに、お前が言ってくれたから…伝わったみたいだし。」

「……伝わった?」

言いながら、やっとこちらを振り向く。

しかしその顔はどこか不安そうで、悲しげだ。

その目でじっと見つめられた途端、
瑞希はなんだか気恥かしくなってしまって
そっと視線を悠眞から外した。


「うん…。オレ、あんまり言葉が上手くないからさ。
伝えようと思っても全然ダメで、
言おうと思えば思うほど口が動かなくなるわけね。」

「……………………。」

「でも、お前が話してくれたから
オレの気持ち…ちゃんと圭吾さんに伝わったみたいだったじゃん?
だから、ホントにありがと。」

まぁ、ちょっと他人任せ過ぎちゃったけどな、と
笑って付け足す。

すると突然、悠眞の細長く白い腕が
瑞希を巻き込むようにして抱きしめた。

ふわりと香る優しいフレグランス。
じんわり暖かいその体温。

それに包まれるだけで緊張が解けて、
腰が抜けそうになる。


はぁ、と悠眞が顎を瑞希の肩に乗せながら
小さなため息を漏らした。


「…でもさ…俺…瑞希の気持ち確認せずにべらべら喋っちゃって…」

何を言い出すのかと、瑞希は目を丸くする。
肩から聞こえる声は、やはり不安そうだ。

「確認って…。
でも、お前の言ってたこと、オレの考えてることそっくりそのままだったから。
確認も何も要らないだろ。」

瑞希は悠眞の背に両腕を回し、しっかりと抱きかえす。

「やっぱりオレのことよくわかってんだなーって、
ちょっと感動した。お前ってホントすげぇ奴。」

少しくすぐったそうに笑いながらそう言うと
悠眞は微かに息を詰めて、それから抱きしめる腕の力をより一層強くした。


「……俺は瑞希のこと、わかってるわけじゃないよ。
さっき圭吾さんに言ったのは、ほぼ俺の言いたかったこと。
…だから俺も大概あの人と変わんないな、って…今思ってたんだけど。」

「何言って…。
お前と圭吾さんは全然違うだろ。」

「違わないよ。
実際にはやらないだけで、一人占めしたいし…。」


え? と瑞希は声を上げる。
悠眞からそんなセリフが出るとは思わなかった。


「それに、俺だって嫉妬くらいするよ。」

「…嘘つけ。
お前、涼しい顔してさらっと聞き流してたじゃねーか。」

「さっき、圭吾さんが瑞希の『恋人だ』って言ったこと?」

「そうだ。」

「……後ろからじゃ俺の表情は見えてないでしょ?」


そう言いながら、
瑞希の肩を掴んで体を離す。

そして向かい合うような体勢になって
瑞希の黒眼の奥の方を射抜くように見つめてきた。

恥ずかしさに目を逸らしたいけれど、
少し心地が良い気もして逸らせないでいると
悠眞が唇をそっと開く。


「俺は結構嫉妬深いタイプだと思うよ。
表情に出さないから、そうだと思われてないみたいだけど。」

「嫉妬深い……?そうでもないだろ。」

「いや、本当に。
瑞希が同僚の先生と飲みに行くのだって引き留めたいくらい。」

「…は?…なっ…お前、同僚は全く関係ないだろ!」

「だから言ったでしょ。嫉妬深いんだよ。
だから圭吾さんと会ってるなんて知ったら、気が気じゃない。」

つん、と顔をそむけた。

その表情が妙に子供っぽくて可愛らしいと思う反面、
そういえばこいつの精神年齢も自分と変わらなく幼いのだったと
今更ながらに思い出す。

さっきの剣幕があまりにも凄かったものだから、
元の性格を忘れかけていたのだ。


「じゃあ何であんなに平気そうにできるわけ?
オレだったらあーゆーの、絶対啖呵切っちゃうけど。」


悠眞が目を丸くする。

何かおかしなことでも言ったかと、首を傾げたら
悠眞に「それはさっきの事を言ってるの?
それとも今回の事じゃなくて、瑞希の一般論?」と尋ねられた。

顔がじわじわと熱くなる。


「あ、いや…えっと…そうだな……
今の場合もそうしたかもしれないし…他の時にするのかもしれないし…」


微妙な事を言ってお茶を濁すが、悠眞にはしっかり伝わってしまう。
きっと瑞希が何も言わなくても表情でわかっただろう。

そっと、ほほ笑んだ悠眞が髪を梳いてくる。
雨で濡れた瑞希の髪は少しばかりはねていた。


「俺は多分、見栄を張ったんだと思う。」


ぽつりと悠眞が零す。


「……見栄?」

「うん」

「誰に?」

「あの人に。」


言いながら、目元だけで笑った。


「だって俺、つい最近まで瑞希は圭吾さんが好きなのかと思ってたからさー。」

「はぁ? なんで?」

「……なんとなく。
圭吾さんが帰国するなら家に来ればって誘っても、
希美ちゃんがいるからって断ったりして…」

「いや、あれは…!
その言葉通りに希美が家にいたし!
それに帰ってくるたび毎回家にいないのもおかしいと思ってだな!」

「わかってるよ、ごめん。」


うそうそ、と軽い調子で悠眞が笑う。
瑞希はからかわれたことに若干不満を感じながらも、
このふんわりした笑顔がいいんだよな、と思った。


「でも圭吾さんに対抗意識があるのは本当。
なんだかんだ言ってもあの人は俺より大人じゃん?
だからそれと対等かそれ以上にならないと、って思う訳ね。」

「なんで?別にオレは子供っぽくてもいいと思うけど?」

「俺が嫌なの。いつでも余裕にしてたいわけ。」

そう言って、軽く唇を尖らせる。
大人っぽく、なんて言っているくせに
やっぱり行動がまんま子供だ。


「そういや、お前がすごい勢いで叩きつけたから、
振動であのガラス細工が落ちて割れたんだ。片づけないと。」

瑞希の目の先にあるのは、
もはや原型など留めていない粉々に砕け散ったガラス。
もとは何だったのだろうか。
記憶では白鳥か何かだったような気がする。


瑞希が腕を抜けて箒を取りに行こうとすると、
悠眞の腕に力が入り、行かせまいとされた。


「何?片づけないとまずいだろ?」

「いいよ。そんなの後で。…それより…」

もうちょっとこのままでいてもいいかな…

瑞希のことをしっかりと抱き締め直して悠眞が呟いた。

またフレグランスがふわりと香ってきて、
瑞希の頭がくらくらし始める。


「瑞希……」


低く甘い声で名前を呼ばれ、
思わずぞくっとしてしまった。


体の振動が伝わってしまったのか
悠眞が小さく笑う。


笑うんじゃない、と言おうとして
少し悠眞から体を離し、その顔を見上げたその時


静かなキスが降ってきた。


体温の低い悠眞のキスは気持ちがよくて癒されるだけでなく、
回数を重ねるうちに瑞希の体温がじんわりと伝わって
まるで溶けあっていくように思える。

ひとつになっている気がするな、などと考えてしまった日には
瑞希の体温が上昇して、
またそれが悠眞に移って溶けていく。



とても気持ちが良い。



「…………ん…?」


いつもならもう少しキスを繰り返すのに、
今日の悠眞は随分とあっさりだ。

不思議に思った瑞希が目を開けて悠眞を見つめると、
何とも言えない表情の悠眞が慈しむように頬を撫でる。


「攫って行かれなくてよかった。」


ふんわりと笑って、そう静かに囁いた。


「また、持って行かれちゃうのかと思って焦ったよ。
……でも、本当に間に合ってよかった。」


眉をひそめてほほ笑むその顔に、
鼻の奥がツンと痛くなる。

それを誤魔化すように下を向くと
悠眞が瑞希の頭に額をくっつけてきた。


「…オレ…来てくれると思ってた。」


小さく零すと、悠眞が頭を振らずに相槌を打つ。


「助けてって言ったら、まじで来たから…
びっくりしたけど嬉しかった。」


ふふ、と二人の笑い声が重なる。


「だってこの前、離さないって言ったでしょ?」


「……うん…。」


「一回そう言ったら、俺は何があっても離さないよ。
瑞希が嫌だって言っても…多分やめない。」


「悠眞…。」


悠眞の額が離れて行くのを感じて
ふっと顔を上げた。


「なんか……ごめんね、瑞希…。」

場違いな謝罪に、瑞希は目を見張る。


「何で謝るんだよ。」

そう尋ねると、
掠れたような悠眞の声がぼそっと呟いた。


「俺…この先、瑞希を離してやれる自信がないんだ。」


片眉を上げて怪訝な顔をする瑞希を見て、
悠眞は言葉を付け足す。


「いや、だって…。
瑞希が逃げたいって言ったらどっかに閉じ込めて
逃げられないようにしちゃうとか
そういう事しそうだなって思うんだもん。」


その言葉に、瑞希は吹き出す。
口を覆って笑いをかみ殺していると、
悠眞が少しどもって「な、何?」と聞いてきた。


「そんな心配はいらねーって。」

隠していた手を外して、
まだにやついている口のまま答える。

「逃げるとか、そんなこと絶対しねーもん。」


え、なんで?と悠眞が聞きかえした。


「んー?……なんでも。
だから、オレは逃げないし、お前から離れる気なんてさらさらないの。
んな心配は、しても無駄。」


きょとんとしている悠眞が可笑しくて、
また笑ってしまう。


そのうち、
呆気にとられた顔がだんだんと
「信じられない」という表情に変わり始めた。

その自信のなさはどうにかならないものかとも思ったが、
それはお互いさまのような気がした。



瑞希は吸い込まれるように
悠眞の薄い唇に自分のそれを重ねる。



そして一度離れてから、
湿りが足りないと思って舌で唇を舐めた。


ふいにされたせいで驚いているのか、悠眞の反応は鈍い。


それに焦れたように
瑞希はもう一度自分のそれを押し付ける。


今度はさっきより水分があるせいか
悠眞の唇が吸いつくようになって、
どうにもいやらしい音が鳴った。


唇をそっと離して悠眞の表情にちらりと目をやると、
なんだかやっと状況がわかってきた、といった具合の
半分呆気にとられたままの顔が見える。


瑞希はその端正な顔が赤く染まるのを初めて目にした。


もしかしたら顔をそむけた時はいつも
こんな表情をしていたのかもしれない…


胸が痛いくらい締め付けられて息が苦しくなる。


(―…ずっと見てたい……)


そう思ったら、
手が勝手に悠眞の両頬を包みこんでいた。


手の平で感じる体温はいつもよりも格段に高くて、
瑞希の手から、腕を通って胸へと
じわじわとその熱を伝え、
瑞希を中から溶かしてしまいそうだ。



「……瑞希………?」


やっと状況が飲み込めたらしい悠眞がそう呟き、
自らの両頬に添えられた瑞希の手に自分の手を重ねる。

その手もまた、瑞希よりも熱っぽいくらいで
触られたところから甘い痺れが走り、
瑞希の全身を駆け巡っていった。


その痺れに胸の中がいっぱいになって、
抑えの利かなくなった気持ちが瑞希の口から溢れだす。




「………………好き。」




言ったら、胸が更に締め付けられるようだった。

また気持ちが零れる…。
そう思った瞬間、言葉は悠眞の唇に吸い取られた。


ふうわりと優しいキスが頭の芯を痺れさせ

熱を帯びた唇が瑞希の熱を上げていく。


人の体温は何度まで上がるのだろうか…。

いったい何度になったら溶けてしまうのだろうか…。


そんなことをぼーっと考えていると、
舌先で軽く唇を舐められた。

驚いた拍子に口が微かに開く。

悠眞はそれを見逃さず、唇よりも熱くて湿った舌を忍ばせて
口の中の粘膜を余すところなく舐めつくすとでもいうように
あらゆるところを舌で探った。

息が出来なくてもお構いなしに
瑞希の舌を捕らえては吸い上げて絡めて、
中の方からぐずぐずに溶かしていく。



「………すき……」



キスの合間に唇を離すのは、
おそらく息をするためではなく
溢れる気持ちを口で相手に伝えるためなのだ……


苦しくなる息を全く気にとめないまま
口付けては「好き」を繰り返す。




「瑞希…………俺も……好き…………」




瑞希から激しく流れ出る気持ちをゆったりとせき止めるように、
これ以上ないくらいに甘い声で悠眞が囁く。






融点は近い、と瑞希は思った。



―――――――――――――――――――




「や……っ、も、やめろってば………」

薄暗い部屋に、瑞希の悲痛な声が響く。


「も……痛い……」

悠眞はその言葉を聞いているのか聞いていないのか、
耳を貸さずに執拗に一部分だけを弄び続ける。

ひっついた頭をいくら剥がそうとしても
一向にやめる気配がない。


(―…嫉妬深いってマジなんだな……)





事の始まりはほんの十数分前だ。


あまりにも濃厚なキスで
わけがわからなくなった後、

悠眞に「とりあえず中に入って」と勧められ
言葉通りに行動していたら気づけばベッドに辿り着いていた。


正直なところ
全く訳がわかってなかったというわけではない。

でも
いつもこういう状況の時は何かしら
酒やら何やらで勢いに任せていた節があったから、
初の素面での行為にかなりの羞恥を覚えていた。


ベッドに瑞希を横たえて
その上にゆっくりと被さってくる。



今更ながらに早鐘を打ち始めた心臓の音が
触れている悠眞の肌から耳に届かないかと心配になった。


「…瑞希…?どうしたの?」


瑞希の髪を掻き上げながら、
少し心配そうに悠眞が尋ねる。


「え…なに?……別にどうもしねーけど…?」

「そう?…ならいいんだけど……。」


そう言うくせに、
その目は全然納得しているように見えない。


「……なんで?」


瑞希がぼそっと呟くと、
額にキスを仕掛けながら悠眞が答えた。


「……いや、なんか堅いなーと思って…」

「堅い?なにが?」

「うーん……態度?」

「え、態度…?…べ、別にいつもと変わんなくね?」

「ん、だからね……」


いつもと変わらないのが変なんだってば……

そう呟いて、手の甲で瑞希の体をなぞる。


(―…うわ……っ………え? あれ?…ちょっと待て……。
オレ、いつ服脱がされたんだ…?)


気がつけばシャツの前のボタンが全て開け放たれていた。


手際の良さに感心していると、
手の甲が首から胸、腹、そして太ももへと流れていく。

触れたところから電流が走るようでぞくぞくして、
瑞希は小さく喘いだ。


「……っ。
…いつもと変わらないのがヘン、って…
どーいう意味なわけ……?」


まさか脇腹を撫でられるだけで感じているとは言えずに
若干奥歯を噛みしめながらそう問うと
悠眞は涼しい顔で色々なところを撫でまわしながら、
「んー」と唸る。


「いつもなら、なんというか……ふにゃっとしてる。」


その発言に眉根を寄せた。


「…ふにゃっと?」

「うん、ふにゃっとして、可愛い。」

「かわ……っ!?」

「ま、このままでも十分可愛いけど。」


言いながら、胸の尖りに触れてくる。

手の甲で撫でられただけでツンと隆起したそこを
指で押しつぶすように捏ねられると、
無意識に甘みを帯びた嬌声が上がった。

びくっと体を弾ませた瑞希は
近くでほほ笑む顔に気がつく。


「…な、なに?」

「いや……調子出てきたなと。よかった。」


そう言って舌舐めずりをする悠眞が、
妙にいやらしく見えた。


す、と顔が近付いて来て
湿ったそれが瑞希の唇を啄ばむ。

軽く触れたかと思えば貪るように深く、
押し付けては吸い上げてを繰り返し
ちゅ、という音を出す。


けれどそれ以上深くはならない。


瑞希はそれを焦れったく思うが、
まだ恥ずかしさの残る体が積極的に動くはずもない。

だから悠眞がそうするまで待っていようと考えた。
しかし、待てども待てども一向に深くなる気配はないようだ。


熱くなる体が悠眞の舌を求めている。


やっぱり自分からした方が良いのだろうか、などと
ぼんやり考えながら薄く眼を開くと
目元で笑っている悠眞が見えた。


(―…な……こいつ………。)


その目はまるで誘っているかのように挑戦的だ。
して欲しいならそう言ってみてとばかりに。



(―……〜っ。…もうっ…!)



瑞希の我慢が限界に達した。

もうどうにでもなれと頭の隅で思いながら
悠眞の顔を引きよせて舌を差し出す。

絡め取って欲しいと自分の舌先で悠眞のそれをつつくと、
悠眞が待ってましたと言うように
ふっと笑ってそれを吸い上げ始めた。


「………んっ…………んん……」


激しく吸われ、ふいに喉が鳴る。


悠眞が瑞希の口腔で舌の位置を変えるたび
濡れた音が小さくして、瑞希の快感を煽った。


そして良いだけ貪った後、
ついうっかり唇を離すことを忘れた2人が
息苦しそうな声を出して互いの唇から離れて行く。



(―やば。ぐらぐらする。)



酸欠で、くらくらを通り越してぐらぐらした。
悠眞も似たようなもので、薄く開いた唇から荒い吐息を吐き
少し顔をそむけて息を整えようとしている。


瑞希の息が整うより一足早く、
ある程度呼吸を整えた悠眞が動き出した。


耳朶をやんわりと噛み
そのまま舌を這わせて鎖骨まで線を引く。

生ぬるくねっとりとした感触に、思わず悲鳴じみた声を上げた。


「…ぅわ、馬鹿。痕つけたらやばい。」


鎖骨に辿り着いた悠眞の唇の動きを見て
痣を作ろうとするその口を制止する。


「なんで。」

「そこに痕つけると、服のバリエーションが減る。」

「…どういう意味?」

「だから、首が開いた服が着れなくなるだろ?」

「じゃあ着なきゃいいじゃん。」

「〜っ…てめぇ……。俺の立場になってみろ!
Vネックなんてぜってえ着れねーから!」


瑞希がカッとなってそう言うと、
涼しい顔で「別に着れるけど」と返す。


「俺は構わないよ。
聞かれたら、恋人につけられましたって言えばいいし。」


意外と肝が座っていると言うか、
変な所に細かいくせにこういうところには寛容な悠眞に呆気にとられ
瑞希はしばし思考が停止した。


唖然とした顔がだんだんと険しくなる。


「……じゃあつけてみるか?」


あんまりにもケロリとした
悠眞の表情が悔しくて、そう言ってみる。

それを聞いた悠眞は一瞬驚いた顔をしたが、
すぐにからかうような笑みを浮かべた。


「…いいよ。
瑞希が付けたいっていうなら、どこにでもどうぞ?」


言いながら
Vネックシャツの首元を軽く指で引っかけて鎖骨を見せ、
顎をクイッとあげ、喉元を晒す。

その姿がどうにも艶めかしくて、瑞希はごくりと喉を鳴らした。


「…うそ……本気?」

「うん。本気。ほら…こっち…」


その体勢ではきついだろうと言って
瑞希の体を起こし、悠眞の足に跨るような姿勢にさせられる。


「俺がいつもしてるみたいにすればいいから……
………つけて?キスマーク。」


髪を梳きながら囁くそれは酷く甘い。


瑞希は自分の胸が更に強く脈打つのを感じながら、
そっと悠眞の首筋に手を添えて
左耳の少し下の方に口付けをした。


唇で感じる悠眞の肌は白くきめ細やかで
水分量が高いのか、しっとりと吸いついてくる。


(―……次は…どうだっけ……)


いつも悠眞がしてくれるみたいに、と

今度は舌で耳の下から鎖骨までをなぞる。

悠眞が小さく息を詰めた気配がして、
気を良くした瑞希はそのまま鎖骨を軽く吸い上げた。


「……それくらいじゃ、つかないよ。」


軽く目を細めた悠眞が指摘する。


唇を離して見てみるが、言われた通り痕は残っていない。


(―…じゃ、これくらい?)


今度はさっきよりもきもち強めに吸い上げてみた。

すると悠眞が「もう少し強めに」と呟くので
言われるがままキツく吸うと、自分の舌が痛くなる。


もう付いただろうと思い、唇を離すと、
そこにはくっきりとした痣が残っていた。


してやったりと顔を上げる。

すると首を傾げた悠眞にまた髪を梳かれた。

その優しい手つきと表情に気を取られた瞬間に
悠眞が突然「舌を見せて」と言ってきたので、
瑞希はわけもわからないまま軽く舌を出す。


「………ん……っ…!」


早急に、出した舌を素早く吸い取られ
絡めることはせずにぎゅっと吸い上げられた。


舌の先にぴりりとした痛みを感じて
かぶりを振り、口を離すと
舌を解放した悠眞が楽しそうにほほ笑む。


「…舌につけるのもキスマークっていうのかな?」


その言葉に、瑞希の体温が一気に上昇した。

これといって淫猥な単語は何一つ使っていないというのに
今の悠眞のそれは酷くいやらしく感じる。


じんじんと痛む舌先を意識しながら
赤くなる顔を隠そうと俯いて痛いと文句を言うと、
悠眞は「お返しだよ」とだけ言って瑞希を抱きしめた。



「ね、瑞希?」

「…なに?」

「あの人に、なにされた?」



瑞希の体がびくっと反応する。


「どこ触られたの?教えて?」


そう優しく問いかけながら、胸の先に舌を絡めてきた。


「………っ!…そ、そこ…」

「ん?……ここ…?…胸?」

「うん…」


「あとは?」

「あ……とは………
別に…そこま…で、大したことな…い……っ」

「大したことなくても、知りたい。」

「…っ。え…ん…っ、と……こ、腰と………」

「腰と?」

「く……っび、すじ………」

「…首筋?……あとは?」

「も……それだ…け……っ…」


舌先で胸の粒を転がしながら口も離さずに喋るから
低い声がびりびりと空気を震わせ、
それすらもが胸の先を刺激した。


「胸…ここ……舐められたの?」

「う…ううん………手、だけ…」


そう、と気のない相槌を打って
また執拗に舐めしゃぶる。


「あ………だ……め、も…やめろってば………」


快感の中に炎症による痛みが混じる。
それを悠眞に訴えるけれど、全く聞く耳を持たない。


「…まだ駄目。
あの人の感覚なくなるまで、徹底的にやる。」


瑞希の胸の小さな粒に舌を這わせたまま
上目づかいで呟く悠眞のエロさにくらっとしながらも
顔をしかめた。


(―……嫉妬深いって…マジかよ……)


引っかけるような舌の動きに
痛みよりも痺れるような甘い快感がその上を行って、
瑞希の腰が小さく跳ねる。


途端、
いつの間にかズボンの前が緩められていたことに気がついた。


(―…だから…何でそんなに手際が良いわけ…!?)


焦りと混乱でだんだんとわけがわからなくなってきて、
瑞希は快感の波に飲み込まれ始める。

衣擦れのような微かな刺激ですら過敏に反応し、
意思とは関係なく喉の奥から甘ったるい声が漏れた。


悠眞はそんな瑞希を仰ぎ見て満足そうに笑い、
やっと胸から口を離す。


「そう…瑞希……その調子…。……もっと淫れて…。」



お前の声がなによりも淫らだと言ってやりたいが
瑞希の口からは切ない喘ぎ声が出るばかりで、
それを言う事は叶わなかった。



――――――――――――――



ただ液体が水音を立てているだけだと言うのに、
どうしてこんなにもいやらしく聞こえてしまうのだろうか…。


瑞希はぼーっとする頭の隅でそんなことを考えていた。


自らの唇は少しだけ開いて、
酸素を求めては嬌声を吐きだす。


その下半身は悠眞の細長い指をしっかりと奥まで咥えこみ、
部屋中に響き渡る卑猥な音を奏でていた。


「……っ。ゆう…ま……それ…やだ……」

「どれ?………これ…?」


ぐりん、と体の中で指を回されて悲鳴のような声を上げる。

「…やっ、やっ……!
も、そんな………したら………っ!」

「まーだ。…まだ、見つけてないから。
今日は……もうちょっと我慢して。」


圧迫感による苦しさと、
そこに微かに加わる痺れるような甘い疼きに
瑞希は身悶えた。


(―見つけるって、何を…?
っていうかもうこれ、十分じゃないのか…?)


今日の悠眞はなんだか色々としつこい。
キスの仕方ひとつにしろ、前戯にしろ。



「んも……や…………っ。
…ん……ぅ………んぁうっ――!?」


しつこい前戯に痺れを切らした瑞希が
いい加減抜いてくれと体をよじったその時、
悠眞の指が体の中のある一点に触れて
快感が一気に脳天まで駆け抜けた。


「…え………なに…いまの……」


思わず体を仰け反らせて悲鳴じみた声を上げた後、
呆然とした顔でそう零すと
悠眞が嬉しそうにほほ笑む。


「ここ?」

「……っん!」

「よかった。見つけた。……ほら…」

「……っは!………や…なに………っ」


体の奥の方にあるそこに悠眞の指先が触れるたび
腰が勝手にビクンビクンと跳ね、
恥ずかしいほどの甘ったるい喘ぎが口から漏れ出した。


かぶりを振りながら跳ねる腰を必死に押し付け、
唇を噛んで声を殺していると
悠眞が苦笑して顔を覗き込み、
瑞希の一番感じるところを意地悪く集中的に攻めてくる。


「…何で我慢するの?声出してよ。」

「ぃ……や……っ…」

「嫌?どうして?」

「だぁ……って…は、はずかし………」

「うーん…。そっか。
…でも俺、瑞希の恥ずかしい声…聴きたい。」


耳元で甘くそう囁かれ、頭の中が煮えたぎる。


(―や、もうまじで…飛んじゃいそ……)


強い快感に意識が攫われそうになる。
しかし持って行かれそうになる度に、
悠眞がタイミング良く手のリズムを崩すので
意識は途切れないままその波に襲われ続ける。


「……結構奥の方なんだよね…」


そう呟く悠眞の声は、何かを思案しているようだった。

目すらもろくに開けられなくなってきた瑞希は
薄く片目だけを開いてその様子をうかがうと
小さく掠れる声で何を考えているのかと問う。


「ん?…いや、瑞希の感じるところがね、かなり奥の方なんだよ。
………ほら…ここ。……ね……わかるでしょ…?
だから俺の指だとちょっと触るくらいが精一杯なんだ。」


そう言って、埋めていた指をずるりと引き抜いた。

濡れそぼったその白い指が目に入り
恥ずかしさと喪失感を同時に覚えながら
怪訝な顔で悠眞を見つめると、
「俺の腰にまたがって」と指示される。


ひくつく粘膜を出来るだけ意識しないようにして
言われたとおりに座っている悠眞の腰をまたぎ、
膝を立てた状態で次の指示を待った。

すると悠眞は困ったようにはにかんで
あろうことか「腰、下ろしてくれる?」などと口走る。

まるで甘えたな子供のような物言いに
一瞬あっさり承諾してしまいそうになったが、
ふいに自分の醜態を自覚して言葉を返した。


「え……まって……。……腰…って、き…騎乗……位?」


どもりながらそう言うと、
悠眞は何でもないという風にこっくりと頷く。


(―…う…うそだ………)


瑞希には上に乗った経験はもちろん、乗られた経験もない。
その行為自体がどう行われるかは見知っていたが、
いざ自分がするとなると、どうすればいいのか皆目見当がつかなかった。


瑞希がどうしたものかと回らない頭を働かせて考えあぐねていると、
それに気がついた悠眞が瑞希の頬を撫でながら
やんわりと声をかけてきた。


「ん。とりあえず、ゆっくり腰をおろしてみて。
瑞希のペースで良いから。」


優しい口調で言っているけれど、
自分でベルトを引き抜き
前を緩めて用意をする悠眞の手つきが妙にいやらしい。


(―…今日…なんかものすごくエロくないか?…こいつ……)


その間にも欲しがるように微かに痙攣する自分の粘膜のことは棚に上げ、
悠眞の態度を訝しがった。


悠眞の手つきをじっと見つめていると
用意の終わった悠眞が顔を上げ、目が合う。


その瞬間、悠眞の頬が心持ち赤く染まった。


(―…へぇ…悠眞でも恥ずかしがることなんかあるんだな…)


そう思ったらふっと気が軽くなるような気がした。
意識はしてなかったけれど、
頭の片隅で自分の羞恥を冷静な悠眞に晒すことに
少なからず抵抗と不安があったせいだろう。


瑞希がしばらくの間押し黙って
悠眞の輪郭を舐めるように観察していると、
すらりと長い腕が伸びてきて瑞希の顎を軽く掴み
それに連なる手の親指がゆっくり瑞希の下唇を撫でた。

そしてその上を幾度か往復した後
くいっと奥まで進んで瑞希の下の歯に触れる。

特に動かすわけでもない悠眞の指は
無視するにはそれなりに大きい存在だった。

口を閉じたいが、そうすると指を噛むことになってしまうし
何より呼吸をすることで微妙に舌が動いて指を舐めてしまう。


『舐めてもいいのに…』
悠眞の目が意地悪そうに光ってそう言っている気がした。


元来素直な性格をしているが
こういう状況では変にあまのじゃくになる瑞希は
強がって意地でもそれに従おうとしない。

今日は酒が入っていないのもあって
そこまで理性が飛んでいないから特にだ。


その考えを汲み取ったのか、悠眞が目を細めて微かに笑う。

そして
瑞希を誘うように自分の下半身を丁度良い位置に動かし

下唇に指を引っかけたまま
逆の手で瑞希の頭を引きよせて耳朶をやわやわと噛む。



「…おいで……瑞希。……優しく抱いてあげる…」



耳元でそう囁かれ、思わず息を詰めた。

その酷く甘い声が鼓膜を犯すように感じられ、
鼓膜の振動が全身に浸み渡って
瑞希は全身をおののかせる。


髪を梳く手が『はやく』と言っているような気がした。


瑞希はごくりと大きく喉を鳴らし
意を決して悠眞の張りつめた欲望にそっと手を添えて、
その先端を欲しいところにあてがう。


「…………く…ぅ………っ……」


いつもと違って自分で押し進める分、加減がわからない。

滑りが良いので痛くは無い気もするけれど
入っていくそれはやはり瑞希の小さな器官には余るほどで
圧倒的な存在感に苦しげな声があがってしまう。


それが酷く悲痛な叫びに聴こえるものだから
いつもならば下唇を噛んで声を殺すのに、
今は悠眞の指がそれを邪魔しているのでだだ漏れだ。

おまけに若干の唾液が悠眞の指を伝っているのが気になって
腰を下ろすのに上手く集中できない。


悠眞の猛々しい熱塊を奥へ奥へと
誘いこめば誘いこむほど圧迫感は増していく。


(―…も、これ以上は……むり…………)


ある程度まで入ったところでそれ以上進めなくなってしまった。

ちらりと仰ぎ見てそう目で訴えると、
満足そうに目元を笑わせた悠眞が太もものあたりをするりと撫でる。


「…うん………じゃ、動くよ?」


言い終わらないうちに
垂直な突き上げが瑞希の内壁を抉った。

それほど強くは無いはずなのに
瑞希の喉からは自分のものとは思えない艶っぽい声が漏れる。


「突いてれば、柔らかくなるから。」


悠眞はそんなことを言いながら
瑞希の良いところの少し手前までしか突いてこない。


「……あぅ……う……………ん……ッ…」


最初のうちは
自分の体がまだダメだから、
奥まで入って来ないのだと瑞希は考えていたが

しばらくしてから
どうも随分と楽に抜き差し出来るようになったような感覚に気づき
歪んだ顔のまま悠眞に目をやった。


「…そろそろ欲しい?」


かぁっと頭の芯が熱くなる。

それと同時に
舌を触る程の位置にまで侵入してきた指を舌で転がし
内部にいる悠眞をぎゅっと締めつけてしまった。


掠れた声がして、
悠眞が小さく息を詰める。


途端、瑞希の中に不思議な感情が湧いてきた。

若干サディスティック的ともいえるそれは、
自分を突き上げる欲望を締め付けるたび増殖していく。


「ぅわ………。な………っ…。…何、仕返し?」


顔を歪めてそう呟く悠眞の顔が妙に色っぽく思えた。


「……締めると…いい…………?」

「いい…けど………やば、い……」


余裕のない表情が一層瑞希の心を煽る。

その歪む顔がもっと見たくなって、
さっきまで無意識に動いてしまっていた粘膜を
意識を集中させて自らの意思で操り始めた。


「ちょ…っと、瑞希…!」

「…なぁ…に?」

「やばいから、そんなしたら…」

「やばいって………っ…?」


負けじと送り込んでくる腰を感じながら
どうにかして悠眞の口から甘ったるい声が出ないものかと
あれこれ角度を変えて中を締め付けてみる。

瑞希は主導権が自分にあるような、いつもとは少し違った感覚に
一味違った気持ちよさを感じていた。


「ゆうま……どれ、いい……?…これ…っ…?」

「…………っ!」


吸い上げるようにした瞬間、悠眞が著しく反応した。


(―…これが…いいのかな…)


心持ち腹筋を持ち上げるようにして
内腿に力を込め、中を狭くしながら少しずつ抜いては戻し
戻しては引き抜く。

それを繰り返すうちに、悠眞の息が乱れ始めた。


「ぅあ…っ……瑞希………意地悪……ッ」


文句を言って奥歯を噛みしめながらも腰を振るその姿は、
あまりにも卑猥で艶めかしい。


瑞希は体の中で生まれる恐ろしいほどの快感の波に
幾度も達しそうになるが、
いつも余裕で瑞希を攻め立てていた悠眞の
見たこともないような表情を知りたいがゆえに
衝動をぐっと堪え、感じさせることに集中する。


―やばい、いくから…もう抜いてい?


そんな声が聞こえたので、
目を開けないまま口元で笑って首を横に振った。


「このまま……いってみて………」


瑞希が熱に浮かされたような声でそう呟くと、
悠眞がかぶりを振る気配がした。


そっと目を開けると、
そこには瑞希の中で翻弄されて
今にも限界が来そうな悠眞が映る。



(―…頭………溶けそう……)



「………き……ゆうま……」

「…え……ッ何……きこえな……っ…」

「すき。」


心から漏れ出すそのストレートな言葉に感じたのか
飲みこんでいる欲望が膨らんで、
悠眞が達しそうになるのがわかる。

しかしそれでも
悠眞は必死に衝動を抑えているようだった。


(―…いって、って言ってるのに……)


焦れが限界まで達した瑞希は
虚ろな目のまま悠眞を見つめ、
とどめとばかりに大きく腰をぐりっと回し
吸い上げるように引き抜く。

途端、喉の奥で唸るように「んん」という声を出した悠眞が
下半身を大きく震わせた。




(―……あっつい………)




奥が濡れるのを感じながら
果てた悠眞をじっくりと観察していると、
荒い息をしていた悠眞がしばらくしてから悔しそうに口を開く。


「…いかされるとは思わなかった。最後のアレ…反則だよ。」

「最後の…?」

「好きって言った後にあの腰の使い方…
回しながら腰上げると、スパイラルな感じになるでしょ。
あんなんやられたら…もう……。」


その言葉を聞いて、しばし優越感に浸っていた瑞希だったが
息を整えた悠眞に腰を掴まれてはっとした。


「え…なに…?」

「何って………続き。」

「えぇ!? だってもう、いったじゃん!」

「俺はまだ20代なので、一回や二回でバテません。」

「な……っおま…」


「優しく抱いてあげるって言ったの、まだやってないから。」


そう言いながら、
繋がったまま大きく腰を揺さぶった。

今出したばっかりだというのに
悠眞の昂ぶりは芯を持って、
瑞希の中でその存在を主張している。



「もっかい、ね?」



そっと顔を引き寄せて、蕩けるようなキスをした。


舌が絡み合い、下からは濡れた音がし始め、
瑞希はどんどん煽られて追い立てられて
わけがわからないほどぐちゃぐちゃになっていく。



ぐらりと体が後ろに倒れたかと思うと
仰向けになり、悠眞が上に覆いかぶさるようになった。



「…どっちのが好き……?さっきのと、これ。」


こういう場合の悠眞の質問は
大抵質問ではなくただの言葉攻めにしか感じられない。


その答えを聞かないまま
悠眞は瑞希の最奥を穿った。

先程指で感じたものよりも
何倍も大きい快感が瑞希を襲い、食いつくそうとする。


過剰な快感が恐ろしく思えて、
まるで溺れたようにひっきりなしに喘いで
悠眞の首にしがみついた。


(―…ああ……もぉ………へんになっちゃう………!)


思考など今すぐにでもどこかへ飛んで行ってしまいそうだ。
でもそうしたくない。
ずっとこのまま抱き合っていたい。


離さないで、と息絶え絶えに小さく呟いて
悠眞の背中に爪を立てる。


すると、
一層強く腰を打ちつけながら悠眞が答えた。


「離さない。……絶対に。…約束する。」


そう言ってまた、優しい口付けを落とす。

ゆったりとしたキスと
攻め立ててくる下半身が酷くアンバランスに思えたが

悠眞にじっと見つめられた一瞬に、
そんな思考はどこかへ霧散して行ってしまった。



(―…あ……い、いきそう………)


ぎゅっと目と唇を閉じてそう意思表示すると
悠眞の指がまた瑞希の口をこじ開ける。


「声、聴かせて。それで……いきそうなら、そう言って。
全部……瑞希を全部…俺のものにしたい……。」


「……んぅ…っ……!
い、いく………い…っちゃ………」


執拗なくらい一番感じる場所だけを突いてくるせいで
瑞希の意識が飛びそうになる。

しかしそれを何とか堪えて、
口から漏れ出る悩ましい嬌声に言葉を混ぜた。


「…ゆう…ま………。
お…れ……とっく…に……全部……お…っまえの……も…ん……」


言い終わってふと悠眞を仰ぎ見ると、
泣きそうな顔をした熱っぽい顔が
愛おしそうにこちらを見つめているのが目に入る。


律動は速さを極め
穿ってくる腰は最奥を的確に射止め
抱きしめてくる腕は苦しいほど強い。


(―…あ……もうだめ…いく、いく……!)



「瑞希…………大好き…」


「……ぁあっ……ア………あ……!」


高まった性感を手放せとばかりに
耳元でこれ以上ない言葉を囁かれて、
瑞希の欲望がついに爆ぜた。

続いて奥の方に熱いものが叩きつけられるのを感じてから、
ぐったりと四肢を弛緩する。


「……死ぬかと…思った……」


まだ荒い息のままそう呟くと、
悠眞が可笑しそうに吹き出した。


「俺も、今日は死ぬかと思った。」


「途中でちょっと苛めたからな。」


「うん、かなり良かったから次もやってくれると嬉しい。」


「な…っ!お前……そゆことさらっと言うなよ…」


「何で?してくれないの?」


「き…気が向いたら…。」


じゃあ次の時はそういう気にさせる、と楽しそうに言って
悠眞は瑞希をぎゅっと抱きしめた。


「『次』があるのって、こんなに嬉しいんだね…」


そう呟く悠眞の声は酷く無邪気で
けれども回された腕は苦しいくらいで…


ふれあう肌が
お互いの存在を証明している。


(―…やっぱり、ここが一番いい……)


悠眞の暖かい腕の中。


自分の居場所はそこにあるのだと
激しい胸の痛みと瑞希を掻き抱く大きな手が、
そう教えてくれていた。





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