Ep.05鈍色の肘笠雨



「おにいちゃん…」

コンコン、とドアを叩く妹の声がする。
気のせいだろうか。何だか声に怒りが混じっているような気がするのだが。

―バンッ!!

瑞希は勢い良く開いたドアの音に飛び上がった。
振りかえると、妹の希美が恨めしそうな顔でこちらを睨みつけている。

「希美?なに―」
「またあたしのゼリー食べたでしょ!?」

被さるように言ってきた。

「ゼリー?…食べたっけ。覚えてない。」

「『覚えてない』!?
KOBACHIの一個550円のゼリーの味を『覚えてない』って言うわけ!?」

「550円!? は!? 何それ高っ!」

「知らずに食べたの!?…ホンット信じらんない!」

言いながら、希美はドアを閉め、瑞希の隣に座る。

瑞希は只今絶賛テスト製作中だ。
ここ最近全然集中力が持たなかったため
「やる気が出た時に」と後回しにしてしまい、
気がつけば明日が提出日、という状態になってしまっていた。

おかげで昨日は徹夜した。
瑞希の眼球は今まさに太陽光で溶かされそうになっている。

希美のゼリーは、またしても夜中に
空腹に耐えきれずに食べてしまったのだろう。


「で。ちゃんと補充しておいてよね。」

希美が念を押してくる。

「わーったよ。どこで買えんの?それ。」

「え?知らない。」

「知らないってどーゆーことだよ。」

「だってアレ、友達がお土産で買ってきてくれたやつだから。」

まじかよ、と瑞希は眉間にしわを寄せる。
お土産だとしたら確実にこのあたりでは買えない。
しかしここで「じゃあ諦めろ」なんて言ったら、
このテスト製作が今日中に終わらなくなってしまうことは想像に難くない…。


(―あ。そっか。ネットショッピング。)


瑞希は唐突に自分の目の前の文明の利器に気がつく。
これなら自分の足を使わずとも簡単に購入できるはずだ。


瑞希は希美に質問をしながら例のゼリーを売っているサイトを探す。
すると案の定あっさりと購入することが出来た。

世の中便利になったよな、などと考えていると
希美の手がマウスを掴む。
ゼリー一個でそんなに送料を取られるのはもったいない、と言って
希美はその他にもバウムクーヘンやらプリンやらを買い物かごに入れていった。

「お前、人の金だと思って…」

「いっつもいっつも人のもんばっか食べる人に言われたかないね。」

つん、と顔をそむけた希美が言う。

やれやれとため息をついて注文を終わらせ、
缶に入ったブラックコーヒーの残りを一気飲みして
テスト作りを再開する。

一方希美は
用が済んだはずなのに、瑞希の隣から動こうとしない。


「希美、まだ何かあんのか?」

キーボードを叩きながらそう問いかけた。
すると希美は何かを言いだそうとするのだが、
一向に口がはっきりと開かない。

なんだよ、何もないのか?ともう一度念を押す。
すると希美の口から、予測しなかった言葉が飛び出した。


「あのさ、悠眞くんに会いたいんだけど」


キーボードを叩く瑞希の手が止まる。


「…え?……なんで?」

突然の発言に驚きを隠せないまま横を見ると、
俯いて恥ずかしそうに膝を抱える希美が目に入った。


「何でって…別に。…会って話がしたいだけ。」


見たこともないような希美の照れくさそうな表情に
胸がざわついた。


「会ってどーすんだよ。もう何年も会ってないんだろ。」

「会ってないから話したいんじゃん。」


そう言いながら希美は瑞希のケータイを手に取る。

「とりあえずメルアド教えてよ。連絡するから。」

瑞希は勝手に操作しようとする希美の手を引っ掴んで、ケータイをむしり取った。

「勝手に触るな。
っつーか教えるんなら本人に言わねーとマズイだろ。」

「じゃあそうメールして。」

間髪入れずにまっすぐこちらを見て言ってくる希美に不快感を覚える。
しかしこれは希美がうざったいだとかいう類のそれではない気がする。
そうでなかったら何に対するものなのか。
瑞希は自覚できない自らの感情に振り回されながら、希美に尋ねた。


「なにお前、もしかして悠眞が好きなの?」


言ってしまってから何を口走っているのだと自省する。
希美に限って、悠眞を好きだなんてあるはずがない。
最後に会ったのは希美が7歳の時だったのだから。

そう自己完結しようとした瞬間、
引きつった希美の口がおそるおそる開かれた。




「す、好きだけど?……悪い?」




頭を鈍器で殴られたかのような感覚と、心臓を握りつぶされるような感覚が
一気に瑞希を襲ってきた。
何をそんなに動揺しているのだ、と思うが
口がこわばり、思うように動いてくれず言葉が出て来ない。


「わ、悪い?」


沈黙に不安を覚えたのか、希美がぼそりと繰り返した。

瑞希は重たい口をなんとか開く。

「いや、悪いとは言わねーけど…。
あいつのどこがいいんだよ。」

口に出してしまってから、瑞希はまたしても自省する。
これではまるで悠眞に良いところが無いと言っているかのような言い方だ。
そうではない。悠眞にはむしろ良いところしかない。
どうしてこんなにも意にそぐわない言葉が出てきてしまうのだろう。


「どこって…。
悠眞くん優しいじゃん。カッコいいし。」

「会ってもねーのに何でわかんだよ。変わってるかもしんねーだろ。」

「わかるよ!この前会ったもん!本屋で!」

どうやら希美も悠眞のバイト先で偶然彼に出くわしたらしかった。
胸のざわめきが一層確かなものとなる。


「大体『優しい』とか『カッコいい』とか、
そんな奴その辺にいっぱいいるじゃねーか。」

瑞希が軽く鼻で笑ってあしらうと、
希美は「悠眞くんは特別なの!」と眉根を寄せて反論してきた。

瑞希よりかなり年下とはいえ、希美も一応もう高校1年だ。
そろそろ本気の恋をしてもおかしくはないとは思う。
でも、それが今なのだとしたら…


(―なんか…またイライラしてきた…。)


ここ何日か治まっていたというのに、
また胸の奥が疼き出す。

(―何なんだよ、もう!)

徹夜明けの妙なテンションも手伝って、
瑞希の頭の中はまた暴走を始める。
ぐちゃぐちゃに掻き回され、何も考えられなくなってしまう。

何が瑞希をそうさせるのか、何となく見当は付いているはずなのに
肝心の最深部の答えが見つからなくて困る。

いい加減このもやもやした感情から解放されたい―…



「…わかった。じゃあメルアド教えていいか聞けばいいんだろ。」


吐いて捨てたような乱暴な言い方でそう答えると、
希美は喜んで飛び上がった。

おそらくそう悠眞に伝えたら「いいよ」という返事が返ってくるだろう。
その可能性は非常に高い。
それがわかっているから希美はあんなにも喜んでいるのだ。


「用が済んだなら飯でも作ってくれよ。
オレ朝から何にも食ってねーんだ。」

瑞希は鼻歌でも歌いだしそうな希美を横目に
気だるそうに呟く。

希美は二つ返事でそれを引き受けると、
軽快にドアを閉めて階段を下りていった。




「何なんだよ…」


誰に文句を言うでもなく唸る。


(―っつーか何よりも希美のやつ、あいつに彼女がいたらどーすんだよ。
…ああ。それも今から聞くのか―…)

もし彼女がいると言ったら諦めるのだろうか。
それとも略奪愛に走るのだろうか。
希美の場合、どっちもあり得るような気がした。


(―その前にあいつが高校生と付き合うとかありえねーし…。
犯罪だっつーの。)


頭の奥がガンガンする。流石に寝不足だ。
でも、何があってもこのテストだけは仕上げてしまわなくてはならない。

瑞希は脇に置いた英語のテキストに目をやってから
ようやくキーボードを叩き始めた。


(―でも、例えば彼女がいるんなら何で教えてくれなかったんだ?
話すタイミングが無かったとか?)


タン、とEnterキーを弾く。


(―「悪酔い」…か…。

酔ったくらいでフツー男にキスなんかできるかねぇ。

「間違えた」とかだったとしても
男と女をどう間違えるって言うんだよ…)


ウィンドウ右上の×ボタンをクリックする。


(―でも例えば彼女とか好きな人とかが
オレに似てる奴だったとしたら……?)


瑞希は何の気なしにマウスをクリックする。

シュン、と残像を残すようにウィンドウが消えていった。


(―…オレに似てる奴って誰だよ…。)


瑞希はそこまで考えて、
パソコンの画面上に何のウィンドウも開いていない事に気がつく。


「え…?あれ?」


脳内で
うっすらと記憶に残った自分の行動を遡り始めた。



「………………。」



(―あ。……あああっ!!)






データとともに瑞希の意識も飛んだ。


―――――――――――



飛んだデータの分をやり直す羽目になり、
最終的に15時までかかってしまった。

バックアップを何回か取ってあったため
まっさらな状態でないのが唯一の救いだったが、
流石に途中で何度も心が折れそうになった。





「………き…くん…」


遠くから声が聞こえる。

なんて心地よい声色なのだろう。


「…瑞希くん…。寝てるの…?」


(―あれ?この声…)


聞き覚えのある声に薄目を開ける。
網膜に飛び込む光に目を瞬かせながらも声のする方を見ると、
スーツ姿の男が心配そうにこちらを見つめていた。


「あれぇ?圭吾さん?なんでここに?」


目をこすりながら間抜けな声で尋ねた。


仕事帰りなのか、随分とかっちりした格好をしている。
淡い水色に2トーンほど落とした青いラインが入ったボーダー柄のネクタイが
圭吾の爽やかで清潔感のあるシャツによく似合っていた。


「さっき希美ちゃんから連絡があって。
希美ちゃん、これから友達と食事に行くんだけど
どんなに起こしても瑞希くんが起きてくれないから様子を見に行ってくれ、
って僕に言ってきたんだ。」

瑞希はため息をつきながら体を起こす。
どうやら仕事が終わった途端にダウンしてしまったらしい。
机に突っ伏して眠ったせいか、腕と肩が痛い。


「別にオレを起こさずとも
メールでもしてくれりゃあそれで良いのに…」

そう言ってケータイを開く。

「ぅわっ!? なにこれっ!?」

着信15件、メール8件。
その全てが「熊谷希美」からだった。

「…本当に起きなかったんだねぇ。
そりゃあ心配になって連絡よこすよ。」

困った顔をした圭吾が呟く。

時計を見ると、時刻は夜の21時15分。
結構寝てしまったようだ。

希美は確かに気の使える良い妹だとは思うけれど、
時折やることがお節介というか、むしろ変だ。

(―っつーかそこまで心配だって言うなら
何故家に帰って来てオレの安否を確認しない!?

しかももうこんな時間だぞ!?
あの野郎、どこをほっつき歩いてやがる…)


昔から両親が家にほとんど居なかったため、
希美は瑞希と圭吾の二人が育てたも同然だ。

人並みに常識を身につけ、きちんとした人間に育つよう努力をしてきた。
しかし二人とも希美の笑顔にはめっぽう弱く、
希美にニコッと笑って「お願い」と小首をかしげられると許してしまう節がある。

おかげで最近はフリーダムさ加減が増してしまい
帰ってくるのが遅くなることが多い。


希美は遅い時間に出歩いているとき、きちんと連絡を入れてくる。
それこそ「友達の家についた」「友達の家を出る」、
「ファミレスについた」「ファミレスを出る」、
「今、恋バナをしています」「バナナパフェを頼みました」等々
あんまりにも細か過ぎてそこまで伝えなくて良いと注意してしまうほどだ。

だからこそ強く怒れなくて困る。
一応「夜は危ないから出来るだけ早く帰ってこい」とは言っているのだが、
今日は何時に返ってくるのだろうか…


「随分お疲れみたいだけど、仕事でもしてたの?」

スーツの上着を脱ぎ、ネクタイを緩めながら聞いてくる。
その手つきがどこか艶めかしい。

「あーうん。学校の夏休み明けのテスト。
テキストの英文写さねーといけねぇから苦労したよ。
オレさ、あの…ブラインドタッチ?とか言うやつ出来ねーからさ。」

そう言いながら
キッチンへ行って冷蔵庫を開ける。
昨日買ってきたはずのイチゴオレを探すが、見つからない。

(―あいつ…人の事言えねーじゃねーかよ!)

仕方なく冷やしていた麦茶を手に取る。


「圭吾さんは?会社帰り?」

グラスにそれを注ぎながらそう質問すると、
ワイシャツの腕を捲りながら圭吾が隣を通っていった。

「そうだよ。
連絡が入ったのがホテルに戻る前で本当によかった。」

そう言って圭吾は
スーパーのビニール袋から、ガサガサと音を立てて食材を取りだす。

「え、なに?晩御飯作ってくれんの?」

「そのつもりだけど…もしかしてもう準備しちゃってある?」

「いや!全然!よろしくお願いします!
圭吾さんの飯 ホントに旨いんだよな〜!」

「そう?じゃあ作るからちょっと待っててね。」

頬を緩ませた圭吾が
ネクタイを胸のポケットに入れながら諭すように言う。

瑞希は言われるがまま、居間に戻ってソファに横たわり
近くにあった雑誌を手に取った。


熊谷圭吾は、瑞希の母親の再婚相手である。
歳は母の4つ下で、瑞希よりは14コも上だ。

職業はサラリーマンで、
外資系企業の社員として働いていると聞いたことがある。
ちなみに大学は国立の中でもトップの学校の上位学部出身で
入学試験の成績が合格者の最高点だったとか何だとか。

しかし本人はそれを自慢しようとはしない。
聞けば何でも教えてくれるけれど、聞かなければ何も言わない。


瑞希はこの人を「基本的には良い人」として認識している。

問題がある時には助けに来てくれるし、
こうして様子を見に来ては料理を作ってくれる。
今日はたまたまこの付近に出張で来ているというメールが何日か前にあったから、
それで来てくれたのだろう。

何より実のところ、
瑞希が中学校2年生の時からうちの家庭を支えてくれたのはこの人なのだ。
見ず知らずの中学生だった瑞希を気にかけてくれ、
話し相手になってくれるだけでなく
学校に持って行く弁当を作ってくれたり、まだ小さかった希美の世話までしてくれた。

何故そこまでしてくれるのか、と問うと
笑顔で「瑞希くんだから。」としか言わない。

良い人なのだ。基本的には。



「瑞希くん、悪いんだけどお皿出してくれないかな?」

キッチンから圭吾の声がした。

瑞希は返事をするなり雑誌を置き、キッチンへと向かう。


醤油の香ばしい良い香りが瑞希の鼻孔をくすぐった。

「今日は何?和風パスタ?」

「うん、そう。醤油味。」

そう言いながらパスタを皿に盛る。
仕上げに刻み海苔をかけると、磯の香りが絡んで食欲をそそられた。

圭吾の料理は本当に美味しい。
人よりも濃い味を好む瑞希に合わせてちょうど良い味付けにしてくれる。

(―圭吾さんの守備範囲が洋食なら、
あいつは和食だよな…。)

瑞希は悠眞の手料理を思い出す。
この前作ってくれたのはカレーとベーコンエッグだったけれど、
実は悠眞の得意分野は和食だ。

(―今度作ってくれるように頼んでみるか…。)

そんな事を思った。


――――――――――――


「ごちそーさんです!いやー、ホント旨かった!」

瑞希は手を合わせて満足げに笑う。

「お粗末さま。そう言ってもらえると嬉しいよ。」

瑞希が空にした皿と自分の皿を重ねて
流しへと持って行きながら圭吾がほほ笑む。


前々から思っているのだが、
悠眞と圭吾はどこか似通ったところがあるような気がする。

料理が上手な所だけではなく
少し謙虚な姿勢や物言いの丁寧さ、
また表情さえもが似ていると思う時すらある。

ただ、笑顔に関しては少し違う。
圭吾が口角を少し上げて くしゃっと笑うのに対し、
悠眞はそっと口を閉じたまま微かに目を細めてふんわりと笑う。

圭吾に笑いかけられるとまるで自分が子供のころに戻ったような気分になるが、
悠眞に笑いかけられると体中がじんわりと温まるような感覚に陥る。

悠眞の笑い方の方が好きかもしれない。
そんなことを考えた。


「あー!圭吾さんっ!後片付けはオレがやるってば!」

皿を洗い始めた圭吾を目にし、瑞希は慌てて椅子から腰を上げる。


そういえばこれも似ているかもしれない。

悠眞ほどではないにせよ、圭吾も料理以外はあまり出来ない。

この前は
圭吾の洗った皿をもう一度水につけて擦ってみたら泡が立った。

それまでは「あんまり丁寧じゃないな」くらいにか思ってなかったのだが、
流石に口に入るものに洗剤が混ざってしまうのはマズいので
やると言ってきかない圭吾を説き伏せて瑞希がやることになったのだ。


「いや、大丈夫。しっかり洗うから。」

「信用なんねーって!
この前もそう言ってヌルヌルのまんま乾燥させたじゃんかよ!」

そう言って瑞希はスポンジを取り上げる。

「圭吾さんは皿拭いて!」

瑞希にキッと睨まれた圭吾は、
しぶしぶ布巾で白いオーバルの皿を拭き始めた。


「でも何か、皿を拭く役目の人って『脇役』っぽくない?」

圭吾が拗ねたような調子でそんなことを言う。


「別に良いじゃん。脇役でも。」

「いや、僕はメインキャラクターの方がいい。」

「あのな、圭吾さん。
世の中実は脇役の方が人気高い方が多いんだぜ?
ヒーローよりも悪役の方が人気だったりとか。」

「えっ、そうなの?」

「そうなの。
…はい。これも拭い…っ!」

圭吾に皿を渡そうとしたその時
手首のバランスを崩して、皿が手から離れた。
落下するそれを掴もうと焦って手を伸ばす。

「おっと。危ない。」

落ちるか落ちないかのギリギリで、
圭吾が皿を片手でキャッチした。

ほっと息をつく。

「ありがと圭吾さん。助かった。」

そう言って立ち上がろうとしたら、
皿を持っていない反対側の手で腕を掴まれた。

「何…」

がくん、という衝撃に驚いて圭吾の方を見ると
思ったよりも近い場所に顔があった。


背中に冷たい何かが走る。


咄嗟に逃げようと身を引いたが
それよりも強い力で腕を引っ張られて、圭吾の上に倒れこんだ。


「ちょっ―」

文句を言うよりも早く、
圭吾の唇が瑞希の言葉を封じ込む。

「やめっ―」

突き放そうと腕に力を入れたが、
いつのまにか背中に回された圭吾の腕の力にはかなわない。


唇を塞がれながら、やめてくれと圭吾の胸を叩く。
しかし瑞希の手首はすぐに両方とも大きな手に捕らえられ、
身動きが取れなくなった。



力強いキスが降ってくる。



―熊谷圭吾は良い人だ。それは認める。

しかしこういう状態になると全くもって人が変わってしまう。
人の意見を聞かなくなり、どんなに抵抗しても離してはくれない。

瑞希があえて「基本的には」と付ける理由はここにある。



捕らえた両手首をしっかりと掴んで離さないまま
圭吾は強引な口付けを繰り返す。

顔をそむけようとしたら、今度は顎を捕らえられた。

それでも屈服する気にはならずに
堅く口を閉じていると
膝で足の間をぐい、と押された。

「ぁ―…っ」

悲鳴じみた小さな喘ぎが瑞希の口から零れた。

開いた唇を圭吾が見逃すはずもなく、
一瞬で舌を絡め取られる。

「…ん………んぅ…………。」

終わりが来ない長いキスに、苦しくなってきた。
圭吾の舌が瑞希の口内を好き勝手にかき混ぜていく。


「瑞希…。」


唇を離した圭吾が瑞希の名前を呼んだ。

獣のような目でこちらを見つめてくる。


(―嫌だ……)


「…瑞希。」


(―名前を呼ぶな…!!)


頭の中で、
圭吾の荒々しく唇を貪ってくるようなキスと
この前の悠眞のとろけるようなキスが交差する。

似ても似つかない。

こんなのキスとは呼ばない。


「…嫌だってば!!」


体勢を変えようとした圭吾が力を抜いた瞬間に
力いっぱい どん、と突き飛ばす。

先程の激しいキスで呼吸が出来なかった瑞希は
はあはあと息を切らせていた。


「どうしたの、今日は。」


同じく息が上がった圭吾が睨めつけるような顔で尋ねる。


「最近すごく大人しくなってたのに。何?また反抗期?」


そう言いながらまた瑞希の両手首を掴んで押し倒す。

逃げ損ねた瑞希が止めてくれと懇願するが
その手首は頭の上にまとめられ、少しも動かせない。


「大丈夫だよ。すぐに気持ち良くなる。」


そう言うと圭吾は自分のネクタイを引き抜き、
瑞希の手首をそれで拘束した。


「ちょっ、何考えてんだよ!?」

「覚えてない?
君があんまりにも抵抗する日は、いつもこうしてたじゃないか。」

「おっ、覚えてねーよっ!」

「…そうだよねぇ。
だって君、最近は良い子だったからそんなことする必要なかったし。」

ふ、と不敵に笑いながら、
圭吾は瑞希のズボンに手をかけた。

「や、やめ…」
「なのに何でいきなり?」

拒む瑞希の言葉に圭吾の震える声が被った。


「ねぇ。何かあったんでしょ。」

「何かって…別になにも…っ――!!」

圭吾の手がゆっくりとズボンの中を弄ってきた。
その感触に背筋がぞわぞわと逆立つ。


「ぼくの居ない三週間に何があったの?言いなよ。」


微かに笑いを含んだようなその物言いに、
瑞希の口は完全に機能を失う。


何も言わない瑞希に痺れを切らした圭吾は、
ちっ、と小さく舌打ちすると
瑞希の顔に限界まで顔を近づけてその黒眼の奥を覗き込む。

「嘘は良くない。」

そう言って下肢の衣類を全て取り去った。


「いっ……たっ!」

圭吾は瑞希の鎖骨に歯を立てて、痛いくらいにそこを吸う。
そしてTシャツを捲り上げるなり嘗めるように体全体を見渡した。

「キスマークは無いみたいだね。」

確認が終わると、噛みつくようなキスをしてくる。
身を引こうにも引けない。


「ここは?」

そう言いながら瑞希の足の間に手をあてがう。

「ここは触らせたの?」

圭吾の凍てつくほど冷たい視線に瑞希は恐怖を感じた。
何をされるかわからない。そう考えて、瑞希は身震いをする。


「触らせたのか聞いてるんだけど。」
「……ッ!」

圭吾が手に当てていたものを思いきり握りしめたせいで
瑞希に強い衝撃が走った。

そしてそのまま指を滑らせていく。
瑞希の性器に指を絡めると、
その手をゆっくり、しかし力強く上下させた。

「……っ。…やめ…っ」

だんだん圭吾の指の動きが激しくなっていく。

「い…いやだぁ……っ!」

止めてくれと言えば言うほど圭吾の手の早さは増す。
瑞希の下腹部も本人の意思とは別に
圭吾の指に翻弄されてどんどん熱を上げていく。

気持ち悪さに吐き気がした。

しまいには獣のようなキスで口を塞がれ、
口腔を蹂躙され、
瑞希から自由をすべて奪い去ってしまう。


(―こんなの違う!)


悠眞の顔が頭から離れない。
微かに目を細めてふんわりと笑う悠眞の顔が。


「…何を考えてる…?」


苛立ったような声が聞こえたかと思うと、
瑞希の昂ぶりがその声の発せられた部分に飲み込まれた。
粘膜が絡みつく感覚に、背中をしならせる。

「やっ……ま、待って…!…っあ…!」

髪に指をさしこんで圭吾の頭を引き剥がそうとしたが、
体中の力が抜けていて全然抵抗できない。


圭吾の口元から濡れた音が聞こえる。
先端を吸い上げられるたびにビクンビクンと勝手に腰が跳ねる。
瑞希は頭では気持ち悪いと思っているのに、
どうしても反応してしまう自分の体が酷く浅ましいものに思えた。


「っ……け、けぃごさんっ……もぅ…やばっ……!」


瑞希が限界を訴えると、
圭吾の手と頭の動きは一層激しくなった。


「……はっ、ぁ…っ……んっ……ぁあっ―!」


瑞希の体が弓なりに仰け反る。
目の前がチカチカと明滅した。


絶頂の余韻に浸る時間も与えずに、
圭吾は足の間のさらに奥の部分を追及してくる。

「……っ!?…つ、冷た…っ!」

ひやりとした感覚に、顔を上げて様子を見る。
するとどこから見つけてきたのか、
圭吾の手には顔用の乳液が握られていた。

「痛いのは嫌でしょ?」

感情のこもらない笑いを漏らしたかと思うと、
それを手に取って、瑞希の足の間にたっぷりと塗りつけた。
そして何のためらいもなく瑞希の中へと指を滑らせる。

「ぅ…ぐ………っ…」

体の中で指が蠢く感覚に、泣きそうになった。
感じさせようとする訳ではなく
ただそこを押し広げたいが為だけに動くその手は、
さっき瑞希にパスタを作ってくれたあの手とは全くの別物だ。


ずるりと指が引き抜かれたかと思うと、
今度は足を圭吾の肩に乗せられて酷い格好になる。

その体勢に羞恥を感じている暇もなく
瑞希の中に熱いものが押し入れられていく。

「…い……ッ!」

苦しいほどの圧迫感に瑞希は息を詰めた。
圭吾の猛々しい欲望は、瑞希の内壁を擦ってどんどん奥へと侵入していく。


「……瑞希…」


圭吾が苦しそうな声で名前を呼びながら腰を送り込んできた。
何かもの言いたげな口元が、息を吐いては閉じられる。

「も……や…やめて…っ」

瑞希の頬に涙が伝って落ちていく。
圭吾はその顔を見つめながら眉をひそめた。



「…瑞希……ごめん…」



絶え間なく上がる瑞希の喘ぎに混じって、
胸に顔をうずめた圭吾が悲しそうにポツリと呟いた。

「な……ッ…」

(―何で…このタイミングで謝るんだ…?)


謝罪の意味を考える余地も与えぬまま、
圭吾は瑞希を激しく揺さぶって追いつめていく。


「ごめん…。…瑞希。好きだ。」


霧散していく意識の中、
遠くの方で涙声になった圭吾のそんな言葉が聞こえたような気がした。






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