Ep.01向日葵色の夕立





今日の天気は晴れ時々雨といったところだ。
瑞希は休日に家でゆっくりしている等ということが出来ないタチで、
たとえそれが雨の日だろうと風の日だろうと外出を好む。

この日も瑞希は目覚めるなり
今日はどこへ出かけようかと考えを巡らせた。

(―って言っても最近は目新しいものも無いしなー…)

ベッドからのそりと起き上がり、
台所まで行ってコーヒーをひとくち。

(―あ、やべぇ。すっげー腹減ってるわコレ。)

すきっ腹にコーヒーを注ぎ入れると、胃が悲鳴を上げた。
思えば昨晩はたまっていた仕事を片付けるのにいっぱいいっぱいだったせいで、
夜中の3時にゼリーを一つ食べたきりだ。

今は午後13時。
10時間もたてば腹も空く。

テーブルの上に放置されたままのゼリーの容器に何気なく目をやり
時計の秒針の音とコーヒーをすする音に耳を傾けていたその時、
ふとある事に気がついた。

あの時は疲労と空腹でとにかくなにか食べられる物は無いかと物色していて、
冷蔵庫を開けたらたまたまあったのでペロリと食べてしまったのだが、
よく考えたらあれは妹のではなかっただろうか。

妹の食べ物に対する恨みは怖い。
どう怖いのかという具体的なところは割愛するが、
とにかく妹のゼリーを食べてしまったという事実はかなりマズイ。
瑞希は背中に冷や汗が流れるのを感じた。


(―いや、でも待てよ?
あいつ昨日から友達ン家泊まるって言って家にいないし、
今日もどうせ遊んでから帰ってくるんだろうから
帰ってくるまでに補充しとけば大丈夫だよな?)


無事に見つかった解決策に安堵し、
一人で勝手にうんうんとうなずくと
残り僅かになったコーヒーを一気に流し込んだ。




出かける支度を済ませながら色々とあれこれ考えてはみたものの、
特に行くあても思いつかなかったので
瑞希はかなり遅めの朝食を取りにファミレスに行くことにした。

ついでにゼリーも買ってくればいい。


―――――――――――





外はすっかり夏だった。
少し前と日差しの素直さが違う。

「夏だなぁ…」

瑞希のそれは夏を待ちわびていたというよりも
まるで来て欲しくなかったといわんばかりの
気だるいつぶやきだった。


もともと瑞希は夏が苦手だ。
性格上一番よく似合うのは夏だとは言われるが、
色素の薄い瑞希の皮膚にはその日差しは強烈過ぎる。

インナー派ではないので夏の間中その肌を直射日光に晒し、
真っ赤になる肌にもがき苦しむというのが恒例行事のようなものだ。

去年あたりからは日焼け止めを塗るようになったおかげで大分マシになったが、
それでも太陽は塗り残した部分を指摘するかのように焼いてくる。


(―夏が来ると秋が来て…冬になる…)





瑞希は小さくため息をついた。


―――――――――――――






駅前のファミレスは昼過ぎということもあってか、待つ人が出るほど混んでいる。
一人で待つことがあまり好きでない瑞希はいつもならその列に絶対並ばないのだが、今日の空腹感は異常だ。
おそらくここで並んでおかないと、そのうち目眩を起こしてしまうだろう…
そんな気がした。

10分も待たないうちに、瑞希は窓側の禁煙席に案内された。
そしてお冷とおしぼりをテーブルに置く店員に、ランチセットをひとつ注文する。

料理が出来るまでの間することもなく、
ケータイも家に忘れてきてしまった瑞希は
右手で頬杖をつきながら、何気なく窓の方へと顔を向けた。

そこには25になる青年の顔が映っている。

幼い顔立ちをしている瑞希は、
大抵実年齢よりも4〜5歳年下に見られてしまう。
いわゆる「童顔」である。
お酒を売ってもらえない以外は、特にこの顔で不自由したことはないが、
本人としてはもっと大人な…
「可愛い」とかいう形容よりも「格好良い」などという表現をされるような顔の方が好みだ。

髪はほんのりとこげ茶色の天然パーマであるが、
本人的には黒髪ストレートに憧れる。

といっても、今更どうなるというものでもないし
「こうだったらいいのに」という理想はあるくせに
それに近づこうという努力はあまりしないので、何も変わりはしない。

服装に関しては
あまりに頓着ない自分を見かねた妹が
服を買いものに行くたびに率先してコーディネートしてくれるため、
前よりは見られるようになったのではないかと思う。


特に何を観察するわけでもなく
窓に映った自分の顔をぼうっと見つめていた瑞希が
その顔の奥にあるシンプルな看板に目を引かれるのに、
そう時間はかからなかった。

(―ん?あんな看板初めて見るな…。)

ごちゃごちゃとしたデザインの看板が多いせいか、
素朴な色合いをしたそれがむしろ目立って見える。

クリーム色の背景にモスグリーンで「BOOKS原田」、と書いてある。
この字体は明朝体といっただろうか…。
看板だけでなく店の名前までかなりシンプルだ。

(―「西口前徒歩2分」…。)

そういえば3日前に発売日だった雑誌をまだ買っていない。
仕事が忙し過ぎてすっかり忘れていた。

(―新しく出来た本屋か?
っつーか普通の本屋?それとも古本屋?
…ま、とりあえずどっちでも寄ってみるか。
古本屋だったら洋書見れば良いし。)

運ばれてきたランチセットのクロワッサンにバターを塗り、ひとくちかじると
口の中にふんわりとした甘さが広がった。

(―ひとりで飯食べんのって久しぶりかも…)

話し相手もなしに食事を口に運んでいると
なんだかすごく長い時間を食事に費やしている気分になる。

(―あれ?オレってもしや意外と寂しがり屋?)

そんなことを思って
ふっ、と鼻で笑った。

―――――――――――






どうやら「BOOKS原田」は古本屋ではなかったようだ。
瑞希が欲しかった科学雑誌の最新号がきっちりと棚に陳列されていた。

外から見た時はそうは見えなかったけれど、なかなか大きい本屋だ。
奥行きが広いのだろうか。空間の使い方が上手いのだろうか。
たくさんの本が所狭しと並んでいるというのに、どこかゆったりした雰囲気がある。

目的の本を手にした瑞希は、
それを小脇に挟みながら色々なジャンルの本を漁り始めた。
職業柄、色々な情報を仕入れるのは大切なことなのだ。

瑞希は中学校で英語を教えている。
そのため生徒達との会話のジャンルは幅広くなくてはならない。

「教師が生徒にそこまで歩み寄る必要はないのではないか」とよく言われるが
瑞希は生徒と話すことが好きであったし、
何よりも歩み寄らないことで嫌われてしまうのが嫌だった。
要するに結構臆病なのである。

―あ…。
これってあれだろ…。
この前佐々木から取り上げてちょっと気まずくなったやつ…。

あてもなく彷徨う瑞希が足を止めたのは、
「BOYS LOVE」の棚の前だった。

この位置はジャンル的に恥ずかしいと思いつつも、
佐々木を含めた何人かのグループがこの手のモノにはまっているのを知っていた瑞希は
興味本位で目に止まった本を手に取る。

(―中…見ちゃうか?)

瑞希の心臓が急に高鳴り出した。
きょろきょろと周りを見渡して本に目を落とす仕草は、
まるでこれから万引きでもするのかというくらい挙動不審だ。

思い切って本を開く。

(―うーわー。コレいいのかよ?)

こりゃ18禁対象だろ、
瑞希はボソリとつぶやいた。

パラパラとページをめくっていく。

何となく目が慣れたところで、我にかえった。

(―ちょっと待て!
オレがこのジャンルを知ったところでどうするよ!?
絶対セクハラで訴えられそうな話にしかならねーだろ!?)

そう思った瞬間、さっきまでの緊張感が嘘のようになくなった。

とにかく、本を置いて違うところを見よう…

そう考えた瑞希が手にした本を本棚に戻そうとしたその時、
その向こうから凄まじい音がした。


―ズザザザザザザザザ!!!!


驚きのあまり持っていた本を落としてしまった。
どうやら本が雪崩を崩した音のようだったが…?

瑞希は気になって
本を拾って戻し、その本棚の反対側へと回った。


(―ぅわぁ…悲ッ惨んん!!!)


大量のマンガが床一面を埋め尽くしている…。
ぱっと見で作者どころか出版社レベルまで混ざりあってバラバラになってしまっているのがわかる。

少し先に目をやると、事を起こしたであろう張本人が呆然として立っていた。

(―あちゃ〜。こりゃ一人じゃ大変だろ〜。)

周りから同情の目を向けられたその人は、
瑞希が屈んで本を拾い始めたのを見て我に返った。


「あ、す、すみません!」


筋張った長い手が伸びてくる。


「大丈夫です!私が拾います!」


その男は焦った声を出しながら瑞希の近くの本を素早く拾い始めた。

「いえいえ、手伝いますよ…」

そう言った瑞希が顔を上げると、



彼と、目が合った。



メガネのレンズ越しに見える目はすっきりと澄んでいて、
今にも吸い込まれてしまいそうだ。
切れ長な目がそれを一層爽やかなものにしている。

顔を上げた反動で揺れ動いた髪は、
頬を伝ってしゃらりとほどけた。
その色はただ「黒」と形容するのでは足りない。
まさにこれが「漆黒」という色だろう。

白い肌、筋の通った鼻、薄い唇…。




「み、瑞希!!??」



その唇が突然開かれた。

その声で、自分が相手の顔を見つめていたことに気づく。


「…え。」


自分の名前を呼ばれて驚いた瑞希は、
目をぱちぱちさせた。


「あ、…え?
……うそ……悠眞…?」

最後が少し裏返ってしまった。

口に出したその人物の記憶と、目の前の人を重ね合わせていく。
面影はあるが、自信が無い。
80%は声から判断した。

しかし目の前の男は瑞希の質問には答えずに、
何ともいえない表情でこっちを見つめてくる。

…この視線、雰囲気…
間違いない。悠眞だ。瑞希はそう確信した。


「と、とりあえず拾っちゃおうぜ?」

まじまじと顔を見つめられていた瑞希が言った。
その視線から逃げるように、屈んでは本を集める。

「あ、うん。」

悠眞もようやく本に手を伸ばし始めた。

本が大量に雪崩を起こしたのは事実だが、
無言でそれを拾っては台車に乗せるその時間は酷く長く感じられた。

手早く本をかき集める悠眞の手が視線の端に入るたびに、
記憶の中の悠眞が解離していくようだった。




前へ    次へ


ホームへ戻る
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -