ギルドの依頼でイスピンが出掛けてから数日が経つ。向かった先は、ドッペルゲンガーの森。場所が場所だけに、形容し難い不安が胸に募って重苦しい。柄じゃないが、心配だ。
 今にも飛び出して探しに行こうかと思って部屋のドアノブを回そうとした瞬間、外から誰かがドアノブを回して部屋になだれ込むように倒れてきた。
 こんなことをするのは、一人しかいない。

「おい! しっかりしろ!」
「……う、あ、マキシ、ミン……?」

 倒れ込んできたのは、案の定相棒のイスピンだった。しかし明らかに様子が可笑しい。顔色も青白く、呼吸も浅く速い。

「何があった?」
「……別に、なに、も」

 何かあったのは明白なはずなのに、イスピンは首を振りながら「何もない」と繰り返す。支えた身体から伝わってくる震えが確かに「何かあった」と伝えているのにも関わらず。

「何もないわけないだろ?」
「……だから、なに、も、……っう、ひっく……」

 「何もない」と続けようとしたのだろうか。けれどそれは言葉にすることは叶わず虚しく嗚咽となって喉から発せられた。こいつは滅多に泣かない。だからきっと、よっぽど何かあったのだろう、なんて、彼女の背中をぽんぽん、とあやすように叩きながらふと思う。
 不意に、イスピンの嗚咽に、或る言葉の並びが聞き取れた。ごめんなさい? 何故謝るんだ? 俺の聞き間違いか? けれど徐々に嗚咽が落ち着くにつれて、それが間違いではないことを確信していく。

「あー…落ち着いた、か?」

 そう訊ねると、俺の胸元で泣いていたイスピンがこくり、と頷いた。深呼吸をするように促すと、彼女は弱々しくけれど深く息を吸い込んで、吐いた。落ち着いたことを確認すると、俺もほっとして息を吐いた。

「で? 何があったんだ?」

 改めて訊ねると、未だに濡れている睫毛を下に向けたままイスピンは口を開いた。そして少しばかり躊躇いながら事の顛末を話し出した。

「……依頼で、ドッペルゲンガーの森へ行ったんだ。そしたら……君がいた」
「俺が?」

 唐突な展開に、思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。が、彼女は気にすることもなく小さく頷くだけだった。

「もちろん、それがドッペルゲンガーだって気づいた、し、分かってたんだ……でも、」

 ソレは君と同じように話しかけてきて、ボクの名前を呼んで。でもドッペルゲンガーなんだ。全く変わらないのに。ドッペルゲンガーなんだ。だけど、倒した……ううん、ころした、ときの手応えは、人間のと同じ、なんだ。それで、ボク……こわくて、こわくて、それからドッペルゲンガーと人間の区別が判らなくなって……君を、マキシミンをころしたんじゃないかって、こわくて。
 出来事の一部始終を語る彼女の声が、なんだか無機質な音のようにも聞こえて、変な気分だ。こわい、と告げるイスピンがこんなにも弱々しく自分の目に映ったことが、逆に空恐ろしい。このままこいつ、消えちゃうんじゃねーのか。なんて、頭の中のやけに冷静な部分で思う、けれど、な。

「それが俺なわけ、ないだろうが馬鹿」
「……っな、ボクは、」
「俺が簡単にお前にころされるわけないだろ? だから、いくら俺の姿をしてたって、お前にころされるような奴は俺じゃないってこと。……な?」
「う、ん」

 そう説明してやると、きょとんとした顔でイスピンは頷いた。いつもこれくらい素直なら……ってのは何でもないが!
 けれどしかし、一瞬だけお前にころされるならそれもいいかなんて思ってしまった俺は、気が触れているのだろうか。





温い傷
ぬるいきずあと舐めたらお湯で流してさよなら。





「うわ! お前泥だらけじゃねーか、汚っ! 風呂入れ!」
「しょうがないじゃないか! やっぱり君は最低だ!」

 素直じゃないふたり。




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10.09.05

最後はやっぱりいつも通り。
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