チリチリ。左手の痺れに耐えられずに、無理に力を込めると爪が皮膚に食い込んだ。手首から肘まで血が滴る。額の汗が止まらない。
失礼します、と聞こえるか聞こえないかの声で言う。(ここまでの足音で気付いているだろうから。)(腐っても忍者の卵だ。)返事はないが、医務室の戸を開けた。
「コーちゃん」
包帯巻きをしている伊作が顔を上げて、わたしの名を呼ぶ。嬉しそうでもあったし、驚いたようでもあった。
や、と右手を軽く上げた。へらへらと笑ってみせるのは癖だ。困ってるんだか笑ってるんだか、といつも揶揄される。顔を一瞥した伊作は、呆れた声で言う。
「また文次郎か留と喧嘩したんでしょ」
ご名答。喧嘩というか、喧嘩の仲裁というか。言い訳を考えながら、胡座をかいて腕を差し出す。わたしの腕の傷をじっと見た後、伊作はてきぱきと手際良く、患部を消毒し包帯を巻いた。
はい、できた。あと今週分の薬、飲んでね。
そう言って、袋を渡してくれた。この怪我の手当てはオマケみたいな物で、実は薬を貰うために医務室を訪れている。それを伊作は知っているのだ。ありがと、と受け取った薬の袋は、前回より幾分重くなっている気がした。
「無理しないで」
そう呟く伊作の眼球は膜が揺れていて、眉間には深く皺が寄っていた。ひどく申し訳なく思った。わたしは無意識にへらっと笑って、ああと答えた。
わたしは生まれつき身体が弱い訳じゃなかった。成長するにつれて、病弱になっていった。主に心臓。次に肺。
それらを補うためか、親はわたしを忍術学園に入れた。下級生のうちは良かった。しかし五年生に進級した今、病状は悪化し体内は最悪の状態だった。病巣が臓器を蝕んでいる自覚があった。
青葉が茂る季節、授業や実習を休むことが多くなった。紅葉に色づく季節、医務室に籠もりきりになった。著しい容態の変化は、許容量以上の激しい活動のためか。苦無を握ることさえままならなくなった。
伊作は病床のわたしに良くしてくれた。まともに動けないわたしに食事を食べさせ、湯で汚れを落とし、懇ろに世話をしてくれた。
この恩は何で返そうね。
ふと呟いた時、冗談やめてよ、と伊作は悲しそうに笑った。
学園に籍をおいている以上、何も遺す物が無い。臓器すら醜く爛れてどろりと崩れ落ちる。わたしにはきっと骨しか残らない。
雪が舞い散る頃、わたしの死期が手の届くところまで来ていた。チリチリ焼ける身体に海水が染みるよう、解った。不思議と穏やかだった。
ただ呼吸が辛かった。脈打つのが辛かった。胃に異物が入れば消化不良で吐いて、酸素を吸えば血を吐く。それだけ。胃も腸も心臓でさえも膿んで腫れて蕩けて、一刻も早く機能停止したいんだろうね。なんて。
出来る事ならば、楽にして欲しいな。
掠れる声でそう笑うと、伊作は大粒の涙をほろほろと零して泣いた。唇は歯で噛まれて朱く染まっていた。そしてわたしを抱き締めた。
コーちゃんコーちゃんコーちゃん。
伊作の涙が肩の布地に滲む。とても温かかった。噫、このまま伊作に看取られて死ぬのかな。悲痛な声を聴きながら、雪のように冷たくなって。
まったく悪くない。この安らかな気分は贅沢で幸福感は有り余るが、伊作の涙を見るのはちょっときつい。どうか、泣き止んで。なぁ、今まで有り難う。わたしの最期の願いをどうか聞いてくれないだろうか。
(ぐさり、貫いてくれ。)
貫くなら左胸にして
:晩節提出
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