第十章 20
ついに決着はつき、シャルマナは項垂れるようにして膝をつく。
やがて紫色の煙がシャルマナを包み始める。あれは何度か見たことがある。女神の果実を食べたことで得た力が、その者の敗北によって漏れだしているのだ。
「まさか人間ごときにわらわが敗れるなんて……。おのれ……せっかくの魔力が……」
うずくまるシャルマナのその巨体が、みるみるうちに小さく萎んでいく。その体は完全に紫色の煙包まれてしまった。女神の果実を食べた者達は、皆そうだった。あの怪しげな煙が、願いを歪ませた魔力の成の果てなのかもしれない。
霧散した後に残っていたのは、女神の果実と、小さな魔物――確か、テンツクと言ったはずだ。妖艶な占い師とは似ても似つかない。それがシャルマナという名前を持つ魔物だった。
「あれがシャルマナの正体だべ……」
「なんてこったい。オラ達は今まであんな魔物のことを信じていただか……」
途方に暮れかけた呟きがあちこちから聞こえた。集落の危機が過ぎ去り気が抜けたのもあるだろうが、何より今まで信用していたものが崩れ去ったことによる衝撃が大きいのだろう。族長のラボルチュもただ黙って事の成り行きを見守っているだけだった。
そんな中、ナムジンがシャルマナに歩み寄る。ポギーもその後を追った。シャルマナは震え上がったが立ち上がれないらしく、ナムジン達から離れるようにズルズルと後退した。
「ひ……ヒィーーーー! 頼む、許しておくれ! わらわは何の力もないんじゃ! 一人ぼっちで遊牧民どもに怯える自分が嫌だったんじゃ! だから草原で手に入れた果実を食べ、願ったのじゃ。わらわを強くしてくれと!」
シャルマナの傍らに転がる女神の果実は淡い光を放っている。あの果実に集落を破壊しかねない強大な力が眠っているなど誰が思うだろうか。しかし、それは実際に起こってしまった。許しを乞うシャルマナを、ナムジンは黙って見下ろしている。遊牧民やリタ達はその光景を遠巻きに見守っていた。
「絶大な力を手に入れ、自分を抑えられなかったんじゃ……。うぅ、見逃しておくれ……」
シャルマナは悄然と項垂れる。力を失った今、己が何をしでかしてしまったか自覚したのだろう。
辺りが静寂に包まれる。やがて、俯くシャルマナに、ナムジンは静かな声で話し始めた。
「お前のやろうとしたこと……それは決して許されない。だが、力を失ったお前を倒したところで……最早何の意味もない。どこへなり行くがいい。だが、一つだけ条件がある」
おそるおそる、シャルマナが顔を上げる。見上げたナムジンは、シャルマナではなくその傍らの魔物、ポギーの方を向いていた。
「ボクの大切な友達、このポギーとお前も今日から友達になってもらおう。もう一人で怯えなくて良い。これからはポギーが一緒だ。ポギー、それで良いかい?」
「グギギ!」
ナムジンに問われれば、ポギーは構わないとでも言いたげに元気よく跳び跳ねた。
その場に安堵の空気が流れた。その中で、リタもホッと息をつく。集落を襲い、草原を支配しようという企みはナムジンの言う通り、決して許されることはない。しかしシャルマナもまた、女神の果実に翻弄された犠牲者であったのだ。それを汲み取った上でのナムジンの裁量には頭が下がる思いであった。
ナムジンはポギーに微笑みを返すと、シャルマナに向き直った。
「ありがとうポギー! さぁシャルマナ、早く行け!」
「何と心の広い方じゃ。もう二度と悪さはせぬ。すまぬ……すまぬ……」
地に額を擦り付けんばかりにシャルマナは平謝りを繰り返した。その様子に十分反省していることが見てとれる。もしも何かの拍子で力を得ることになっても、再び同じ過ちを繰り返すことはないはずだ。ポギーはシャルマナを連れて集落を去って行った。その後ろ姿を皆で見送る。
いつの間にか、日が暮れようとしていた。夕焼けに二匹の魔物が見えなくなると、遊牧民達が歓声を上げた。
「ナムジン様が魔物を追い払っただ!」
「あんたらも良くやっただな!」
あんたら、とは旅人であるリタ達のことだ。いきなり肩をバシバシと叩かれて分かったことである。
波のように広がっていく賑やかさに、リタはその渦中で目を白黒させた。
「一時はどうなるかと思っただよ」
「今夜は宴だべ!」
歓喜に沸き立つ遊牧民達の輪から、よろけながらも何とか抜け出した先で、後ろからナムジンの声がした。
「リタさん」
名前を呼ばれて、振り返る。思った通りそこにはナムジンがいて――その手には黄金の果実があった。
「それは……」
それこそまさしくリタ達が求めていたもの、女神の果実だ。シャルマナの傍に転がっていたそれを、ナムジンは差し出す。
「あなた方が探しているのは、これですね?」
「……はい」
願いを叶える、不思議な力を持つ果実。リタがなぜそれを集めているのか、ナムジンは知らない。それでも何も聞かずにいてくれる。
「ありがとうございます」
リタは差し出された果実を、両手ですくうようにして慎重に受け取った。
「お礼を言うのはこちらの方です。あなた方は集落を救ってくれた恩人なのですから……ありがとうございます、リタさん」
そう言い残して、ナムジンは他のリタの仲間達のところへと向かう。ナムジンに話しかけられたレッセが、まだ慣れていないせいか構えながら対応している。
サンディがリタの肩口に寄りかかった。
「よくやったジャン、リタ! 草原にも平和が戻って一件落着ってカンジ?!」
戦闘になると決まって引っ込み、姿を見せなくなるサンディであるが、そのためかサンディが姿を見せると本当に終わったのだと実感させてくれる。
「うん……良かった、本当に」
集落は再び平穏を取り戻し、女神の果実を手に入れることが出来た。
お祭り騒ぎの賑やかさは、しばらく収まりそうもなかった。
(喧騒は夕闇に包まれて)20(終)
―――――
一段落です。
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