第九章 32
深夜、無音の校舎にひっそりとした足音が複数聞こえてきた。
「な……何とか最上階まで来れましたわね……」
カレンが後ろを気にしながら小さく呟く。見回りの教師が来たら、と思うとヒヤヒヤした。絶対に見つかってはならないのだ。
かなりスリリングな状況の中で、サンディだけがはしゃいでいた。
「こういうの、めっちゃドキドキするんですケド! アタシ達、本当に泥棒っぽくね?」
「うるさい、気が散る。騒ぐな」
回りに気を配っているからか、アルティナはいつも以上に簡潔な言葉でしか喋らない。虫を追い払うかのようにサンディをしっしっと手で払い、廊下の様子を探る。
「ちょっと何なの、その扱い。アタシは虫じゃないっつーの!」
「あの……サンディさんの声って、本当に他の人には聞こえないんですか?」
レッセは、サンディの声が聞こえる方に不安そうな顔を向けた。
「う、うん。そのはずなんだけど……」
リタは人間界に落ちてから今まで、ずっとサンディと旅してきたわけだが、サンディは天使や幽霊と同じで、人間には見えないし声も聞こえないはずだった。ただ、こんなにうるさくされると、他人に聞こえてないと分かっていても、静かにしていて欲しいと感じずにはいられない。
「もう、サンディ……アルの邪魔しちゃダメだって言ってるでしょ」
「だって何かしてないとアタシ、寒くて凍えそうなんだもーん」
「部屋で待ってれば良いじゃねーか……」
ぼやきつつ、アルティナは足を進める。
警備の目をかいくぐり、天使像はもう目と鼻の先である。
「……着いた」
「あ、本当だ」
アルティナの後ろから、リタは屋上への扉の小窓に天使像の一部を見た。周りを見渡したが、リタ達以外に人のいる気配はない。
「モザイオさん、まだみたいだね」
「えー、自分で約束したクセに?」
黒騎士の件でもそうだったが、サンディは何かと約束事にうるさい。曰く、「女子との約束ブッチするなんて有り得ないんですケド?!」とのことである。
「まぁ……ですが、まだ0時にはなっていないようですから」
リタ達が先に屋上に早く着きすぎたということもあり、モザイオはまだ来ていなかった。
待つこと数分、早くも業を煮やしたサンディはそわそわと屋上の扉の前を行き来していた。
「……ねぇコレ、先に天使像触っといて良くない?」
「えっと、良いのかな……?」
まだモザイオが来ていないのに天使像を触ってしまっては何だか悪い気がして、リタは躊躇した。
「一応、モザイオさんに納得してもらうための肝試しなんだけど……」
「自分の背後にいる幽霊に気付かないなら、ここで出たって気付かないだろ」
それを言ってしまうと、本来の目的が達成不可能ということになってしまうのだが。
アルティナは、ザックリと肝試しの意義を見失ってしまうことを言い、屋上への扉を開けた。校舎の中も寒かったが、外はもっと寒い。風が吹き込み、体感温度は一気に下がった。雪が降っていないことが唯一の救いである。
「幽霊、います?」
一番後ろにいるレッセが恐る恐る尋ねる。
幽霊の見える三人が、天使像の周りをくまなくチェックするが、特にコレといってあやしいものはなかった。幽霊や天使の気配もない。
「……何にもいないな」
「うん、いないね」
確認し合うも、やはり異常がないことが確かめられた。
何もない屋上で、四人はじっと天使の像を見つめていた。
「像のおでこを触ったら現れるのでしょうか……」
好奇心を隠しきれずにカレンが呟いた。そして、「そもそも、」と天使像を見つめながら首を傾げる。
「どうして天使像を触ったら幽霊が現れるんでしょう?」
「た、確かに……」
よくよく考えてみれば、なぜなのか。天使像の額を触ったから何だというのだろう。幽霊だろうが天使だろうが、像を触ることがそれらの現れる理由になるとは思えない。
リタは、もしウォルロ村の自分の像の額を触られたら、と想像してみたが、いまいちピンと来なかった。天使像の額に触ろうとした人が今までいなかったからかもしれない。それにもう一つ、天使像自体にも原因があった。
「天使像って、実はその守護天使とあんまり似てなかったりするんだよね……」
「そうでしたの?!」
初めて知ったその事実にカレンだけでなくレッセも驚きを隠せなかった。人間には天使を見ることが出来ないので仕方ない。
ちなみに、アルティナとサンディからは「あぁ、そういえば」と同意を得られた。元々霊的存在を見ることの出来る二人なので、当然といえば当然である。
基本的に、天使像の顔と守護天使の顔は一致しないのが事実である。最早、天使界では“守護天使あるある”になりつつあることだが、それでも像の名前だけは一致しているところが何とも不思議であるとも言われている。なぜ、守護天使が代替わりすると像の名前も変わるのか。当然のように受け入れていたが、天使さえも分からないことである。
「とにかく、触れば分かるっしょ。ほらリタ、ちょっと触ってみなさいよ」
「私?!」
サンディから当然のように名指しされ、リタは天使像と向き直る。
守護天使像には、『守護天使モリケンヌ像』と書かれていた。
(うっ、聞いたことのある名前……)
守護天使になるほどの天使となれば、有名になるのは当たり前で、イザヤールの弟子であったリタは本人とも面識があった。ウォルロ村の守護天使であったイザヤールは、他の守護天使とも話をすることがあり、リタはよくその場に出くわしていたのだった。
と言っても、モリケンヌとはほんの数回程度しか言葉を交わしたことはなく、どこか町の守護天使であるという程度の認識だった。まさかエルシオン学院の守護天使だったとは。
「ううぅ、モリケンヌ様失礼します〜……」
「知り合いか?」
「以前、何度かお菓子を頂きました……!」
「お菓子……」
直接会ったことはないものの、何となく守護天使モリケンヌの人柄を把握した面々であった。
リタは恐々と天使像の額にそっと触れた。それから、その場にじっと佇む。しかし、冷たい風が吹く以外に変化が訪れることはなかった。
「……何にもない、ね?」
チラリとリタは振り返るが、そこにはカレンやアルティナ、レッセ、サンディの四人がいるだけだ。幽霊も天使も現れない。
「アンタ、触り方が甘いんじゃないの? もっとこう、バシーンと……」
「さすがに叩いちゃダメだって!!」
サンディが半ば強引に叩こうとするのをリタは全力で止めた。額に触ったのは確かなのだから、その強さは関係ない、はずだ。
「モザイオさんが来ましたわ、リタ」
「え、」
リタの抑える力が緩んだ隙に、サンディは天使像の額にデコピンをした。「こらっ」とリタがサンディをたしなめるのと同時に屋上の扉が開き、モザイオが顔を出した。最初にリタを見て、それから屋上にいるメンバーを眺める。
「リタ、お前な……誰にも見つからないようにって言っただろうが!!」
「い、いえそのっ……誰にも見つかるなとは言われましたが、誰にも話すなとは言われてなかったので!」
話しました、と半ば屁理屈のような言い訳を展開したリタにモザイオはぐっと詰まった。この言い訳については、アルティナの入れ知恵であったりする。
「……ま、いいか。俺もダチ連れて来ちまったし」
「え、そうだったんですか。じゃあ、おあいこですね!」
やけにすんなりと許してくれたと思えば、人のことを言えないモザイオであった。モザイオの後ろには、いつもの取り巻きが控えていた。
それに対するリタの反応も、それで良いのだろうか……と思ってしまうものだったが、まぁ二人が良いならそれで良いのだろうと、と周囲の面子は生暖かい目をアッサリとした二人に向けるのだった。
(実は似た者同士?)32(終)
―――――
リーダーは多少おおらかな方が上手くいったりするんじゃないかと。
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