::みんなで海水浴:ビーチ編〜前編〜


 八月の海は光を流してとろりと青い。
 夏の陽光に包まれてギラギラと白っぽく光る空のもとで、彼女たちは鼻腔いっぱいに磯の香りを吸い込んだ。

 「海だーー!」

 と、最初に言ったのは誰だろうか。
 黒のバンドゥビキニを着こなし、白い項に汗の玉を浮かべるランだろうか。
 それとも、白と黄色の小花柄が清楚で、ベビードールを彷彿とさせるツーピースを着た綯子だろうか。
 どちらにせよ――……誰の発言なのか然程重要では無い。
 大事なのはうら若き乙女総勢八名が、杜王グランドホテルのプライベートビーチにいるという状況だ。自分たち以外誰もいない砂浜にテンションが右肩上がりになる者七名……いや、この際はっきりいわせて頂くとナマエ以外の参加者は皆、目を輝かせて眼前に広がる青と白のコントラストを眺めている。

 「ロケーションも上々、女子は可愛い……まさに楽園」

 ぽつり、と呟くのはノエルだ。花柄のホルターネックで女性らしさを演出しつつも、デニム生地のようなボーイレッグを合わせた水着が彼女の魅力を引き出している。
 そんな彼女の足元で、ナマエがいつものパーカーを羽織って蹲っている。……とことん諦めが悪い。ナマエは膝小僧に額をくっつけて「暑い……死んじゃう……」とべそを掻いていた。

 「これくらいで死ぬわけないじゃないですか」

 ナマエの泣き言にビーがつっけんどんに応えた。
 今日の彼女はフレンチグレイとピンクアーモンドのグラデーションが綺麗な、ホルターネックタイプのビキニを着ている。胸元に揺れる金の飾りが、日光を反射して眩しい。

 「折角来たんですから、楽しまないと」

 「あれ? 意外と乗り気?」

 ビーの言葉が珍しかったようで、ノエルが瞠目しながら小首を傾げた。それに彼女は「いえ、」と続けた。

 「ボスから“楽しんでこい”と言われたので。本来ならば日中のこの時間帯は仕事中ですが――……ボス直々に言われた以上、貴女方と時間を浪費するのも仕事です」

 「相変わらず堅いなぁ、君は!」

 「ボスに忠実、と言ってください」

 ノエルとビーが意味の無い応酬を繰り広げている一方、綯子はある場所を見て硬直していた。その背中が微かに震えている事に要が気付く。エメラルドグリーンを下地にしたペイズリーのパレオに手間取りながら、彼女は綯子の肩にそっと手を置いた。今日はメモ帳を持っていないのだ。
 しかし要が尋ねたいことはしっかりと綯子に伝わったようで、彼女は細い声で「あのね」と切り出した。

 「あれ、あの……」

 白く細長い指先が差す方向にいるのは、何でもない。――……碧とランだ。ビーの水着とデザインが似ているが、青と紫のグラデーションがかかったレース生地を模した様な水着を着ている碧を見て、要は「似合うなぁ」と漠然とした感想を抱く。だからこそ、綯子が何を示しているのか分からない。

 「あの二人、大きい……」

 主語が足りない。
 要は理解出来ず、「分からないよ」と言いたげに首を横に振った。
 それに業を煮やしたのか、綯子がスウッと息を吸って一際大きく口を開けた。

 「おっぱいが!!!! おっきい!!!!」

 この一時一瞬、場が静まり返った。
 さざ波の音も蝉の声も無く、ただ綯子の荒い呼吸音だけが、ビーチを満たしていた。

 「同じ星の元に生まれたのに何この格差!」

 その静寂を破るのまた、綯子だった。
 彼女はズンズンと砂浜を上手に歩いて、目を点にしたままの碧とランに向かって行く。風を切ってはためくシフォンを追いかけて、要も綯子について行く。

 「はぁ〜まったく理解出来無いまっこと遺憾よ、遺憾! どうやったらそんなに育つのか是非ご教授願いたいわ!」

 「怒ってるのか羨ましがってるのか分からないわよ……」

 まさにその通りである。碧の言葉を受けて、綯子は「両方!」ときっぱりと言い切った。

 「そんなに羨ましいなら揉んでみる?」

 にやっと悪戯っぽい笑みを浮かべたランが自身の乳房を横から押しつぶして谷間を強調させた。もしこれが漫画ならば間違いなく「ぼよん」という可愛らしいオノマトペが描写されるだろう。

 「うっ……!」

 些か刺激的な光景に、綯子は身じろいだ。先程までの威勢は水平線の彼方へ放られたのか、彼女は顔を赤くして唇を噛んだ。

 「ほーれほれほれ」

 ぽよん、ぽよぽよ。

 綯子をおちょくるように(実際おちょくっている)、ランは自分の豊満な胸を見せつける。それに当てられたのか、要も赤面して両手で顔を覆った。

 「……ラン、」

 見かねた碧が彼女を止めた。「見苦しいわよ」という碧の頬もまた、朱に染まっている。林檎のように真っ赤な三人を見て、ランは思わず吹き出した。

 「ぷっ、くくっ……! ごめんごめん、ちみっこにはまだ早かったかなー?」

 子供に諭すような口調でランが綯子と、未だ顔を覆っている要の頭をわしわしと撫でた。撫でるたびに、要の特徴的な旋毛の髪がゆらゆらと揺れる。

 「あんまりからかっちゃダメよ……」

 呆れた碧の言葉にランが「はいはい」と軽い調子で返すと、「あのー、」と控えめながらも、役者の台詞のようによく通る声が間に入った。
 その声の持ち主は、タッツィーナである。光った絹糸のような黒髪はハーフアップにされていて、黒と白のボーダーのレモンブラとよく似合っている。シンプルなデザインのビキニが彼女の陶器のように白く滑らかな肌を引き立てていて、オリエンタルな美しさを際立たせていた。

 「ん? 何か用、タッセ」

 親しげにランがタッツィーナに返事をする。

 「あっちの方で、西瓜割りしようって話になってるのよ」

 言いながら、タッツィーナが目線だけを背後に向けた。その視線の先にはノエルとビー、ナマエがいる。彼女の視線を追っていたランたちは「あぁ、」と心中で察する。恐らくベソを掻き続けるナマエを気遣ってノエルが提案したのだろう。その証拠に、訪れてから蹲ったままだったナマエが、今やそわそわと落ち着かなさげに立っている。「食いしん坊ここに極まれり……」と綯子が呟き、一同は無言で頷いた。

 「しょーがないなぁ、あの駄々っ子は……」

 苦笑しながら独り言ちたランは、ポーチから西瓜を取り出した。何時如何なる場面でもポーチを手放さない彼女には最早タッツィーナを筆頭に誰もツッコみを入れなくなったが、「ほい、」と当然のようにランから西瓜を手渡されたタッツィーナは思わず声を上げた。

 「つっっ……めた!」

 夏の陽射しに照らされ続けているタッツィーナからすれば有難いものだったが、何故西瓜がキンキンに冷えているのか。緑と黒の縞模様が直に肌に触れて鳥肌が立つが、突っ込むべきはその点である。
 そんな彼女の反応にランは快活に笑った。

 「夏だからねぇ、温度調整はバッチリなんだよ。ま、詳しくは企業秘密ってことで勘弁な!」

 「……」

 タッツィーナは物言いたげな顔で唇を尖らせてじっとランを見ていたが、すぐにフッと小さく息を吐いて彼女の顔から目を逸した。そして諦めたかのように「もういいわ」と追及を辞めた。

 「皆が待ってるもの。行きましょ」

 彼女の一言に、一行はノエルやビー、ナマエの元へと足を運び始めた。





▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲





 「いーち、にー」

 綯子とナマエ、碧の声で鼓膜が震えた。ビーはアイマスクの下で自分が今、どの方向を向いているのかイメージする。ノエルとランの声が近くで聞こえた。彼女らの手が、肩に触れては離れていく。二人にぐるぐると回転させられる度に集中力が切れそうになるが、ビーは両手に握る棒と踏みしめる砂の感触で神経を研ぎ澄ませていた。

 「きゅー、じゅう!」

 可愛らしい声と共に回転が止まり、両サイドにいたノエルとランが離れていくのを感じた。足元が覚束無い。三半規管はまだ回転しているつもりのようで気持ち悪い。しかしそこで無様に崩れ落ちることは許されない。ビーのプライドが許さない。
 彼女は静かに息を吸い、ゆっくりと吐いてから一歩、踏み出した。


 「そこー! まっすぐ! まっすぐ!」

 「行け行け! 熊ちゃん頑張れー!」

 「ビーさん、気を付けて!」

 様々な歓声が飛び交う中で、ビーは着実に歩を進めていく。
 一発で獲物を仕留める――……それが彼女の流儀。失敗は即ち死を意味する。夏の暑さがビーの肌を焼く中、彼女自身は至って冷静だった。
 スタート地点から二メートル。測った訳ではないが、ビーの経験則がそう告げている。彼女は暗闇の向こうに広がる世界を思い描いて、力いっぱいに棒を振りかぶった!


 ゴシャッ!


 硬い皮が割れた音。
 汁気が含まれた音。
 確かな、手応え。

 「フー……」

 詰めていた息を吐いて、ビーはアイマスクを取った。差し込む光に顔を顰めた彼女は、ブルーシートの上で西瓜がパックリと割れているのを確認して薄く笑んだ。

 「す、ごい……!」

 彼女の技に、タッツィーナが感嘆の声を上げる。上品に手を叩きながら、興奮でキラキラと輝く瞳をビーに向けた。

 「素晴らしいです! 鮮やかな剣筋と躊躇いの無い歩み……! 素敵です!」

 「あ、あぁ……どうも……」

 真正面から剣技を褒められたビーは、らしくもなく照れた。口をもごもごと動かし、タッツィーナの賞賛に居心地悪くして目を泳がせる。そんなビーの様子に構わず、タッツィーナは「すごい」と繰り返している。

 「ちょーいちょいちょい。お二人さーん」

 そんな二人の間にノエルが入った。ビーからすれば天の助けでもあった。一方のタッツィーナは興奮状態から我に返り、少し気恥ずかしそうにしてから「なんでしょう?」とノエルの方に顔を向けた。

 「西瓜ね……うん、ベアトリス嬢の技には目を見張ったんだがね……」

 珍しくはっきりしない。
 ノエルは「あー」と言い澱む。言葉を選びながら話しているのが手に取るように分かる。

 「学生陣が……特に要が……」

 言いながら、ノエルはくいっと親指で自らの肩越しを示した。「見て察してくれ」と、そう言いたいのだろう。彼女の所作に疑問符を浮かべたタッツィーナとビーは、素直にノエルが示す方向に目を向けた。

 「か、要ちゃ……!」

 「西瓜? 西瓜割りたかったの?」

 「……」

 視線の先には、分かりやすく肩を落とした要がいた。重たい空気を纏う彼女を、戸惑いながらナマエと綯子が囲む。二人の呼びかけに要は何も言えず(実際何も言えないのだが、もし彼女の声が戻ったとしても会話を放棄していただろう)、ただ無言で力無く、ふるふると首を横に振った。
 彼女は否定の意志を表しているが、それが嘘であることは皆分かっている。こちらが気の毒になってくるくらいにしょぼたれる要を見かねたランが、「やっぱりね」と呟いた。

 「こーなるだろーと思ってたわ〜」

 言いながら、ランがポーチから西瓜を取り出した。既視感を覚える光景である。

 「第二ラウンド、いけるよ要ぇ」

 「……!」

 ランが要に西瓜を見せた。途端、一気に要の表情が明るくなる。喜びを抑えきれずに微笑む彼女に、皆が萌え殺されたのは言うまでもない。

 「トップバッターは要に決まりね」

 「さんせー!」

 碧の提案に綯子が挙手で乗っかった。すると彼女を筆頭にナマエも「私も!」と挙手をした。
 学生陣の微笑ましさに癒されたビーと成人組は、西瓜割りの第二ラウンドに向けて準備を進めるのであった。





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次でラストです┗( ˘ω˘ )┓三