春と太陽


その年の春は例年より暖かく、風も穏やかで過ごしやすい気候だった。
春の訪れを示すようにシキジカ達は“はるのすがた”になり、チェリムもまたポジフォルムへと姿を変えるのだろう。バハギアのヒトとポケモンは、春の暖かな日々を享受していた。
そんな季節だった。彼と出逢ったのは。

昼休みに入った途端、ガラリと教室のドアが開く。何気なくそちらを見ると、ズカズカとこちらに向かって一直線に歩いてくる人物がいた。
「あ!いた!!」
そう、大きな声で話しかけてきたのは赤い癖っ毛の少年だった。キラキラと輝く瞳にじぃ っと見つめられる。
眩しい、と思った。
「良かった!さっきのバトル見てたんだ!!」
彼はニコニコしながら言う。私の手を取り、ぶんぶんと握手をしてきた。
呆気に取られる私をよそに、彼は前の席に腰をかける。
「コットンだ!カロスから引っ越してきたんだ」
「え、あ....あぁ」
「名前は?なんて呼べばいい?」
なんだ、なんなんだ。初対面。なのに。
「トビシマ、です」
ぐいぐいと迫ってくる彼に、やっとの思いで返事をする。
「トビシマか!よろしくな!!」
彼の大きな声が響いて、ずきりと頭が痛む。が、顔には出さず愛想笑いを浮かべる。
キラキラと笑っている顔が眩しい。
自分の人生には不釣り合いの眩しさだった。
「この学校はバトルの授業が盛んでいいねぇ。ポチエナも嬉しいだろう!」
膝の上で丸まって寝ていたポチエナが、机の下からひょこりと顔を出した。
眠気まなこでくぁっとあくびをする。
「あぁ、寝てたのか!すまんすまん」
そう言いながらコットンがポチエナの頭を正面から撫でようとしー...
「いたっ」
ポチエナはかみつきポケモンだ。
反射的にコットンの手を噛んでいた。
傷は浅かったらしい。が、血が出ている。
「だ、大丈夫ですか。ハンカチ、ハンカチ....あぁ、もう、ダメでしょう。すいません、本当に.......」
「いや、いや、そんなに痛くないから大丈夫だ!ごめんなぁポチエナ。びっくりしたんだよな?」
ー何か悪いことをしてしまった。そう感じ取ったポチエナが膝を降り、床にお座りしてくぅ...と萎縮する。それを横目に、彼の手にハンカチを巻きつける。その行為に集中する。
こういう時、どういう顔をしたらいいかわからない。
ポチエナを叱る、彼を心配する、失敗をした自分に罪悪感を抱く....その三つの感情を同時に表現する...というのが、自分には難しく、どうにもぎこちない表情になった。
「大丈夫、ですか?すいません...本当に」
いつものポチエナであれば急にかみつくことはない。父が...遺伝子的に優秀なポケモンを扱う店で選んできたのだ。落ち着いた性格、命令をよく聞く、そう...いかにも父親が好みそうな、個体。
だから多分、本当に、ポチエナはびっくりして反射的に噛んだだけなのだ。しかし彼にそれを説明するのはどうにも言い訳くさく思えて...それに、いきなりそんな話されても困るだろうと思って、言葉を飲み込んだ。
「全然気にするな!な!」
彼は手のひらをこちらに向けて振り、平気平気と明るく流してくれる。
「あ、でも保健室の場所がわからないな」
「案内します」
償い...にもならないが、せめて保健室まで連れて行こうと席を立つ。ドアの近くまで歩いたところで、コットンが遅れて隣に来た。
「ポチエナー大丈夫だぞ!痛くないから気にするな!」
彼はいつのまにかポチエナを抱っこしていた。えぇ、さっき噛まれたのに?
「いや、あんまり申し訳なさそうにしてるから...着いてきそうにもなかったし...つい。で、でも今度は大人しかったぞ!だから大丈夫かなって...」
見たところポチエナは大人しく彼の腕に抱かれていた。かなり反省しているらしい。耳をぺたりと畳んで、丸くなっている。
しょぼ...とした顔が可愛いと、つい思ってしまう。
「それなら...いえ、君を責めるつもりはないんです。その...また噛んだらと、思ってしまって」
その言葉を聞いて更にしょぼ...とするポチエナに心が痛む。違う、そんな顔をさせたいわけじゃない。でもここでポチエナを甘やかすのは、彼に失礼な気もして...どう振る舞っていいのかわからなくなった。
冷静に取り繕っていても、頭はパニックだった。苦手、なのだ。とりわけ同級生と話すのは。自分より歳下なら甘やかすことができるし、歳上ならへりくだれる。でも、同級生は対等だ。付き合い方に決まりがない。だからどうしたら良いかわからなくなる。
「2人してしょぼしょぼして...いや、1人と1匹か。似た物同士だなぁ」
彼は何も気にしてないようにあははと笑う。
「よしよし!こいつかわいいなぁ」
ポチエナは“怒ってない...?”と不安そうな顔をしていたが、コットンが撫でると嬉しそうに顔を綻ばせ、すりすりと甘えていた。
「そうそう、さっきの試合見てたんだけど、勝った後ポチエナをすごい撫でてただろ?なんかそれ見て良いやつそうだなーって思って、声かけたんだよ」
「そ、そんなところを見てたんですか?」
「うん。なんか...ちゃんとポケモンを可愛がってあげるトレーナーが好きだからさ」
顔が熱くなるのを感じる。
父親の無関心さ、”社長の息子“という肩書きから流石だねと褒められる事が多かったので、あまり触れられない部分を褒められるとこそばゆい。
どう返していいか、階段を降りる間たっぷり考えてしまった。
「...君も、ポケモンが好きなんですか?」
「そりゃあ!なぁ、放課後遊ばないか?私のポケモンも紹介したい!」
放課後、遊ぶ.....。
それは随分魅力的な誘いだった。
ポケモンの話、バトルの話、彼の話...さぞ話題は尽きぬ事だろう。でも...。
「...すいません。勉強が、あるので...」
「勉強!偉いなぁ。じゃあ明日はどうだ?」
「明日も、明後日も...ずっと、あります。学校が終わったら、すぐ。家に家庭教師が来るんです」
「夜遅くまで?」
「夜遅くまで」
自分で言っていてどんどん気が滅入ってきた。夕食の時間まで家庭教師による指導、夕食後は復習と次の日提出する課題。これは学校にではなく、家庭教師に提出するものだ。父親も目を通しているらしく、サボったり手を抜いたりする事は許されない。一度忘れたふりをして...帰りたくなくて、学校で遊んでいた事があった...その日は夕食が抜きになったし、課題も増やされたのだ。
「そうか...じゃあ一緒に帰るか!あ...でも家どっちだ?」
「シンガンの方です」
「良かったー!私もそっちだ!よし!」
ニコニコと笑う彼につられて笑みが溢れる。彼は太陽みたいだ。ポチエナもすぐ懐いて嬉しそうにしている。良かった。初めて話したけど、良い人だと思った。
「あぁ、保健室はここです」
「ありがとな!」
「いえ、いえ、そんな。こちらこそですよ」
彼からポチエナを渡され、抱きかかえる。ポチエナはすっかり彼に懐いたようで、少し寂しそうにしていた。
「じゃあまた放課後な!迎えに行くから待っててくれ!」
「ふふ...わかりました。待ってます」
彼は手を振ると保健室へ入って行った。
「良かったですね、ポチエナ。良い人でしたね」
腕に抱えたかわいい生き物を撫でる。
久しぶりだった。こんな風に同級生と仲良くできたのは。嬉しい。
厳しい父親、父の顔色を伺う母。勉強する事、寝る事、ご飯を食べる事しか許されない家。上手く馴染めない学校。
そんな日々に耐えているんだから、これくらいは遊んでもいいだろう。学校から家に帰るまでの間、くらいは。
そろそろ昼休みも終わる頃だ。
教室に戻る足取りは、軽かった。




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