可笑しな国

 扉を開け、まず飛び込んできたのは緑の匂い春のように青々しい匂い。私はあまり好きではないわ。
 さっきまで暗い所にいたせいで、光に目が眩む。ゆっくりと、目を開けるとそこは何処かの庭。綺麗に整備された美しい花たちは見る者を魅力するんじゃないかしら。
 目の前の庭を観察するようにゆっくりと見渡す。そこで一つの違和感に気がつく。
 ・・・あれ?扉が違う?
 水色と白の扉だったはずなのに今私がドアノブを持っている扉は白く、向こう側が見えるデザインのもの。まさかと思って後ろを振り向けば、闇はなく森。闇と見間違えるほど、薄暗い森だが森は森。鬱蒼と生い茂る木々は来るものを拒んでいる。一体、どういう事?

「お客様ですか。・・・アリス、初めまして。」

 背後から声がして振り返ると、日本人離れしたスタイルを持つ男性が立っていた。スタイルもだけど、明るい髪色から日本人には見えないわ。白い肌、黄色人種の白とはまた違った肌の色。その肌の所々に土をつけている。髪にもついている。
 庭仕事でもしたのかしら。だとしても髪にまでつけるなんて、ねぇ。
 目を合わさないように彼を観察する。目を合わさないようにするのは何時もの癖。現段階で外見から得られる情報がなくなってから私は漸く口を開く。その間、男性は何も言葉を発しずこちらを見ていた。

「ここは貴方の敷地ですか?」
「えぇ、そうです。こんな所にわざわざいらっしゃる方がいるなんて珍しいですね。」
「えっと、好きで来たというわけじゃなくって・・・」
「迷ったのですね?」

 迷った、それも語弊がある気がする。今の私の状況を一言で言い表す事は出来ない。迷子、というのは肯定できるし否定もできる。なんて返そうか迷うわ。

「アリス?どうかしたのですか、アリス。」

 私に向けて言ったかのような台詞で引き戻される。
 何時の間にか目の前まで来ていた男性は、私に向かって違う人の名前を呼んでいた。“アリス”という名前が私の名前だと 彼は思い込んでいる。そう認識している。そんな感じ。私の名前はアリスではないのに。

「あの、失礼ですが、私の名前はアリスではないです。人違いだと思います。」

 目の前の男性の弧を描いていた口元が下がる。薄く細められていた目も大きく見開かれ、表情が抜け落ちた顔は狂気を孕んでいた。彼の豹変っぷりに身体が固まる。足が動かない。・・・怖い!
 目の前にいる人物は先ほどまでの彼なのだろうか。先ほどまでの人物はいなくなり、別の人物が私の前に立っているんじゃないか。それ程までに彼の豹変ぶりは常軌を逸していた。
 口は開くのに喉から漏れるのは空気。ようやく脚が動いた。砂を擦る、濁った音。
 その音が鳴った途端、彼は笑顔に戻った。

「穴から来た少女は“アリス”ですよ。」

 穏やかなトーンだけれども、決めつけるかのように言う。さっきの変わりようといい、一体なんなのよこいつは。
 私が睨みつけていると、彼はニコリとした音が似合う笑顔のまま首を傾げた。

「仰る意味がわからないのですが・・・。」
「そうですか?とても単純な事だと思いますよ。」

 本当になんなのよこいつ。さっきの変わりようといい、私の言葉を全く聞かないところとか・・・。コミュニケーション能力が抜け落ちてるんじゃないの?・・・考えるのを放棄したくなってきたわ。
 絡まない会話に頭を悩ませていると、突然声がする。目の前の男性とは違う声。低くもなく、高くもなく、男性女性どちらでもいけそうな声。

「エディ?」

 庭の奥からやってきた、小さな身体に見合わない大きめの首輪をした黒猫。成人した猫よりも少し小さく見える。その猫が声を発していた。信じられない。鳴き声じゃない。ちゃんと人の言葉を話している。何か機械を首輪にしているんじゃないかしら。猫が話すなんてそんな、童話じみた事起こる訳・・・そういえば、ここは不思議の国だったわね。
 頭を悩ませる内容がもう一つ増えてしまった。

「エディ、こいつって。」
「新しいアリスですよ。」
「ふーん。」
「あ、そうです。折角ですし、アリスを女王にお見せしないといけませんね。」

 その喋る猫と男性は私を差し置いて話を進めていく。男性は猫が喋る事になにも疑問を感じていないようだった。この世界ではこれが普通なのかしら。
 一人と一匹の会話に出てきた“女王”という単語。その単語だけで随分と物語らしくなってるわね。首を狩られたくないから私は行く気なんて微塵もないけれど。
 一人と一匹を残し、後ろの森に逃げようと片足を後ろに下げた瞬間、掴まれる腕。ギリッ、そんな擬音語がつきそうなほど強く掴まれ思わず顔が歪む。掴まれた腕から上へと視線をあげると水色の目と視線が交わった。

「アブナイよ。」

  綺麗な綺麗な空色が猫と重なる。 突如この場に現れた青年は首にはあの猫が付けていた首輪をしていた。
 状況が掴めず、マジマジと青年の顔を見てしまう。見惚れる、ではなく観察するような感じで。見られていた彼は私を掴んでいる手とは別の手で前髪を弄り、目を隠す。
 そうして漸く腕を離すとそのまま私の奥、後ろを指差す。意図が掴めない。目を隠した意味も、後ろを指差す意味も私には察せないわ。けれど、今は後ろを向けば答えがわかるはず。中々後ろを確認しない私に痺れを切らしたのか、青年はもう一度言う。

「アブナイ」

 後ろを向くと暗闇の中に光る目を見つけた。計四つ。という事は生き物が二匹いるという訳か。それが危ないだなんて、どういう事かしら。暗さで生き物の全貌は見えないし、青年から何か説明される訳でもない。ただ、危ない生き物だという事しか教えてくれなかった。やっぱり意味がわからない。

「アリス。森でライオンを放し飼いしてるんです。ミネットは貴女が襲われないか心配だったんでしょう。」

 さらりと言われる重大な情報。森へと逃げなくってよかったわ・・・。胸をなでおろし、もう一度後ろを振り返ると緑色に光る目は遠ざかっていた。
 一応感謝しないとと思い、もう一度上を見る。 前髪で目は隠れたまま。表情が読みにくいからやめてほしいわ。
 そういえば猫はもういない。いるのは同じ髪色、同じ目の色の青年。ご丁寧に同じに見える首輪までしてる。もしかして、いいえ、多分彼はあの猫なんじゃないかしら。

「ボク、ミネット。君は?」

 首を少し折り、少し肌から浮いた前髪。多分私を見ているのだと思う。

「有栖川真」
「アリスガワ?」

 漢字圏でないここでフルネームを名乗るのは間違いだったかしら。 余談だけれども男性の方が「やはり君はアリスなんですね!」と言ったのはスルーするわね。

「名前はマコトよ。」

 ミネットは何を思ったのか何度も私の名前を口ずさんでいる。余程人の名前を覚えるのが苦手なのかしら。そう思えてくるぐらいには呟き続けている。
 さて、折角だし男性の方にも自己紹介をした方がいいわよね。もう“アリス”と呼ばれない為にも。

「私の名前はマコトです。アリスではないのでもう間違えないでくださいね。」
「いいえ、君はアリスですよ。誰が何と言おうとここではアリスなんです。おっと忘れるところでしたね。私はエディ・ルシアン。チェシャ猫の飼い主であり、森のライオンたち、キティとスノードロップの飼い主です。」

 チェシャ猫の飼い主、つまり彼は公爵夫人・・・?また疑問が浮かぶ。夫人は女性に使う筈の敬称。目の前の人は男性。噛み合ってない。それにさっきのライオンが彼の所有物だったなんて・・・。危ないから繋いでおきなさいよ。もう。

「本来なら直ぐにでも女王の元へ連れて行き、詳しい話を説明してあげたいのですが・・・とりあえず、家に入りませんか?お茶をご馳走しますよ、アリス」

 ゆるりとした自然な動作で私の手を取り、手を引くエディ。聞きたい事は色々ある。けれども、彼の豹変っぷりを一度目にしてるせいかあまり乗り気ではない。 それに、公爵夫人の家って胡椒まみれだったと記憶してるわ。出来れば行きたくない。

「あの、嬉しいお誘いですけれど、私先を急いでて・・・。」
「やはり先に女王のところがいいですよね。ミネット、彼女を女王のところまで連れて行ってください。」

 私が一言断ってから話がどんどんと進んでいく。ミネットも頷いているし、なんだかデジャブを感じるわ。あぁ、本当に可笑しな国ね。



 
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