七月のラストの日。夏だから暑い。カラッとした暑さではなく、湿った暑さのこの時期は汗で服と肌が引っ付き、鬱陶しい。 外はさぞ暑いだろう。外の暑さ何て忘れた、と彼は嘲笑う。 今日は何十回目かの誕生日。ここに閉じ込められて、月日が経ち、数えるのも面倒になってしまった。重たく邪魔な鎖を外す事も誕生日プレゼントを貰う事も出来ない、だがせめてもと彼はメジャーなバースデーソングを歌い始めた。 「…はっぴばーすでぃあ、かなたー…はっぴばーすでぃとぅーゆー」 重い鎖を何とか持ち上げ、長くなってしまった前髪を掻き上げると青緑の目が垣間見得る。しかし、直ぐに金の髪が目を隠してしまった。内心苦笑しつつ後ろを向けば前髪なんて比べ物にならない程に伸びた髪。今じゃ自分の背丈よりも長くなってしまった。 彼を監視する奴等は伸びたからと言って切るような事はさせてくれない。いや、してくれた事はあった。あったが、とても雑だった。前髪を掴み、一刀両断。 過去の出来事と言えど、思い出すとやはり怒りが込み上げてくる。その所為で彼方の顔には一時期、殺傷傷があった。だからと言って前髪はやはり鬱陶しい。 玩具箱のような部屋を見回しても前髪を切れるような代物は無い。小さな溜め息を吐いた。 「溜め息を吐くと幸せが逃げるわ」 「へぇ、初耳だねぇ」 急に降りかかった女性の声。けれども彼方はいた事を知っていたかのように返事をした。 「で、君は誰?」 後ろを向けば白衣を着物の上に着た小柄な女性。長い髪は綺麗に整われ、歩くたび微かに揺れる。眼鏡の中から覗く瞳は知性的。白衣を着ている事と知性的な顔立ちから解る事、それは彼女が研究者だという事。それに加えて彼方は彼女の顔を知っている。最近会った事がある。 「君は六花の元だね」 「ご名答。私は伊代。今日から貴方の監視をするわ」 「へぇ…前のおっさんはクビにでもなったのかい?」 「えぇ、そんなところよ」 ヒール歩く音が響く。無駄に広いこの部屋中に木霊した。 伊代は隣へとやってきた。そして、そのまま横を通り過ぎ机の前まで行く。 手には袋。彼女はその袋を大事そうに持っている。 「彼方、こっちへいらっしゃい。ケーキ持ってきたのよ」 袋の中から取り出したのは四角い箱。リボンを解き、箱の中からケーキを出せばそれがバースデー用のケーキだと直ぐにわかる。しかも、ご丁寧に“カナタ誕生日おめでとう”の文字がチョコ板に刻まれていた。 前髪が長くて良かったのかもしれない。伊代と名乗った彼女に心はまだ許してない。だから動揺する所なんて見られたくなかった。 きっと彼女には見えていない。彼が目を大きく見開いた所を。 「君、知ってたのかい?」 「えぇ、一応は。」 袋の中から取り出したであろう包丁とお皿。それとフォーク。それで二人分にケーキを切り分けるのだが、まだ残りは半分以上ある。二人で食べるには大きすぎだった。 「これ、二人で食べれるわけないんだけど」 「そうね。貴方が望むなら毎日食事に出させるわ」 「毎日同じケーキってのも飽きてしまうよ」 「じゃぁ、私たちの方で消費するけれどいいかしら?」 消費、という言い方が何とも研究者らしい。 甘い香りが、肺へと入ってきた。久しぶりの匂いに気持ちが悪くなる。胸やけだ。クリームいっぱいの甘そうなケーキを目の前に出されれば、もっと匂いが強くなる。 「甘そうだね」 「・・・そうね。早く受け取ってちょうだい」 返答に少し間があった。きっと彼女の事だからケーキの甘さなど考えていなかったのだろう。 伊代はフォークと共にケーキを彼へと渡すと、隣へ座り「いただきます」と手を合わせた。それに釣られて彼方も手を合わせた。 「・・・甘いわね」 「知らずに買ったんだ。次からは気をつけてよね」 「精進するわ」 これっきり会話はなく、二人とも黙々とケーキを食べ進めた。彼方は下がとろけるような甘さを懐かしみながらゆっくりと食べる。 半分食べた頃に伊代を見ると、もう食べ終わり手を合わせていた。なんだか嫌になって、食べるスピードをあげると彼女の視線に気がつく。 「・・・何」 「いいえ。ゆっくり食べなさい。消化に悪いわ」 眼鏡から見透かされたような目が覗き、彼方を腹立たせる。 「偉そうだね」 「実際、貴方よりは偉いのよ」 見事に論破されてしまい、彼方は黙るしかなかった。そんな様子を見た彼女は小さく笑う。 空になった皿を貰い、元の袋へと戻す。座っている彼方の方へ向き直り、下がった眼鏡を上げる動作をすると同じ目線になるように腰を屈めた。 「毎日・・・は無理だけれど、これから週に何回も来るわ」 「君は暇なのかい?」 「どう受け取ってもらっても構わないわよ」 憎まれ口を叩く前に伊代はドアのある方へと進んでいた。 「掴めない女だ」 前髪を掻き上げ、ぼやく。ため息を吐くが、口は楽しそうに歪んだ。 『…そ………ろ。な……だ、これ!!』 ふと耳に入ってくる青年の声。抑揚こそ小さいが、確かに驚きで声が震えている。この声を聞き、彼方は更に口を歪めた。 「あぁ、遂に来たね。此方、君を待ってたよ」 同じ国にいるであろう青年を思い、空を仰ぐ宙を撫でるような動作をして落ちる腕。しゃらんと鎖が鳴る音がするが彼は気にしない。手錠が嵌まっている腕が赤くなっている事も今は気にならない。そんな事よりも今は此方という青年に意識が集中しているようだ。 彼方は楽しそうに、それは楽しそうに微笑んだ。 「見てろよ、駒は揃った。これで俺は自由だ」 目は獣のようにギラギラと光り、口は低俗な笑みを浮かべている。高笑いを一度し、彼方は意識を飛ばした。 |